【殖産興業とは】簡単にわかりやすく解説!!政策の意味や目的・影響・結果など

 

2014年群馬県にある富岡製糸場が世界文化遺産に登録されました。

 

実はこの建物は明治時代にしていた『殖産興業』によって造られた物の一つだったことをみなさんはご存知でしたか?

 

今回は、そんな明治時代を支えた殖産興業についてわかりやすく解説していきます。

 

殖産興業とは?

(明治5年操業開始。富岡製糸場 出典:Wikipedia

 

殖産興業とは、明治時代に行われた日本の産業が発展するように政府自ら行った産業に対する政策のことです。

 

これによって日本はどんどん近代化していき、さまざまな分野が発達していきました。

 

殖産興業の目的

 

日本は明治維新によって江戸時代から明治時代になりましたが、日本にはとある問題がありました。

 

それは日本の産業がまったく発達していなかったこと。

 

日本は江戸時代末期に入って開国によってようやく当時の最新型のハイテク機器を買えることができたレベルですのでいちいち昔ながらの方法で物を作っていきました。

 

この状態をみてこの当時明治政府のお偉いさんであった大久保利通は『このままじゃ外国に植民地にされてしまう!』と思い始めました。

 

そして大久保は日本の産業を発展させるために殖産興業を始めたのです。

 

 

殖産興業の例!スローガンは『富国強兵』

 

 

明治新政府は早速『富国強兵』をスローガンとして新しい国づくりを始めていきます。

 

 

富国強兵というのは日本を産業を発達させ経済力のある国にして(富国)強い軍隊を創り上げる(強兵)という物でした。

 

殖産興業はそんな富国強兵の富国の部分をどうにかするための政策でした。

 

では一体どのような産業が発達したのか?詳しく見ていきましょう。

 

①造船の場合

(横須賀海軍工廠”関東震災後のもの”)

 

産業を発達させるといってもいきなり一から創り上げるというのはとてもお金がかかるし労力がかかります。

 

しかし、政府は江戸時代に建てられていた工場を改良して使っていた場合がありました。

 

それが船の建造です。

 

日本は周りを海で囲まれている島国。なので、船の近代化は国を守るためにとても意味があることだったのです。

 

政府は江戸時代が末期に建てられた造船所を横須賀海軍工廠として改良しました。今でも横須賀には海上自衛隊の基地がありますね。

 

②鉄道の場合

海ときたら次は陸の話です。政府は鉄道の開業に力を入れていました。

 

鉄道はただ乗るためだけではなく、工場で作られた商品を各地へ運んだりするためによく使われています。

 

だから政府は鉄道の建造をどんどん進めていきました。

 

そして最初に開業した東京〜横浜間から始まり、民間の力も借りて日本はどんどん鉄道網を増やしていきました。

 

③生糸の場合(富岡製糸場)

(明治時代の富岡製糸場 出典:Wikipedia

 

日本は特に生糸の生産に力を入れていました。

 

日本は開国した当初から生糸の輸出をしており、明治時代に入っても政府はさらに生糸の輸出の量を増やそうとしていました。

 

そこで政府は当時生糸の原料となる蚕の生産が盛んだった群馬県の富岡というところに最新のハイテク機器をふんだんに使った西洋建築の工場を建てました。

 

それが富岡製糸場です。

 

富岡製糸場で作られた生糸は世界でも評判がとてもよく、一時は日本の生糸輸出量は世界一となるぐらいまでに成長しました。

 

殖産興業でやってきた外国人

このように日本の産業はさまざまな分野で発展していきましたが、実はこの時たくさんの外国人が日本にやってきました。

 

次はどのような外国人が日本にやってきたのかを紹介します。

 

①産業系の外国人

(フランス人生糸技術者ポール・ブリューナ 出典:Wikipedia

 

政府は殖産興業を進めるために産業に詳しい外国人をたくさん日本に来てもらおうとします。

 

そしてたくさんの産業に詳しい外国人がやってきました。

 

富岡製糸場の建設に携わったフランスの生糸技術者のポール・ブリューナや、横須賀海軍工廠の建設を指導したレオンズ・ヴェルニーが有名です。

 

しかし、問題点がひとつありました。それは給料が馬鹿高いということです。

 

例としてあげるのであればレオンズ・ヴェルニーは年間で10000円(当時の日本の平均年収は年間50円)をもらっていたのですから驚きです。

 

しかし、こうでもしなければ当時まだアジアの辺境国であった日本に来てはもらえなかったのです。もちろん政府はこの馬鹿高い給料に苦しめられることになります。

 

②教育系の外国人

(ウィリアム スムス クラーク博士 出典:Wikipedia

 

 

産業が発展しても人材育成のための教育をおろそかにしてはいけません。

 

政府は外国人教師も多く日本に呼び寄せていました。

 

とくに『少年よ、大志を抱け!』で有名なクラーク博士や、小説の『怪談』などで有名なパドリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などがよく知られています。

 

また、元々は政治学者として日本に来ていたフェロッサは日本の古き良き美術作品に感動して、現在の東京美術大学の前身である東京美術学校の設立に関わるなど、本来の目的とは違うところで日本に貢献した外国人がいました。

 

殖産興業の結果

 

日本はこの殖産興業によってさまざまな分野で産業が発展していきました。

 

特に生糸は世界一の輸出国になるぐらいにまでなり、戦前の重要な輸出品の一つになっていきました。

 

そして、その輸出で手に入れたお金で軍備を増強して日本は清やロシアと張り合えるまで成長していくことになるのです。

 

ちなみに日清戦争で勝った時にもらった賠償金によって、八幡製鉄所が開業して日本は生糸などの軽工業中心から製鉄などの重工業も発展しました。

 

殖産興業の影響「政策によって生まれた財閥」

政府はある程度日本の産業が発達したらどんどん民間に売り払っていきます。このことを払い下げと言います。

 

払い下げの先はさまざまな会社にいきますが、特にこの頃お金をたくさん持っていた三井や三菱に多く払い下げが行われました。

 

これによってどんどん三井や三菱がさまざまな分野で力を持ち始め、いつしか日本の産業全体を支えることになる財閥へとなっていくのです。

 

 

まとめ

 日本は富国強兵を進めるために殖産興業という産業が発展するようにするための政策を行った

 殖産興業の目的は造船・鉄道・製糸などさまざまな分野にわたった。

 政府は殖産興業を進めるために外国人をたくさん招き入れた。

 日本は産業が発展してどんどん成長していった。

 三井や三菱は殖産興業で作られた工場を政府からもらい受け、さまざまな分野に力を伸ばす財閥へとなっていった。

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明治維新政府の2つのスローガン殖産興業、富国強兵の後ろ側の考え方に、大久保利通の思想というか、世界観があった、という視点、半分は肯定できるけど、半分は納得できない。理由は、江戸幕府の旧幕臣があっさり維新政府に政権をゆだねたのだが、彼らの、'お前らがやってみたらよい'、俺たちも、'新しい日本'を、俺たちなりに作るのよといって、渋沢以下、殖産興業に邁進するわけですが、この辺がかきお込まれていません。でも、問題のとらえからと、その問題に切り込む切り口は正鵠を射ている。

タイトルを見て購入しました。「日本の産業革命」って明治時代くらいにしか思っていなかったけれど、確かにいつ頃なのだろう?という素朴な疑問から購入しました。具体的に本書は明治時代中盤から日露戦争後までにおける日本の経済面に着目した本です。データもそこまで整備されていないなかで、日本の産業面で何が起こっていたかが比較的わかりやすく記載されていると思います。また本書を読んで思ったこと、それは現在脚光を浴びている「新興国」と比べて日本の置かれていた状況がいかに違っていたか。逆に言えば先発帝国主義国に翻弄され、外資も恐ろしくて大々的に導入できなかったような状況で、よくぞ日本は経済成長した、ということです。また日本も日露戦争後に対外債務がふくらみすぎて、今でいうソブリン債務危機の一歩手前になっていたという記述も興味深かったです。

明治維新から、20世紀初頭にかけての、日本の産業革命の流れを、豊富な資料をもとに、丹念に追っている。
一般に、この時代を総称して、富国強兵と言われる。
文字通り、富国、つまり産業革命は、強兵、いわゆる、戦争に向けての軍備拡張と並行していたことがよくわかる。
時は、帝国主義の時代。日本も、朝鮮や中国を植民地として想定していた。
そこが市場になり、産業も拡大することができる。
戦前の日本では、否応なく、軍部と産業界は、切っても切れない関係であったのだ。