日本史の中でも古く、原始時代や古代と呼ばれる時代が「旧石器時代」「縄文時代」「新石器時代」です。
これら3つの時代はどれも石器を使っていたため、石器時代とまとめられます。
しかし、旧石器時代と新石器時代を比べると文明の違いは歴然としています。
今回は『旧石器時代、縄文時代、新石器時代の違い』の特徴を挙げながら簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
旧石器時代・縄文時代・新石器時代の「年代の違い」
旧石器時代は、人類が日本に来た頃~1万6000年前です。現在から最後の氷河期(ヴェルム氷河期)が終わったことで間氷期に移り、気候が温暖化し海面上昇した頃です。
縄文時代は、約1万5000年前から2300年前を指します。地質学的には更新世末期から完新世にかけて発展した年代です。
新石器時代とは、石器時代の最後の時代をさし、日本では弥生時代と呼ばれています。始まりは紀元前3世紀ごろで終わりは紀元後3世紀ごろです。
※日本史を解説するので便宜上、新石器時代は以後「弥生時代」と称します。
旧石器時代・縄文時代・新石器時代の「道具の違い」
①旧石器時代の道具
旧石器時代では石を打ち欠いて作った打製石器を使っていました。
ハンドアックス(石斧)、ブレイド(ナイフ形石器)、ポイント(尖頭器)、マイクロリス(細石刃)に分けられ、それぞれ狩りに使ったり採取に使ったりしていました。
また、一部だけ磨かれた局部磨製石器も作られました。
②縄文時代の道具
縄文時代では石器を用いた弓矢が発明され、これにより狩りをより安全にすると共に素早い動物も狩ることができるようになりました。
海沿いでは骨角器を使った漁労が営まれていました。
また、この時代には粘土をこねて野焼きにした後、縄目の模様を付けた縄文土器が作られました。
この縄文土器が作られると調理方法も増え、堅果類をアク抜きするために使ったり、煮炊きするためや貯蔵するために使われていました。
土偶も土器の種類で、信仰や祭祀のために使われました。
③弥生時代の道具
弥生時代では打製石器ではなく、朝鮮からもたらされた磨製石器を使うようなります。
調理に使ったり、木の伐採、穴を開けるのに使ったほか、石棒は祭祀のために使われましたし、石包丁は稲を穂首刈りするために使われました。
しかし、渡来人より鉄器が伝わると石器はあまり使われなくなりました。
鉄器ははじめは武器として使われていましたが、その後は農具や工具として使われるようになりました。
そして、やや遅れて伝わってきた青銅器。
銅剣や銅矛、銅戈についてははじめは武器として使われていましたが、その後は鑑賞用に変化していきました。
銅鐸も音を聞くためのものでしたが、その後は絵を描くなど鑑賞用になりました。
また、この時代には縄文土器に比べてシンプルな造りの弥生土器も作られました。
旧石器時代・縄文時代・新石器時代の「食生活の違い」
①旧石器時代の食生活
旧石器時代は主に狩猟中心で、ナウマンゾウやマンモス、ヘラジカを狩りしていました。
これらの大型哺乳類が絶滅するとノウサギやイノシシ、シカなど、中・小型哺乳類を獲物にしていました。
また、海沿いでは魚を食べていたとされています。
植物を食べていた痕跡はあまり見つかっていませんが、遺跡からクルミなどの木の実やミズキの種が出土したため、これらを食べていたとされています。
また、遺跡から火を使った痕跡があるため、肉を炙って食べたり木の実を焼いて食べていたと考えられています。
②縄文時代の食生活
縄文時代は四季に合わせて狩猟と採取を行っていました。
春には山菜や貝類、夏には漁労を中心に行い、秋は木の実を採り、冬に狩猟をしており、このように旧石器時代と違い、植物中心の食事でした。
これは獣を狩猟するより安全で確実だったためです。
また、ドングリなど木の実のアク抜きの技術や土器を用いた調理法も確立され、縄文時代には木の実で作られたパンやドングリ団子、クッキーが主食でした。
そして後期になると渡来人よりもたらされた稲作が始まります。
③弥生時代の食生活
弥生時代は稲作をはじめとした農耕で食べ物を獲得していました。
小麦、豆、粟、稗など穀物類からアンズ、モモ、カキ、スイカなどの植物も栽培し、縄文時代から引き続き肉、魚も食べていました。
また、伝統であるドングリ団子も食べられていました。
調理法も炊くだけでなく、蒸す方法も使われるようになりました。
旧石器時代・縄文時代・新石器時代の「住まいの違い」
①旧石器時代の住まい
旧石器時代の人々は簡素な作りのテントのようなものに住んだり、一時的に岩陰や洞穴も使っていました。
拠点遺跡、解体場遺跡、石器製作場遺跡が見つかったことや大阪のはさみ山遺跡から簡単な造りの竪穴式住居が見つかったことから、一定領域を獲物を求めて移動しながら住んでいたと考えられています。
②縄文時代の住まい
縄文時代では竪穴式住居を造り定住するようになりました。
これはマンモスなどの獲物が絶滅したため狩猟よりも採取が主になっていたためです。
貝塚とよばれる現代でのごみ捨て場のようなものや墓地も造られました。
後期には稲作も始まり、人々は協力して何十人かの集まりで暮らすようになります。これがムラの始まりです。
③弥生時代の住まい
弥生時代では引き続き竪穴式住居に住んだり、平地式住居に住むようになりました。
また、この時代には米を貯蔵しておく高床式倉庫が造られ、人々は集落の周りを環濠で囲んだ環濠集落や軍事的な意味合いを持つ高地性集落に住んでいました。
そしてムラ同士が戦争し、クニが形成。有名なのが邪馬台国で卑弥呼が王として君臨していました。
魏志倭人伝によると、魏の王から親魏倭王の称号、金印、三角縁神獣鏡、銅鏡100枚を下賜されていました。
邪馬台国では身分制度や租賦と呼ばれる税制度・法も整っていました。
まとめ
✔ 年代:旧石器時代は更新世末期から完新世初期、縄文時代は更新世末期から完新世を指し、弥生時代は紀元前3世紀ごろから紀元後3世紀ごろを指す。
✔ 道具:旧石器時代は打製石器を、縄文時代には縄文土器が発明され、弥生時代になると磨製石器から鉄器に変わっていき、青銅器は鑑賞用に変化した。弥生土器は実用的だった。
✔ 食生活:旧石器時代は狩猟中心だったが、縄文時代は狩猟と採取に変わり、弥生時代は栽培中心になった。
✔ 住まい:旧石器時代は移住しながらテントや岩陰、洞穴に住んでいたが、縄文時代になると竪穴式住居を作り、定住するようになった。弥生時代は竪穴式住居や平地式住居を造り、集団で住んでいた。