江戸時代に作られた五街道の一つである東海道の終点『三条大橋』。

 

非常に立派な橋で今でもたくさんの人がここを通っています。

 

しかし、幕末には三条大橋付近で大乱闘が起きたことがあったのです。

 

そして、その乱闘を起こしたのがゲームとかでおなじみの新選組でした。

 

今回はこの新選組が襲った事件である『池田屋事件』についてわかりやすく解説していきます。

 

池田屋事件とは

(池田屋の跡 出典:Wikipedia

 

 

池田屋事件とは、幕末の1864年(明治元年)に起きた京都に潜んでいた長州藩の攘夷志士たちを新選組が取り締まった事件のことです。

 

この事件をきっかけに新選組の知名度が上がり、さらに長州藩が蛤御門の変を起こすきっかけとなりました。

 

なぜ新選組は池田屋を襲ったの?

(黒船来航の様子)

①幕府の取り締まり

時は幕末。ペリー来航によって日本は開国して、さらにアメリカと不平等条約を結びました。

 

しかし、この条約に不満を持った武士たちが外国人たちを日本から追い出そうとしようと思い始めます。

 

これが攘夷論と呼ばれる思想です。

 

 

さらにこれからは幕府ではなく天皇が政治をするべきだと考える者も現れます。

 

この二つの考え方は幕末の頃に合体して尊王攘夷という新しい考え方となり、これを元に幕府を潰そうとします。

 

これに困った幕府は会津藩の藩主松平容保に天皇が住んでいる京都を守る役職「京都所司代」に任命します。

 

そして松平容保はこれから幕府を倒そうとするヤバイ奴らを取り締まっていきます。

 

こうして京都所司代の下の組織として誕生したのが新選組でした。

 

②攘夷志士たちのヤバイ計画

攘夷志士たちを取り締まっている時に京都で大事件が起きます。

 

なんとこれまで京都御所を守っていた長州藩の人が京都から追放されてしまったのです。

 

この事件を八月十八日の政変といいます。

 

 

もちろん長州藩の人たちはこれに大激怒。我慢ならないとしてとある計画を考えます。

 

そして考えた計画がこちら。

計画

①祇園祭が起きる前に毎年吹いている風が吹いている時に御所を燃やす。

②八月十八日の政変を起こした中川宮を部屋に閉じ込め、幕府のお偉いさんの松平容保と一橋慶喜を暗殺する。

③天皇を長州藩に誘拐する。

 

普通に考えてこんなの起こされたら京都どころか日本中が大混乱する計画です。

 

起こそうものならたちまち幕府や朝廷はめちゃくちゃになってしまいます。

 

池田屋事件の勃発

 

 

こんな計画を起こされる前にさっさと潰して起きたい新選組は、その計画が話されている三条大橋付近のパトロールを始めていきます。

 

そして真夜中になりかけの22時ごろ。ついに池田屋という旅館で計画を考えている志士たちを発見します。

 

そして、ついに居場所を突き止めた新選組は池田屋を襲撃します。

 

この襲撃は突撃してすぐに攘夷志士たちとの斬り合いにまでになり、池田屋付近は大混乱となっていきます。

 

そもそも新選組は江戸近くの多摩と呼ばれるところの剣の道場出身の人が多かったため、刀の斬り合いは大得意。

 

たちまち攘夷志士たちは新選組に斬られてしまいます。

 

そして2時間後、攘夷志士たちは斬られて死ぬか新選組に捕まるかのどちらかになり、この事件は新選組の勝利に終わりました。

 

池田屋事件を見た有名人

①桂小五郎(木戸孝允)の場合

(木戸孝允 出典:Wikipedia

 

 

桂 小五郎も本来ならこの計画を話している一人でしたが、うっかりミスで池田屋に早く来すぎてしまい、あまりにも暇だったので近くにいた友人とおしゃべりしてたら池田屋事件が起きていました。

 

最初は桂もこの事件に入ろうとしましたが友人に止められなんとか事件に巻き込まれることはありませんでした。

 

なおここから桂小五郎は新選組や幕府の手先から逃げまくり、のちに逃げの小五郎とまで呼ばれるようになります。

 

②坂本龍馬の場合

(坂本龍馬 出典:Wikipedia

 

 

寺田屋事件や近江屋事件などに関わっている坂本龍馬。

 

この二つの事件に関わっているのだから池田屋事件にも関わっていると思いきや龍馬はこの事件は無関係です。

 

この頃の龍馬は海軍の造船所で勝海舟の弟子として日々奔走していた頃です。その造船所がある場所は京都とまぁまぁ近い神戸でした。

 

でもこの事件を見て少しは影響を受けたかもしれません。

 

池田屋事件の影響

 

 

池田屋事件が起きたことによって新選組が有名人になったのもありますが、それ以上に影響があったのが長州藩の暴走でした。

 

そもそも池田屋事件で襲われた人の大半が長州藩の人です。

 

さらに八月十八日の政変によって会津藩に恨みを持っているのに、さらに会津藩の藩主の部下によって多くの長州藩の人が殺されたのです。

 

これを見てもう我慢ならないと感じた攘夷思想を持っている長州藩の家老たちは、この当時の長州藩の藩主である毛利敬親(もうりたかちか)に京都で会津藩と戦争を起こすことを願い出ます。

 

藩主はこれに対して『うん、そうせい。』と一言いってOKを出します。

(『うんそうせい。』は藩主としてあまりにも無責任かもしれませんが、そう言わないと志士から暗殺されてしまう可能性が非常に高かったのです。)

 

こうして藩主からOKをもらった長州藩の人々はすぐに京都に向かい、京都御所の門の一つである蛤御門に集結、『蛤御門の変』が起こることになるのです。

 

 

池田屋事件・寺田屋事件・近江屋事件の違い

池田屋事件と似ている名前でよく間違えることがあるこの3つの事件。

 

池田屋事件は上に書いた通り新選組が攘夷志士を取り締まった事件ですが、寺田屋事件は同じく攘夷志士を取り締まった事件です。

 

しかし、この事件は新選組ではなく島津斉彬の命令によるものでした。

 

さらに薩摩とは別に坂本龍馬が伏見奉行所の人に襲撃されたのも寺田屋事件と呼びます。

 

近江屋事件は坂本龍馬と中岡慎太郎が誰かに襲撃されて2人とも暗殺された事件です。

 

寺田屋と池田屋は旅館、近江屋は醤油屋でした。

 

まとめ

・池田屋事件は新選組によって池田屋に潜伏していた攘夷志士を取り締まった事件。

・この事件によって多くの攘夷志士が新選組によって斬り殺された。

・池田屋事件は坂本龍馬とは関係がない。

・池田屋事件によって長州藩が暴走し始めた。

・池田屋事件は新選組が攘夷志士を取り締まった事件。寺田屋事件は島津久光が攘夷志士を取り締まった事件。近江屋事件は坂本龍馬が暗殺された事件。




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