日本と中国との間では未だにいざこざがあります。

 

実はその原因は約80年前に起きたとある戦争が原因でした。

 

今回はそんないざこざのきっかけとなる『日中戦争』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

日中戦争とは?

 

 

日中戦争とは1937年から1945年までの間、続いた日本と中国による戦争です。

 

1937年の盧溝橋事件をきっかけに戦争は起こってしまいます。

 

この戦争は徐々に泥沼化の状態となっていき、これをきっかけとして太平洋戦争を引き起こすなど日本と中国に多大な影響を及ぼしました。

 

日中戦争が起こるまでの流れ

①日本の中国進出

1930年代になると日本は日清・日露戦争で獲得した朝鮮半島や租借している関東州(大連)などを足がかりとして、中国大陸進出を計画していました。

 

そこで日本の関東州を管轄していた関東軍は、日本の南満州鉄道の線路を爆破して(柳条湖事件)満洲を一気に占領。満州事変を引き起こして満州国という実質的に日本の傀儡国を建てました。

 

 

もちろん中国は怒ります。そりゃ自分の領土に勝手に国を作られたら誰だって怒りますよね。

 

しかし、この当時中国では満州国に関わっている暇はありませんでした。

 

当時、中国では北伐を成し遂げ中国大陸を完全に支配した蒋介石率いる国民党毛沢東率いる中国共産党の2党が戦争を繰り返していました。(国共内戦

 

(国共内戦 出典:Wikipedia)

 

 

つまり内戦が起きていて、蒋介石は満洲の対応に構っている暇はなかったのです。

 

②西安事件

満州事変の後も蒋介石は、『満洲のことは中国共産党を倒してからにしよう』と日本との関係を大事にして満州国の存在をひとまずは黙認していましたが、ここで一つの重大な転機が訪れます。

 

1936年蒋介石は張学良という人に西安というところで監禁されてしまいます。

 

(張 学良 出典:Wikipedia)

 

いわゆる西安事件なのですが、この張学良という人なんと元々満洲の軍閥の人であり、さらに張学良の父である張作霖は関東軍に爆殺されていたということがありました。

 

そのため張学良は日本のことが大嫌い。国共内戦をやめて国民党と共産党が手を組む国共合作という形をとって抗日民族統一戦線という一大連合が組織されました。

 

③盧溝橋事件と日中戦争の勃発

抗日民族統一戦線が組織されて以降日本と中国の関係は急激に冷え切り、中国国内で日本人が殺されてしまう事件が後を絶ちませんでした。

 

その中でも特に重大でのちに日中戦争の引き金となってしまう事件が起きてしまいます。1937年の盧溝橋事件です。

 

 

盧溝橋事件は北京近くの盧溝橋という橋の近くで行われていた日本軍の演習中に中国軍が発砲したという内容ですが、この盧溝橋事件自体は数日で停戦協定が結ばれて終わっています。

 

これだけだったらただの小さな事件で終わっていたはずなのですが、日本の中ではこれを口実に中国に進出して中国大陸にあって日本本土にはない石炭などの資源を狙って進出しようとしていたのです。

 

そしてついに日本軍は中国に侵攻を開始する動きが出てきます。この時、実は蒋介石も日本政府との間で講和の交渉が進められていました。

 

しかし、同時期に上海において日本の軍人が中国軍によって殺されてしまうという事件が発生すると、これに対して日本軍は交渉を打ち切って中国に侵攻を開始。

 

こうして日本と中国は7年にも渡る泥沼の全面戦争へと突き進んでいくのです。

 

日中戦争の全容

①戦争の拡大と泥沼化

こうして始まった日中戦争ですが、日本軍はまず北支と称していた中国の北部である北京など地域を制圧し、どんどん南下を始めていきます。

 

一方で上海に駐留していた日本軍も当時中国の首都であった南京に向かって進軍を開始。戦争が始まって4ヶ月後の11月には南京周辺の地域を完全に手中に収めていき、首都である南京に迫っていきます。

 

蒋介石は期待していたソ連やドイツの支援が全く来ないことを理由に南京から成都という中国の東側にある地域に逃亡します。

 

そして12月に南京を占領。日本軍は日中戦争で手に入れた占領地域に南京政府という政府を作り上げ、当時国民党No.2の大物であった汪兆銘をリーダーとしました。

 

その後、日本軍の総攻撃は続き、南京の臨時首都であった漢口も陥落。ついに蒋介石のいる成都にまで攻めようとします。

 

日本軍はその手始めに成都に近かった重慶に対して無差別爆撃を開始。4000人の被害を出し、各国から無差別爆撃を非難されてしまいます。

 

日本軍はドイツを仲介として中国と一応講和するように打診しますが、国民政府がなかなか返事をくれないことにいらだった当時の日本の首相である近衛文麿は『国民政府相手とせず』と言い放ち、講和は打ち切りとなってしまいました。

 

その後、日本では国家総動員法が成立。全ての政党が解散して大政翼賛会という新たな政治組織が建てられ日本国内では戦争ムードがどんどん強まっていきます。

 

②太平洋戦争までの道

こうして日本有利に進んでいた日中戦争でしたが、1937年も後半になってくるとどんどん戦線が膠着(こうちゃく)してしまい泥沼化してしまいます。

 

実はこの時、中国はイギリスやフランスなどの国々から武器などの支援を受けておりどんどん中国軍が強化されていました。

 

この援助のルートを蒋介石を援助するという意味で援蒋ルートと言われるようになったのですが、これが日本にとって中国攻略の大きな問題となっていました。

 

(援蒋ルート”ビルマ航路” 出典:Wikipedia

 

 

そのため日本はイギリスやフランスを牽制するために1940年に日独伊三国同盟を締結。中国の援助を難しくしようと考えますが、イギリスやフランスなどはそれでも援助をし続け、さらにアメリカなどはこれが原因で日本に対して敵意を向き始めました。

 

そして1940年にフランスがドイツに降伏すると日本軍はフランスの植民地であったフランス領インドシナに進駐。いわゆる仏印進駐を行い日本軍は日中戦争を継続するための資源を求めて南に侵攻する南方政策を取り始めます。

 

これに対して とうとうアメリカは日本に対して全面禁輸を開始。一滴の石油も輸出しない方針を取り始めます。

 

こうして日本はアメリカとの戦争を決定。1941年にハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まり、アメリカ・イギリスなどの連合国と全面戦争に突入していくことになるのです。

 

(日本軍による攻撃で炎上するアメリカ戦艦 出典:Wikipedia

 

日本の降伏と中国のその後

 

 

太平洋戦争が始まり、全方面に戦争をすることになった日本。しかし、日本が全方面で戦争をする余力はありませんでした。

 

太平洋戦争においては日本軍は最初の頃は快進撃を続けていきましたが、ミッドウェー海戦で大敗北をして以降アメリカの猛烈な反撃を受けてしまい、どんどん後退していきます。

 

一方で中国では戦線が全然進まず日本軍はジリ貧の様相が見えていきます。

 

そして遂に沖縄に上陸されてしまい、もはや勝つ希望もなくなった日本は1945年8月15日に降伏。7年続いた戦争は終わりを告げました。

 

中国大陸では日本が撤退した後、手を組んでいた国民党と共産党が再び対立。国共内戦が再び起きてしまいます。

 

結果は国民党の敗北。1949年に国民党は台湾に移転し、中国大陸には中国共産党による国家中華人民共和国が成立し今に至ります。

 

まとめ

・日中戦争は1937年に日本と中国との間で起こった戦争のこと。

・日本は最初の頃は快進撃を続けていたが、次第に膠着していった。

・日本は中国を助けていたイギリスやフランスを牽制するために日独伊三国同盟を結び、さらに資源の確保のために南方に進出した。

・日本は1945年に太平洋戦争で負けたのと同時に日中戦争も日本の敗北で終結した。




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