古代の政権の呼び方は、特にややこしい。

 

当時、筆者が歴史を学んでいたころは、大和朝廷とか大和政権と言っていたのですが、どうやら古代の政権はその呼び方も時代とともに変化しているようです。

 

更には、書籍によっては「ヤマト王権・大和政権・大和朝廷」という様に、3つの「やまと」が現れてくるため、更に混乱してしまいますよね。

 

一見すると、ヤマト王権・大和政権・大和朝廷も、全部100%同じじゃないか?と思ってしまいがちですが、ふたを開けてみたら同じようでも、微妙に違うものなのです。

 

今回は、この『ヤマト王権・大和政権・大和朝廷の違い』について、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

ヤマト王権・大和政権・大和朝廷の違い

 

では、このヤマト王権・大和政権・大和朝廷ですが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。

 

最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。

 

謝恩使と慶賀使の違い

 

✔ 権力の範囲が違う

ヤマト王権・・・ヤマトの王が持つ権力の範囲が及ぶ範囲

大和政権・・・大和の国の政府が持つ権力範囲

大和朝廷・・・大和の国で大和の天子が政治を取る場所

 

 

実は、ヤマト王権も大和政権も大和朝廷も、大意では同じことを言っていて、違いは本当にこれだけです。

 

呼び名がこのように3つに変わった理由も、時代考証と呼び方に違和感があるという理由だけで、名称が変わってしまっただけなのです。

 

押さえておきたい、「ヤマト」と「大和」の違い

 

それぞれの詳細を見ていく前に、ヤマトと大和でどうして2種類の呼び方があるのでしょうか。

 

こちらについて、解説していきたいと思います。

 

Wikipediaによれば、大和という意味には広く3つの意味があります。

 

 大和①:国号「日本(倭)」の訓読(すなわち、古代の日本国家全体)

 大和②:令制国としての「大和」(上述)

 ヤマト:奈良盆地東南部の三輪山麓一帯(すなわち令制大和国のうちの磯城郡・十市郡)

 

大和①だと、広い意味で日本のことを大和と呼んでいるということになります。

 

大和②の場合は、畿内の大和の国を指し、これは現在の大阪府のあたりのことを指します。

 

ヤマトとカタカナ表記になった時は、また別の意味になります。

 

大和の国のなかでも、特に政権の中心があったとされる地域のことを指すようです。大和の国の中の地域名という意味で、あえてカタカナで「ヤマト」と区別しているようです。

 

しかし、注意していただきたいのは、日本史のテストでヤマト王権と答えるべきところを、大和朝廷と答えないこと!

 

そうならないために、これからヤマト王権・大和政権・大和朝廷についての詳細をご紹介していきます。

 

ヤマト王権について詳しく解説!

 

ヤマト王権と言うのは、実は大和政権とほぼ同義

 

実は、王権か政権かで、意味合いが変わってきます。

 

まず最初に押さえておきたいのは、各地でバラバラになった国を「ヤマト」に併合することに成功した王権であるということです。

 

①「王権」が付くと政治体系を厳密に言う時に使う

ヤマト王権と付くと、王を中心とした国家という意味がより強くなってくるのです。

 

つまり、「ヤマトの王が持つ権力」の範囲が及ぶ範囲のことを指します。

 

それもあって現在では、古墳時代の政権を呼ぶときは、ヤマト王権と呼ぶのが一般的の様です。

 

②ワカタケルが治めていた?

後の日本の書物に「古事記」や「日本書紀」という書物がありますよね。

 

そこからわかっているのが、当時「ワカタケル」というオオキミがいたことが記述され得ちます。

 

ワカタケルの名前の記述された鉄剣が出土されているのは、歴史の教科書にも書いてあります。

 

この鉄剣が出土した場所を覚えていますか?

 

そう、埼玉県の稲荷山古墳と、熊本県の江田船山古墳!このことからも、西から東にかけて、広範囲を統治していたことがわかります。

 

③歴史学者の意見

大和の国がその覇権を振るっていたのは、古墳時代という話をしたかと思います。

 

歴史学者の間では、古墳時代はまだまだ「朝廷」を中心とした政治体系ではなかったという意見もあったようです。

 

その為、代わりに使われるようになったのが、ヤマト王権という言葉だそうです。

 

大和政権について詳しく解説!

 

続いて大和政権について詳しく見ていきましょう。

 

大和政権という呼び方になると、大和における政府であり、その政府の持つ権力範囲という意味になってきます。

 

大和政権は政府のこと

大和政権は、4世紀から7世紀にかけて大和地方に存在した、政府のことです。

 

時代によって、大和が持っていた権力行使範囲は変わってきますが、最初は大和と畿内(現在の奈良全域と、京都・大阪・兵庫の一部)の豪族が作った連合国家のことを指しました。

 

4世紀中ごろには、既に西日本を統一し、8世紀になると、大和政権の威力は東日本まで勢力を拡大していた様です。

 

大和政権は、かなりの長い間、地方の豪族を取りまとめ、権力を維持できていた、ということになります。

 

大和朝廷について詳しく解説!

 

最後に、大和朝廷について詳しく見ていきましょう。

 

朝廷と付く場合は、大和の国で大和の天子が政治を取る場所、という意味になります。

 

大和政権があまりに広すぎるために分けられた

前述の通り、大和政権となると、余りにも統治範囲が広がりすぎていました。

 

それだけ、大和政権の政治力はすさまじく、それだけの範囲を治められる政治力を誇っていた、ということです。

 

その為、実際の時代の変遷をより分かりやすく分類するため、別の呼び方として登場したのが大和朝廷という言葉で、現在でも一般的となったようです。

 

様々な発掘調査により変更された「呼び方の変遷」

 

実は、古墳時代の政権をかつては「大和時代」と呼んでいた時期があったようです。

 

その時の政権を「大和朝廷」と呼んでいたことが始まりでした。

 

しかし、1970年代以降に行われた様々な発掘調査で重大な古墳が見つかったことから、時代にそぐわなくなり、古墳時代へと呼び方が変わっていったという裏話がありました。

 

これにより、当時の呼び方だった「大和朝廷」にも違和感が出てくるようになりました。

 

朝廷とは本来、天皇を中心とした政治体制を表す呼び方です。ですが、天皇がいないはずの古墳時代には「大和朝廷」呼びはそぐわない、という現象が起きたのです。

 

これにより、1980年代以降は、大和政権・ヤマト政権と変化し、王を中心にしていたという点も重視されてからは、大和王権・ヤマト王権へと呼び方も変わっていったのです。

 

まとめ

 ヤマト王権も大和政権も大和朝廷も、大意では同じことを言っている。

 「ヤマト」と「大和」と分けることで、あいまいを回避している。

 名称が変わった理由は、発掘調査により発見された歴史的物証により、時代考証と呼び方に違和感があったから。

 違いは権力の範囲のみ。ヤマト王権はヤマトの王が持つ権力の範囲が及ぶ範囲のことを指し、大和政権は大和の国の政府が持つ権力範囲を指し、大和朝廷は大和の国で大和の天子が政治を取る場所のことを指す。

 ヤマト王権と大和政権は、ほぼ同義。

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