【五箇条の御誓文とは】簡単にわかりやすく解説!!意味や内容・目的など

 

1868年(慶応4年)日本は江戸幕府が滅亡したことによって、天皇中心による政治を目指して薩摩藩と長州藩が政権を握ることになりました。

 

その時、今後こうやって政治を進めていくことを書いた文章がありました。

 

それが五箇条の御誓文です。

 

今回はそんな明治新政府の目標が記された『五箇条の御誓文』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

五箇条の御誓文とは?

(明治天皇 出典:Wikipedia

 

 

五箇条の御誓文とは、1868年(慶応4年)明治天皇が神々に新政府の目標や方針を誓ったことです。

 

この御誓文に基づいて明治政府は政治を動かしていきます。

 

五箇条の御誓文の目的

 

 

江戸幕府が終わり、戊辰戦争が終結したことによってようやく新しい時代がやってきました。

 

しかし、この当時日本では打ちこわし世直し一揆が起こっていて情勢はかなり不安定でした。

 

 

さらに諸外国はフランスなどを中心に江戸幕府側についていました

 

そこで明治政府はこれからは天皇中心に政治をやっていくことを国民や諸外国にアピールする必要があったのです。

 

五箇条の御誓文の内容

(御誓文の原本 出典:Wikipedia

 

 

それでは明治政府のこれからの方針が書かれた五箇条の御誓文を全部一通り見てみましょう。

 

(ちなみに正式名称は御誓文。五箇条の部分はあとから付けられたもの)

 

① 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ

(翻訳)広く会議を興し、万機公論に決すべし。

 

この意味は『日本中から優秀な人を集めて会議をして決めよう』ということです。

 

江戸時代では譜代大名や親藩大名と呼ばれる人達が老中という身分になって政治をしていました。

 

しかし、これでは優秀な外様大名や農民は政治に参加することができません。

 

さらにその老中が頭が悪かったら政治が大混乱してしまいます。

 

そこで明治政府はこれからは身分関係なく人材を集めて会議によって決めようとしたのです。

 

これはのちに国会開設に活かされていきます。

 

 

② 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ

(翻訳)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

 

この意味は『身分関係なく日本を治めていこう』ということです。

 

江戸時代では士農工商と呼ばれる身分制度があって武士と農民ではものすごい格差があり、さらにその下にはえた・ひにんと呼ばれるみんなから差別されていた人たちもいました。

 

 

明治政府はこの状態では日本を近代化させることが不可能だと感じ、全部の身分を平等にしようとしたのです。

 

これはのちに身分制度令などに活かされていきます。

 

③ 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

(翻訳)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。


この意味は『政府や武士、さらに一般の国民もそれぞれの責任を果たして目標を達成していきましょう』ということです。

 

この条文は政府の方針のことではなくてこれから日本全体で近代化を進めていくとこになるのだから国民もそれに応じて目標を達成してくれという国民に向けてのメッセージだと思われます。

 

こうして国民皆兵や殖産興業などで国民たちは日本の産業や治安を守っていくことになるのです。

 

 

④ 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ

(翻訳)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

 

この意味は『これまでの悪い風習を捨てて道理にあった方法で何事もやっていこう』ということです。

 

この悪い風習とは江戸時代の風習のことで、明治政府はこれまでの古めかしい悪い風習をなくして欧米列強の進んだ風習をどんどん取り入れ、日本を近代化していくという意思表示です。

 

そして、この条文の通り明治時代になったらちょんまげを切る断髪令や刀をなくす廃刀令、さらにこの頃仏教で禁止されていた牛肉を食べることも流行していきます。

 

 

しかし、その影で仏教関連の伝統をぶち壊す廃仏毀釈も行われていき、伝統が軽くあしらわれてしまう事態も起こってしまいます。

 

⑤ 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ

(翻訳)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

 

この意味は『知識を世界に広めていき、天皇中心に日本やこれまでの日本の伝統を大切にして日本を発展させていきましょう』というものです。

 

政府はただ単に欧米列強の文化を取り入れるのではなく、日本の伝統や日本の文化を世界に発信していくことが大切だと思っていました。

 

今でもヨーロッパやアメリカに行ったら寿司とか天ぷらなど日本の食文化が海外で根付いていたり、さらに日本にやってくる外国人もたくさんいて日本の文化を体験しています。

 

それを見るとこの条文は達成されていると見てもいいかもしれませんね。

 

そして最後の締めくくりとして明治天皇は・・・

 

我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ共心努力セヨ

 

(翻訳)

我が国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に近い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づき、心を合わせて努力してください。

 

と日本国民全体がこの五箇条の御誓文に基づいて新しい時代を築いていきましょうとコメントとしてこの御誓文は終わります。

 

五箇条の御誓文と五榜の掲示

 

 

五箇条の御誓文とよく間違えやすいのが、この頃一緒に発表された五榜の掲示です。

 

五榜の掲示は五箇条の御誓文とは違って明治政府が国民に向けて出した決まりごとという意味合いが強いです。

 

この五榜の掲示は時代劇でよく見かける立て札で書かれており、それを思い出してくれれば五箇条の御誓文とごちゃ混ぜになることがなくなると思います。

 

 

まとめ

 五箇条の御誓文は明治天皇が神々に誓って出した文章のこと。

 五箇条の御誓文は諸外国に江戸幕府から明治政府に政府が移ったことを伝える目的もあった。

 五箇条の御誓文には身分関係なく政治に参加させることなどこれから明治政府がやっていく政策のもとになることが書かれていた。

 五箇条の御誓文は神々に政府の方針を誓ったもの。五榜の掲示は国民に対する決まりごとを示したもの。