【鎌倉文化の特徴】わかりやすく解説!!代表的な建築・文学・絵画などの特色について

 

鎌倉時代、鎌倉幕府はよく耳にしますし、語呂合わせで覚えたため歳を重ねても覚えているという人は少なからずいると思います。

 

また鎌倉時代に活躍した人の名前も出てくるのではないでしょうか。

 

ところが、鎌倉文化となるとどうでしょう。

 

とくに建築や文学、絵画といったものになるとなかなか記憶として覚え難くなる分野かと思います。

 

文学はもしかしたら触れる機会も多いかもしれませんが、建築や絵画はなかなか難しいものです。

 

そこで、これだけは覚えておけば『鎌倉文化』を語られるようになる、そんな要点をまとめてみたいと思います。

 

鎌倉文化とは?

(源頼朝 出典:Wikipedia)

 

 

鎌倉文化とは、鎌倉時代の日本文化のことを指します。

 

年代でいえば、鎌倉幕府がはじまった1300年末期から1500年前半の鎌倉幕府が終わるまでの期間になります。

 

この鎌倉時代はこれまでの日本文化が大きく変わった時代でした。理由は、武家政権に移行したからです。

 

武士が頭角を現すと同時に、今まで支配していた貴族の力が低下していきます。しかし、公家や僧侶たちは、力を増して政権を握る武士の恩恵にあやかりたいと彼らの下につきます。

 

それはなにも都の武士の下とは限らず、力のある武士であれば地方の武士にも下る者もいました。

 

貴族から武士へと政権が変わったことで、次第に文化もかわっていきます。従来の伝統を受け継ぎながらも新しい文化を取り入れ、また庶民感覚を理解し反映したものへと移り変わりました。

 

鎌倉文化の特徴 

(男衾三郎絵詞 出典:Wikipedia)

 

 

鎌倉文化の特徴は、先にも述べたように武士が中心となり庶民感覚を反映させたことと、新しい文化の取入れになります。

 

なかでも中国文化の取入れには積極的でした。

 

当時の中国では民族の違いによって冷遇されるという差別が横行しており、日本へ亡命する者も少なくありませんでした。

 

そうした者たちから得られる新しい文化の取入れもありました。

 

亡命する者の中には若い僧侶もおり、1300年中期から1400年頃にかけて日本では新たな仏教の宗派が増えていったのも特徴のひとつといえるでしょう。

 

宗教に興味がなくても知っているであろう、日蓮宗・浄土宗・浄土真宗などはこの頃にできた宗派です。

 

鎌倉文化はほかにも新しいものを取り入れ進化していきます。

 

その代表が建築物であったり、文学、そして絵画だったのです。

 

鎌倉時代の建築の特色 

(東大寺 出典:Wikipedia

 

 

鎌倉時代の建築物といえば東大寺がとても有名です。

 

といっても東大寺は平安時代に建設されたものですが、平重衡に焼かれた経緯がありその再建築が行われたのが鎌倉時代になります。

 

かなり大掛かりで一大事業であったとされています。

 

さて、鎌倉文化の建築の特徴はいくつかに分類することができますが、大きくわけて2つに分けることができます。

 

ひとつは外来から取り入れた『新様式』、もうひとつは日本古来からある日本式様式です。

 

①新様式

鎌倉文化の建築、新様式とは外来の様式を取り入れた新しい様式のことです。

 

この新様式は二種あり、ひとつは大仏様、もうひとつは禅宗様といい、それぞれ使用された時期が違います。

✔ 大仏様 

大仏様を取り入れた工法の代表が東大寺になります。

 

東大寺の再建には復興資金を広く募り日本在住の中国の工人の協力のもと、短い工期でおこなわれる建築手法を取り入れました。この時に使用された建築手法を大仏様といいます。

 

大仏様の最大の特色は、大陸的な雄大さと豪放な力強さと言われています。

 

しかし、鎌倉文化以前の建築は優美さを重んじていたため、斬新な大仏様はなかなか受け入れられるものではなく、後継者が減り衰退していきます。

✔ 禅宗様 

禅宗様が取り入れられるようになったのは鎌倉時代中期ころです。

 

衰退した大仏様と入れ替わるようにして取り入れられた新様式といってもよいでしょう。

 

禅宗様が知られるようになったのは、禅宗寺院の建築などに使われるようになったからです。

 

禅宗様は中国の王朝の北宋に影響を受けています。鎌倉文化中期は中国の寺院建築様式が伝わってきたことにより、使われることが多くなりました。

 

大仏様と似た手法もあることから、鎌倉新様式と総称されることもあります。

 

禅宗様の最大の特徴は屋根が強い軒反りをしていることといえます。

 

現代では寺院建築の伝統的な様式のひとつとされています。

 

②日本的様式

日本的様式とは、鎌倉文化で新しく取り入れた外来手法ではなく、それ以前から受け継がれてきた日本古来の様式のことをさします。

 

日本的様式のひとつ和様は、禅宗様の屋根が強い軒反りをしているの対し、ゆるい屋根、穏やかな軒反りが特徴です。

 

奈良県の興福寺が鎌倉文化に建てられた代表のひとつです。

 

鎌倉時代の文学の特色

(平家物語絵巻 出典:Wikipedia)

 

 

鎌倉時代は武家が力を持ち始めたこともあり、軍記物語が流行りでした。

 

しかし公家は武家が活躍する軍記物に対抗する傾向にあり、反発心から優れた和歌集がではじめます。

 

鎌倉時代の文学の特徴は仏教の中核教義の無常観です。無常観のある物語といえば、冒頭の諸行無常で知られる「平家物語」があげられます。

 

鎌倉時代後期になると、公家で親しまれた和歌が庶民や僧侶の中で流行していきます。

 

この和歌が公家が親しんだ和歌と違うのは、数人で和歌を繋げていく連歌というものです。

 

ほかには鎌倉幕府によってつくられた歴史文学「吾妻鏡」、日記・紀行文学では「十六夜日記」「東関紀行」などがあります。

 

「徒然草」も鎌倉時代の随筆としてとても有名かと思います。

 

鎌倉時代の絵画の特色

(平治物語絵巻 出典:Wikipedia)

 

 

鎌倉時代の絵画の代表的なものは、平安時代から続く絵巻ものです。

 

絵巻とは、横長の紙などを水平方向に繋げ風景や物語を連続して描いたものです。

 

内容としては仏教の説話や合戦を題材にしたものですが、鎌倉時代の絵巻物の最大の特徴は、人物の肖像画がではじめたことです。

 

合戦絵巻の代表といえるのが、肥後国の武士であった竹崎季長が自身の活躍を遺し伝えたいために描かせたといわれる「蒙古襲来絵詞」です。

 

 

(蒙古襲来絵詞 出典:Wikipedia)

 

 

人物の肖像画のことを、鎌倉時代では似絵と言っていました。

 

代表的な作品は、藤原信実(鎌倉時代初期から中期にかけての公家・画家)が描いたとされている「後白河上皇像」。

 

藤原信実の子が描いたとされている「親鸞上人像」があげられます。

 

そのほかの特色 

(刀鍛冶 出典:Wikipedia)

 

 

鎌倉時代は武士の時代であったことからも、鎌倉文化の工芸にも新たな傾向があらわれ、武具の生産が盛んになります。

 

甲冑に至っては、鎌倉時代後期になると必勝祈願などで神社に奉納することが流行っていきます。

 

次第にそれが定着し今の時代まで保管されることが叶ったといえます。

 

また刀剣でも名刀といわれるものが多くつくられ、そして今の時代に残されています。

 

鎌倉時代には名をのこすほどの著名刀工がいました。派でいえば長船派・来派・青江派・福岡一文字などが有名で、個別では長船派の光忠、鎌倉の正宗・景光がよく知られています。

 

また、長船派の光忠といえば、燭台切光忠(伊達政宗が所有していた)が有名ではないでしょうか。

 

まとめ

 鎌倉文化とは鎌倉時代の日本の文化のこと。

 鎌倉文化の建築は、大仏様・禅宗様・日本的様式の3つに大きくわけられる。

 鎌倉文化の文学は軍記物語が主流だが、後期になると連歌が庶民たちの間で流行する。

 鎌倉文化の絵画は絵巻物がピークを迎え、合戦絵巻・肖像画が中心となる。

 鎌倉文化では名刀も多く、多くの著名刀工(長船派の光忠など)がでてくる。