【明治維新とは】簡単にわかりやすく解説!!中心人物や幕末からの流れ【まとめ】

 

2018年は明治維新から数えて150年という節目な年です。

 

しかし、明治維新といってもいろんな人が現れて色々ごっちゃになることがあったりするはず。

 

そこで今回は、幕末から明治維新に入るまでの流れや中心人物について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

明治維新とは?

(明治天皇の東京行幸 出典:Wikipedia

 

 

明治維新とは、鎌倉時代から700年続いた武士の時代が終わり、天皇による政治が復活するなどの日本に近代化の流れのことを言います。

 

期間はペリーが浦賀に来航してから戊辰戦争が終わり、五箇条のご誓文を発表して近代国家の基礎を作るまでといわれています。

 

この明治維新から日本の近代は始まり、日本が世界の列強へと駆け上がっていくのです。

 

明治維新までの流れ

(黒船来航の様子)

 

 

ここでは幕末から明治維新までの歴史をさらっと見てみましょう。

 

①黒船来航と日米修好通商条約

1853年浦賀にペリーが来航します。

 

ペリーはアメリカの太平洋における捕鯨の補給地点を手に入れるためこの日本を開国させるために脅しもかねて日本と日米和親条約を結びます。

 

 

そして、日本は下田と函館を開港して長年続いた鎖国体制は終わりを迎えました。

 

さらに日本はハリスと不平等条約である日米修好通商条約を結ぶことになります。

 

 

②尊王攘夷運動の発展

 

 

この日米修好通商条約によって外国の大量生産された安い商品が次々と輸入され、日本の産業は大打撃を受けました。

 

これに不満を持った武士たちは外人を追い払おうとする思想である『攘夷論』を支持するようになっていきます。

 

 

さらにこの日米修好通商条約は天皇の承認がなく結んだ条約だったので『幕府は天皇を馬鹿にしている!』と思う人たちも現れます。

 

この人たちは天皇を敬うことが正義という思想である『尊王論』を支持していました。

 

そして、この考え方は合体し『尊王攘夷運動』という新たな運動につながっていくのです。

 

この思想は簡単に言えば、外国に屈した幕府を潰して天皇中心に政治をしていこうという運動です。

 

 

③薩長同盟 そして倒幕へ

 

 

尊王攘夷運動の中心にいたのは今の山口県にあった長州藩でした。

 

しかし、幕府や薩摩藩はこの過激な思想を持っている長州藩を京都から追い出します。(八月十八日の政変)

 

 

それに反発した長州藩は禁門の変で京都御所の門である蛤御門付近で戦が起こり、長州藩は天皇の敵である朝敵とされてしまいます。

 

 

さらに長州藩は幕府から攻められて降伏。

 

外国からの報復として下関戦争も起こり、長州藩は攘夷は不可能と気付かされます。

 

 

そして、長州藩は尊王攘夷運動から幕府を倒す運動へと変わっていきます。

 

さらに土佐藩の坂本龍馬の活躍もあり、薩摩藩と同盟を結ぶことに成功して長州藩は第二次長州征伐で幕府軍に勝利し、幕府の権威は地に落ちてしまいます。

 

 

こうして最終的に、倒幕が行われるようになるのです。

 

④大政奉還と鳥羽伏見の戦い

第二次長州征伐の後倒幕の動きはさらに強くなり、ついに朝廷から倒幕の密勅という幕府を潰す命令が下ります。

 

これによって追い込まれた江戸幕府第15代将軍徳川慶喜はこの倒幕の密勅を切り抜けるために政権を天皇に返しました。これを大政奉還と言います。

 

 

慶喜は大政奉還してもなんだかんだで天下は徳川に戻ると思っていましたが、薩摩藩と長州藩は直ちに王政復古の大号令を出して無理矢理武士が政治をすることをできなくしてしまいます。

 

 

これに困った慶喜はついに京都近くの鳥羽・伏見というところで新政府軍と戦をします。

 

しかし慶喜は負けてしまい、さらに天皇の敵となってしまいました。

 

⑤江戸無血開城と明治維新

 

 

天皇の敵となった慶喜を潰すため薩摩藩と長州藩は江戸に向かって侵攻を開始します。

 

しかし、当時の江戸は100万人が住む大都会。

 

ここを燃やしたら日本は外国から攻められるのは確実でした。

 

そこで勝海舟と山岡鉄舟は新政府軍のトップ西郷隆盛と会談して江戸城を新政府に明け渡すことを決定しました。(江戸無血開城

 

 

そして、慶喜は水戸に行き、ついに徳川幕府は滅亡しました。

 

新政府軍は会津などの旧幕府軍を次々に倒していき、函館で榎本武揚が降伏したことによって戊辰戦争が終わりました。

 

その後、新政府は五箇条の御誓文を発表。『富国強兵』というスローガンを元にどんどん近代化していくことになるのです。

 

 

明治維新の中心人物【立役者7人】

 

 

ここでは明治維新を成し遂げた有名な偉人たちをピックアップして紹介して行きたいと思います。

 

①明治天皇

(明治天皇 出典:Wikipedia

 

 

第122代天皇であり倒幕の象徴となった人。

 

明治時代に入ると五箇条の御誓文を発表して日本近代化の象徴的な人物として今でも尊敬されています。

 

 

②西郷隆盛

(西郷隆盛 出典:Wikipedia

 

 

2018年の大河ドラマの主役。

 

薩長同盟の薩摩藩の代表として活躍して明治の三傑と呼ばれるようになり、江戸侵攻では新政府軍のトップとして江戸無血開城の交渉をした人です。

 

しかし、明治時代に入ると征韓論の問題で明治政府をやめて最期は西南戦争で自害しました。

 

 

③大久保利通

(大久保利通 出典:Wikipedia

 

 

西郷隆盛の相棒として京都で倒幕運動をして明治の三傑の一人として活躍しました。

 

明治時代になると明治政府の重鎮となり、殖産興業を指揮して日本を近代化させました。

 

しかし、武士によって紀尾井坂と呼ばれるところで暗殺されてしまいました。

 

 

④高杉晋作

(高杉晋作 出典:Wikipedia

 

 

松下村塾で学んだ一人で長州藩の尊王攘夷運動を指揮していました。

 

そして身分関係なく集めて作られた軍隊である奇兵隊を作り、第二次長州征伐で幕府軍に勝利しました。

 

 

⑤岩倉具視

(岩倉具視 出典:Wikipedia

 

 

もともと公武合体派の公家だったのだがのちに倒幕派へと移り変わり、朝廷における倒幕運動を指揮していました。

 

明治時代に入ると岩倉使節団のリーダーとして欧米各地に訪れました。

 

⑥坂本龍馬

(坂本龍馬 出典:Wikipedia

 

 

日本初の貿易会社亀山社中を作り薩長同盟の立役者として活躍しました。

 

しかし、大政奉還直後に近江屋で何者かに襲われて暗殺されてしまいました。(近江屋事件

 

 

⑦徳川慶喜

(徳川慶喜 出典:Wikipedia

 

 

江戸幕府最後の将軍で日本最後の将軍。

 

大政奉還によって政治の権力を朝廷に返して江戸無血開城後には、静岡県に移って残りの人生を楽しみました。

 

まとめ

 明治維新は天皇中心の政治となり日本が近代化していった流れのこと。

 明治維新は一般的にはペリーが浦賀に来航してから戊辰戦争が終結するまでを指している。

 明治維新の立役者には、明治天皇・西郷隆盛・大久保利通・高杉晋作・岩倉具視・坂本龍馬・徳川慶喜などが存在し、明治維新派これた大勢のリーダーの行動により成し遂げられた。

 この明治維新から日本の近代は始まり、日本が世界の列強へ上りつめることになった。