地球が誕生してから約46億年の間で、人類が活動していたのはごくわずかな期間でしかありません。
それ以前も含めて地球の歴史を考える場合には、地質時代という時代区分が使われます。
今回は、地質時代の中でも、特に『更新世と完新世の違い』について、簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
更新世と完新世の違い
(地質時代のタイムスケール 出典:Wikipedia)
更新世と完新世はどちらも地質時代の区分の一つです。
約258万年前から約1万1700年前までの時代を更新世、それ以降の現在に至るまでの時代を完新世と呼びます。
更新世は地球全体で4回の氷期と3回の間氷期を繰り返した氷河時代でした。
厳しい環境の中で動植物が生き残りを賭け、高度な知能をもった人類が現れたのも、この時期です。
そして完新世になると氷期が終わり、地球は温暖な気候になりました。
この時期には動植物の数と種類が増え、人類が台頭していきました。
地質時代とは?
(地質学時標図 出典:Wikipedia)
そもそも地質時代とは何なのか、ということから見ていきましょう。
地質時代とは、地球誕生後に地殻が形成されてから現在までの歴史を区分した時代のことで、「地質年代」とも言います。
その時代区分には、大区分・中区分・小区分の3段階があり、地層の成分や地層に含まれる古生物の化石の種類によって決められています。
なお、地層の多くは海底に堆積したものであるため、化石として出てくる古生物は主に海洋生物です。
①地質時代の大区分
地質時代は、冥王代、始生代、原生代、古生代、中生代、新生代の6つに分けられます。
6つの大区分
- 冥王代は、地球が誕生した約46億年前から約40億年前までの時代。
この時代に地殻が形成されました。
また、地表には海ができて海の中で最初の生物が誕生しました。ただし、生物といっても細菌やラン藻など、核と細胞質が区別できないような下等な原核生物でした。
- 始生代は、約40億年前から約25億年前までの時代です。
この時代には、原核生物の中から核と細胞質が区別できる真核生物が登場しました。
- 原生代は、約25億年前から約5億7500万年前までの時代です。
ラン藻類の光合成によって大気中の酸素が増えたことで、原始的な多細胞動物が出現し、発展しました。
原生代後期には、原生動物、海綿動物、腔腸動物、環形動物、節足動物が現れました。
ここまでの冥王代、始生代、原生代の三つをまとめて、先カンブリア時代と呼びます。
- 古生代は、約5億7500万年前から約2億4700万年前までの時代。
この時代には、生物の種類と数が急激に増えました。
特に古生代の初めに当たるカンブリア紀には、無脊椎動物のほとんどの門(生物分類上の大区分)が出揃いました。これをカンブリア爆発と言います。
古生代の生物としては、三葉虫やフズリナが有名です。
- 中生代は、約2億4700万年前から約6500万年前までの時代。
陸上では、大型のハチュウ類やソテツなどの裸子植物が繁栄し、始祖鳥をはじめとする鳥類、ネズミの仲間などのホニュウ類のほか、被子植物も現れました。
海中では、アンモナイトや二枚貝が登場し、恐竜が活躍したことで有名なジュラ紀や白亜紀も中生代に含まれます。
- 新生代は、約6500万年前から現在までの時代。
恐竜やアンモナイトなど、中生代に栄えた生物たちは絶滅し、陸上ではホニュウ類全盛の時代になりました。
また、海中では特に有孔虫、巻貝、二枚貝、硬骨魚が発展しました。
②新生代の区分
新生代は第三紀と第四紀に分けられます。
このネーミングは、かつて地質時代を第一紀〜第四紀に分けたことに由来します。
ただし、現在では第一紀と第二紀という名称は消え、第三紀と第四紀だけが残っています。
第三紀は、約6500万年前から約258万年前までの時代。中生代に栄えたハチュウ類に代わって、ホニュウ類と鳥類が繁栄し始めました。
特に胎盤をもつホニュウ類が急速に発展したのが特徴で、植物では中生代に全盛期を迎えていたシダ植物が急激に減り、針葉樹や被子植物が発達しました。こうした生物種の中には現在まで続いているものもあります。
また、地殻変動を通して、アルプスやヒマラヤといった大山脈が形成されたのも、この時代です。このような地殻変動をアルプス造山運動と呼びます。
第三紀はさらに暁新世、始新世、漸新世、中新世、鮮新世に区分され、最初の三つをまとめて古第三紀、残りの二つで新第三紀と呼びます。
かえって最近では第三紀という名称よりも、古第三紀と新第三紀という名称の方が公式な用語として使われています。
第四紀は、約258万年前から現在に至るまでの時代。この区分の始まりの時期は、これまで約181万年前からとされてきましたが、2009年に「第四紀」の定義が正式に変更されたため、現在では約258万年前からとなっています。
教科書や事典によって記述が異なっているのはこのためです。
第四紀の最大の特徴は、人類が発展したこと。そのため、第四紀は人類紀とも呼ばれます。
また、現在のほとんどすべての生物種は、この時代に確定しました。
第四紀はさらに更新世と完新世に区分されます。
更新世は、約258万年前から約1万1700年前までの時代、完新世は約1万1700年前から現在に至るまでの時代です。
更新世について詳しく
(シベリアで発見されたケナガマンモス 出典:Wikipedia)
では、更新世とはどのような時代だったのでしょうか?
①気候の変動
更新世には寒冷化と温暖化が交互に起こり、4回の氷期と3回の間氷期がありました。
氷期には気温が急激に低くなり海水が凍ったため、氷床や氷河が拡大し海水面が低下しました。
逆に、間氷期には比較的温暖になったため、氷床や氷河が解けて海水面が上昇しました。
現代科学では、こうした変化は酸素同位体の比の変動を調べることで、推定することができます。
②生物
生物の種類は、現在と共通している部分が多く見られますが、更新世に繁栄した陸生動物の中にはマンモスやケナガサイなど絶滅した種類もあります。
中緯度地方の地層を見ると、寒冷な気候を好む生物の化石と、温暖な気候を好む生物の化石が交互に見つかることから、気候の変動に合わせて、広範囲で生物の移動が起こっていたことが分かります。
それは、単に気温の変化だけでなく、海水面の変動によって生息地を変えなければならなかったためでもありました。
③人類
更新世はほぼ旧石器時代に相当します。
人類は狩猟と採集を通して食料を獲得し、氷河期を生き延びました。
かつて「最古の人類」とされていたアウストラロピテクスやホモ=ハビリスなどの猿人が登場したのも、更新世の初期です。
ただし現在では、直立二足歩行する霊長類が誕生したのは、更新世よりもさらに前で今から約700万年前のアフリカであると考えられています。
④別名「洪積世」と呼ばれる理由
更新世はかつて「洪積世(こうせきせい)」とも呼ばれていました。
洪積とは洪水による堆積物のことですが、かつて北欧の氷河堆積物が洪積層と名付けられていたことから、氷河時代であった更新世の別名として洪積世という名称が使われていました。
しかし、現在その名称は国際的には使用されていません。
完新世について詳しく
次に、完新世とはどのような時代だったのかを詳しく見ていきましょう。
①気候の変動
更新世末期の最後の寒冷期(ヤンガー・ドリアス寒冷期)が終わると、長期的で大規模な温暖化が始まりました。
これを完新世の始まりとします。
完新世には急激な温暖化により、氷床や氷河が解け、世界的に5メートル前後の海水面上昇が起こりました。
特に今から約7000年前には、現在よりも温暖化していたため、海水面の高さは今よりも約3メートル高かったと推定されています。
その後、海水面がやや低下して現在の位置になりました。
海水面が上昇したことによって、それまで陸上の低地にあった河川に海水が流れ込んできて、河川の堆積物の上に海の堆積物が重なるという事態も起こりました。
②生物
温暖化により生物の種類と数が大幅に増え、生息分布もしだいに現在の状態に近づいていきました。
陸上では特にホニュウ類の進化が顕著でした。
③人類
更新世を生き延び、世界中に分布範囲を広げた人類は完新世になって気候が温暖になると、それまでの狩猟と採集に加えて、農業を始めました。
そのため、完新世はほぼ新石器時代と対応しています。
農業によって安定的に食料を得ることができるようになった人類は、人口を爆発的に増加させ、文明を発達させていきました。
④別名「沖積世」と呼ばれる理由
完新世はかつて「沖積世(ちゅうせきせい)」と呼ばれていました。
この名称は、洪積層が侵食されてできた谷を埋める堆積物の層を沖積層と呼んだことに由来します。
しかしその後、沖積層の下半分が更新世に形成されたことが明らかになったため、沖積世という名称は国際的には使われなくなりました。
まとめ
✔ 更新世と完新世は地質時代の区分の一つ。
✔ 更新世は約258万年前から約1万1700年前までの時代のことで、4回の氷期と3回の間氷期を繰り返した氷河時代だった。
✔ 更新世には、厳しい環境の中で動植物が生き残りを賭け、高度な知能をもった人類が現れた。
✔ 完新世はそれ以降の現在に至るまでの時代のことで、氷期が終わり、地球は温暖な気候になっていった。
✔ 完新世になると、動植物の数と種類が増え、人類が台頭していった。