全世界を巻き込んだ第一次世界大戦が終わり、翌年の1月パリ講和会議が開かれ、ドイツと連合国の間にヴェルサイユ条約が結ばれました。

 

近現代史はいろんな事情が複雑に絡み合い、理解しにくい!

 

そんなときは一つの条約、一つの事件に的を絞って背景や影響を調べてみると理解しやすくなります。

 

今回は、『ヴェルサイユ条約』についてわかりやすく解説していきます。

 

ヴェルサイユ条約の主な内容

・ドイツの領土割譲

・植民地の放棄

・賠償支払い

・軍備の制限

・国際連盟の設置

 

世界史的にはこれで十分なのですが、日本史学習者はこのほかに山東省のドイツ権益および南洋諸島の委任統治権を日本が引き継ぐことになった、ことを覚えておきましょう!

 

ここからは、ヴェルサイユ条約について掘り下げて詳しく解説していきます。

 

ヴェルサイユ条約締結の背景

(パリ講和会議の各国首相の様子:左からロイド・ジョージ英首相、オルランド伊外交官、クレマンソー仏首相、ウィルソン米首相

 

 

ヴェルサイユ条約は米英仏をはじめとする連合国とドイツの間で交わされた、第一次世界大戦の戦後処理を定めた条約です。

 

1919年の1月に始まったパリ講和会議はいくつもの問題を処理するために4月いっぱいまで続き、ドイツ側に条約の内容が渡されたのは5月でした。

 

その後、ドイツ側の検討を経て6月に条約が締結されています。

 

①会議の中心はウィルソン米大統領

アメリカの大統領ウィルソンはパリで熱狂的な歓迎を受けました。公正な仲介者として期待が高かったのです。

 

彼は世界大戦中から和平を模索し続け、「14か条の平和原則」を公表して「民族自決」「秘密外交の廃止」「国際連盟の設立」などを打ち出しました。

 

この14か条の原則はドイツの降伏を引き出し、講和会議はこの原則をベースにすることになりました。

 

②ウィルソンの14か条の原則

大戦での被害が少なかったアメリカに対して、被害の大きかった英仏がこの「14か条の原則」に対して「原則賛成、細目反対」で抵抗し、「公正な講和」を目指した本来の内容からずいぶん変わってしまいました。

 

しかし、第14条の「国際連盟の設立」はそのまま受け継がれ、1920年に国際連盟が設立されています。

 

③日本側の全権主席は西園寺公望

ヴェルサイユ条約に先立つパリ講和会議には何人もの日本人が出席しています。

 

日本は5大国(米英仏伊日)の一つとして参加しており、全権主席は元首相の西園寺公望、全権大使に牧野伸顕、のちに首相となる近衛文麿、吉田茂も出席しています。

 

米英仏は現職の首相や大統領が出席していますが、日本はパリまで30日かかることから元首相の出席になりました。

 

ヴェルサイユ条約の内容

(ヴェルサイユ条約の調印式 出典:Wikipedia

 

 

ヴェルサイユ条約では主に以下の5つについて決められました。

 

①ドイツの領土

鉄鉱石の豊富なアルザス・ロレーヌ地方はフランスに取られ、石灰が多く取れるザール地方は国際連盟の管理下におかれました。

 

ドイツの失った国土は10パーセント以上、オーストリアとの合併も禁じられました。

 

また、アフリカや南洋諸島にあった植民地はすべて手放すことになりました。これらの植民地は、連合国が受任先となる委任統治領になっています。

 

②ドイツが払う賠償金

アメリカは賠償なしで決着をつけたかったのですが、大戦中に大きな被害を受けたフランス大統領クレマンソーの怒りはすさまじく、賠償金は支払われることになりました。

 

のちの賠償金会議で決まった金額は1320億金マルクという途方もない金額でした。

 

③ドイツの軍備

ドイツの軍備は大きく制限されました。

 

陸軍は10万人まで、海軍も艦隊が大きく削減され、潜水艦は持つのも作るのも禁止されました。

 

また、航空機も100機の保有しか認められず、作ることも禁じられました。

 

④山東省の権益のゆくえ

交渉の甲斐あって日本に帰属することが決まりました。

 

ところがこの情報が5月に伝わると中国国民が大反対しました。(五・四運動

 

 

⑤国際連盟の設立

アメリカ大統領のウィルソンが設置を求めていた国際平和機構、国際連盟の設置が定められました。

 

これに基づいて1920年に国際連盟が発足しました。

 

 

山東省のドイツ権益

(ヴェルサイユ条約英語版の原本)

①大戦中のアジアの戦い

第一次世界大戦中の戦いはヨーロッパがメインでしたがアジアでも小規模な争いがありました。

 

ドイツ軍と日本軍が中国で戦った青島での戦いです。

 

日本軍はイギリスの要請で青島のある山東省に攻め入り、青島を占領。ついでに鉄道も支配し、山東省全体を支配下に置きました。

 

侵攻の理由は「ドイツ租借地である青島を中国に返還するため」ですが、青島占領後も日本軍は中国に居残っていました。

 

②パリ講和会議での話し合い

青島や鉄道など山東省のドイツ権益については・・・

 

「もともと中国に返還する目的でドイツから奪ったのだから、直接中国に返したらいい」という中国やアメリカの主張と、「いったん日本に渡してくれれば中国に返しますよ」という日本の主張が対立し、非常にもめましたが日本の主張が通りました。

 

条約には山東省の権益を日本に渡すと明記されました。

 

しかし、中国で大きな反対運動が起き(五・四運動)、中国政府がヴェルサイユ条約を否認しました

 

山東問題は2年後のワシントン会議に引き継がれ、山東省の権益は中国に返すことになりました。

 

 

③南洋諸島

ドイツの植民地はすべて放棄され、国際連盟が受任先を決める委任統治領になりました。

 

日本は南洋諸島の委任統治権をもらい、南洋への足掛かりを得ました。

 

ヴェルサイユ条約のその後

 

ヨーロッパではドイツやオーストリアの支配下にあった国々が次々と独立し、天然資源の産出地と植民地を取られたドイツは力を失いました。

 

ヴェルサイユ条約のもたらした新しい世界秩序をヴェルサイユ体制と呼びます。

 

ヴェルサイユ条約の問題点

 

第一次世界大戦は、各国にとって多数の死者と多額の戦費をつぎ込んだ戦いでした。

 

米大統領ウィルソンは講和にあたって「賠償金なし」を唱えていましたが、英仏は戦費を賄うためアメリカから借金をしていたので、賠償金なしではお金を返す当てがありませんでした。

 

このため、多額の賠償金をドイツに要求したうえ、天然資源の産出地を連合国側の領土にしてしまいます。

 

あまりにもひどい条件に、この講和会議に参加したイギリスの経済学者ケインズは、著書の中で”これでは再び戦争が起きる!”と予言しています。

 

予言は当たり、賠償金の返済にあえぐドイツはこのあと長い不況に陥り、最終的にはナチスの台頭を許して第二次世界大戦へと突入するのです。

 

 

まとめ

 ヴェルサイユ条約は第一次世界大戦後のドイツと連合国の講和条約のこと。

 条約の別名はパリ講和条約。

 日本は山東省のドイツ権益と南洋諸島の委任統治権を得た。

 ヴェルサイユ条約に沿って1921年に国際連盟ができた。

 ドイツへの多額の賠償金・世界不況によって、その後のドイツ国内ではナチスが台頭。第二次世界大戦のきっかけとなった。

 

ヴェルサイユ条約の語呂合わせ

 

行く行くヴェルサイユ!!

(1919)

 

おまけ。賠償はお金だけじゃない!

ドイツに多額の賠償金が課せられたのはよく知られていますが、賠償はお金だけではありません。

 

1600トン以上の船舶や漁船、トロール船の一部、セメントやガラス、レンガ、木材、機械なども物納を求められました。

 

また、ベルギーやフランスにウシやウマ、ヤギ、ヒツジを物納することが求められました。

 

戦争でやられたフランスは本当に怒っていたんでしょうね・・。

関連キーワード