【屈葬が伸展葬になった理由】なぜ縄文時代から弥生時代で埋葬方法が異なる?徹底解説!

 

埋葬方法の違いは、その時代の人々の「死」に対する意識の違いが反映していると言えます。

 

現在の日本ではほとんどが火葬した後に埋葬していますが、縄文時代や弥生時代は土葬でした。

 

まだ仏教のような宗教がなかった縄文時代や弥生時代にも、亡くなった人を埋葬する習慣はすでにありましたが、その方法には違いがありました。

 

今回はその埋葬方法がなぜ変わったのか詳しく解説していきます。

 

屈葬・伸展葬とは?

 

 

屈葬は主に縄文時代に行われていた、死者の身体を曲げた形で埋葬する方法です。

 

伸展葬とは弥生時代以降に行われた、死者の身体を伸ばして寝ているような形で埋葬する方法です。

 

ここからは縄文時代から弥生時代までの埋葬について順を追って詳しく解説していきます。

 

縄文時代の埋葬

(屈葬 出典:Wikipedia

①屈葬はどんな形?

縄文時代は穴を掘って直接遺体を土葬する形で埋葬していました。

 

屈葬は穴を掘ったところにまるで体育座りをしているように手足を曲げて、身体を丸めた形で埋葬します。

 

身体の向きには特に決まりはなく、上を向いていたりうつ伏せになっていたり、横向きのものや正座をしたりあぐらをかいているような向きのものもあります。また子供は甕の中に身体を曲げた形で納める甕棺墓という墓から見つかることがあります。

 

埋葬場所は住居跡近くが多く、特に東日本の環状集落跡には環状に並ぶ住居の真ん中付近に埋葬された跡が見つかることが多いことから、当時は死者と日常生活が身近だったようです。

 

なお、屈葬は日本以外ではアフリカとオセアニアの一部で見られるくらいで、その他の地域ではあまり見られない埋葬方法です。

 

②なぜ屈葬を行ったのか?

当時は土葬だったので、現在のように棺に納めず、直接地面に穴を掘って遺体を埋葬しました。

 

そのため、遺体を伸ばすよりも曲げた形で埋葬した方がコンパクトな穴で済むという点で、屈葬は理にかなった方法だったように思われます。

 

そしてその身体を丸めた姿はまるで胎児がお母さんのお腹にいるのと同じような格好です。

 

そのことから死者が再び生まれ変わることを願ってこのような姿勢で埋葬したという説があります。確かに、人は皆この姿勢から生まれてきたことを考えると、本能的に安らかな気持ちになるような姿勢なのかもしれません。

 

そのため死者が安らかに眠ることを願ってこのような姿勢にしているという説もあります。

 

また、縄文時代の人々はこのような格好で普段から眠っていたのではという説もあります。

 

③現在の最有力説

ところが現在有力になっている説は少し違います。

 

むしろ逆の考え方で、当時の人は、死者に悪い霊が乗り移って浮遊し、生きている人を襲ったり、災いを起こすことがあると信じていました。

 

それを恐れた人たちが、遺体を折り曲げて埋葬することによって死者の魂の浮遊を防いだのではと考えられています。

 

その根拠として、屈葬されている遺体の中には重しとして石を抱いているものや縛りつけられているものが見られます。

 

確かに、生まれ変わりを願ったり安らかに眠ることを願っていたのならば、重し石を置いたり縛りつけることは考えにくいですね。

 

また当時は当然医療などがありませんでした。お母さんのお腹の中で胎児がどのような姿勢でいるかを知る術はなかったはずです。それなのに母胎を再現するというのは不可能でしょう。

 

ただ、落ち着いて眠らせることで、魂を浮遊させないようにしたというように考えることは可能です。

 

弥生時代の埋葬

(伸展葬 出典:画像引用元

①伸展葬はどんな形?

屈葬による埋葬は弥生時代に入ると減少します。

 

その代わりに縄文時代後期頃から西日本をはじめに、身体を伸ばして寝ているような形で埋葬される方法が広まりました。この埋葬方法を伸展葬と言います。

 

伸展葬についても身体の向きは様々で、仰向けのものやうつ伏せのもの、腕をまっすぐ下した状態や胸の上に置いたものなどがあります。

 

それまでの地面に掘って直接埋めていた方法から、掘った土の中に現在の棺のように木や石で囲われた空間を作り、その中に寝ているように埋葬されることが多くなりました。

 

また埋葬場所は縄文時代と比べると、住居のあったところから少し離れた墓地のようなところに埋葬するようになりました。生活空間と埋葬場所が切り離されるようになったようです。

 

②なぜ伸展葬を行ったのか?

もともと伸展葬は中国大陸で用いられていた埋葬方法です。

 

弥生時代になって渡来人がやって来るようになったと同時に、伸展葬が広まるようになったと考えられています。渡来人は日本にやって来て、いろいろなものをもたらしました。おそらく日本に来て亡くなってしまう渡来人も少なくなかったでしょう。

 

そういった人の埋葬方法が次第に日本人にも取り入れられるようになったのです。

 

伸展葬が行われるようになった理由は、稲作の伝来が大きく影響していると言えます。農耕を始めるようになったことで、あちこちに移動しなくても食糧を得られるようになった人々は定住を始めます。

 

すると人々の中でコミュニティが生まれ、同時に身分差も生まれるようになります。身分の高い特権階級の人が亡くなったときに、それまでとは違って規模の大きな「墓」を作って埋葬するようになります。

 

そのため初期の伸展葬は身分の高い人に対して行われていました。それが次第に全国的に広まり、一般の人も行うようになるのです。

 

また埋葬方法が伝わると同時に大陸の人々の考え方ももたらされ、結果それまでの死者の霊が浮遊するという考え方が衰退し、死者を安らかな形で埋葬しようと考えるようになったようです。

 

なぜ縄文時代から弥生時代で埋葬方法が変わったのか?

屈葬が伸展葬になった理由①

先ほども述べた通り、伸展葬は渡来人が中国大陸からもたらした埋葬方法だと考えられます。

 

そのため渡来人が多くいた地域から少しずつ埋葬方法が変化しました。一方、渡来人が少ない地域は弥生時代以降も依然として屈葬を行なっていました。

 

初期の伸展葬は特に身分の高い人を埋葬する際に行っていたので、身分の高くない人は屈葬を行うことが多かったと考えられています。

 

屈葬が伸展葬になった理由②

また埋葬技術という点から考えると、屈葬が直接地面に穴を掘っていたのに対し、伸展葬は石や木で棺のような空間を作っていたことから、埋葬に手間をかけるようになったことが分かります。

 

弥生時代も中期以降になると埋葬した周りに溝を掘ったり、上に目印となるような石や壺を置くなどして、現在の墓地の形に近づいてきました。

 

権力者の墓は少しずつ巨大化するようにもなり、それがのちの古墳が作られる流れとなりました。

 

まとめ

・屈葬とは、縄文時代に主に行われていた埋葬方法で、地面に掘られた穴の中に身体を丸めるように手足を折り曲げて埋葬される。

・伸展葬とは、弥生時代以降に主に行われるようになった埋葬方法で、地面に掘った穴を木や石で覆った棺のような空間に、手足を伸ばして寝るような形で埋葬される。

・屈葬の姿勢は死者に悪い霊が乗り移って浮遊するのを恐れた人々が、死者の手足を曲げたり石を抱かせたり手足を縛ることで浮遊させないようにしていると考えられている。

・伸展葬の姿勢は渡来人が訪れるようになった弥生時代から、他の事物と同様にもたらされ、次第に全国に広まった。

・埋葬場所が穴を掘って直接埋葬する方法から、木や石で棺のような空間を穴の中に作り、その中に遺体を納めたことから、身体を伸ばして安置するようになったと考えられている。