【縄文時代の生活】食べ物や服装・道具・言葉・家などの暮らし&文化の特徴を紹介!

 

縄文時代といえば?と聞かれると縄文時代の名前をよく知る人でも意外と答えに詰まるってしまうものではないかなと思います。

 

そこで今回は当時の暮らしぶりから『縄文時代の生活』について理解を深めていきましょう。

 

縄文時代とは?

 

 

そもそも縄文時代とはどんな時代なのか改めて振り返ってみましょう。

 

まず縄文時代とは今から約14000年前~紀元前4世紀頃までの約1万年ほどの時代区分を指します。

 

具体的な出来事で言えば縄文海進という海水面の上昇による温暖化から稲作が伝来するまでの期間であると考えられている。

 

①食生活の移り変わり

それまでの旧石器時代は約2万年前をピークにした氷河期といわれる時代でした。人類は打製石器を使いマンモスをはじめとした大型草食動物を主な食料とし追いかけながらの移住生活でした。

 

気候が温暖化すること自然が豊かになり狩猟が主だったところにクリやクルミなどの木の実や山菜、きのこなどを採取できるようにもなりました。また、氷河期後の陸上動物も多くはなく海産類も生活の糧にするようになりました。

 

その証拠に今に残る縄文時代の遺跡では東京都品川区にある大森貝塚をはじめとした貝塚が幾層にも折り重なっているものが多く発見されています。

 

貝塚とは縄文時代のゴミ捨て場のことで貝類や動物、魚の骨や壊れた土器、石器などの道具までも捨てられていました。

 

②縄文時代が1万年も続いた理由

 

 

縄文時代は1万年もの長きにわたり続いたのは3つの理由が挙げられます。

 

長く続いた理由

 

温暖化した気候

 

島国文化により他文化の影響を受けなかった

 

争いがなかった

 

 

縄文時代は温暖な気候と豊かな自然の恩恵を得られました。温暖な気候により動植物が増加したため食料の確保が容易になったことが理由の1つとして挙げられます。

 

そして温暖な気候になったことで海水面は上昇しそれまで陸続きだった日本列島は島国となりました。

 

その結果大陸からの文化が入ってくることがなく独自の文化を形成していったのです。実際に縄文時代のおわりの転機は稲作の文化が入ってきたことが挙げられます。

 

更にこれは驚くべきことですが縄文時代の遺跡からは争いの形跡が見つかっていません。

 

つまり縄文時代の人々はほとんど争いがなく気候に恵まれたため穏やかな文化を持っていたのです。

 

縄文時代の道具

(縄文中期の火焔型土器 出典:Wikipedia

①縄文土器

縄文時代の道具といえばまず縄文土器が思い浮かぶと思います。

 

縄文土器は表面に縄を転がしてつけた紋様の入った土器のことをいいます。また、この土器の名前から縄文時代の名前が付けられることになりました。

 

この土器は多様な大きさ、器種、装飾的な文様がありその使用目的は食料の調理や加工、祭事目的と多岐に渡っていたと考えられている。

 

土器の登場により火を用いた食料の煮炊きや木の実のアク抜きが可能となったため食べることのできるものが多くなりました。

 

②石器

(様々な磨製石器 出典:Wikipedia

 

 

狩猟と採取を主な食料資源にしていた縄文時代では旧石器時代同様に石を打ち砕いて使用された打製石器が使用されていました。

 

更に打製石器を磨いて作った磨製石器もこの時代から使われるようになりました。

 

これらの道具は主に狩猟や調理で使われており特に磨製石器は石棒や石剣が作られ祭事用の道具としても使われていました。

 

③弓矢や漁労具

旧石器時代では大型動物を主な食料としていたため投げ槍や突き槍が主な狩りの道具とされていましたが、縄文時代では温暖化したことによりイノシシやシカをはじめとした中型動物が主な食料に変わりました。

 

大型動物より素早く動く中型動物を捉えるために弓矢を使った狩りが行われるようになったのです。

 

また、海産資源の確保のために漁労具も開発されました。

 

④丸木舟

実は縄文時代の人々は船を使っていました。

 

船といっても大きな木を火で焦がしながら石器でくり抜いた丸木舟と呼ばれる船です。

 

しかしこの丸木舟、大きいもので全長7メートルを超えるものが発見されています。このことから海産資源も海岸沿いや岸辺のみではなく沖での漁が行われていたと考えられます。

 

また、海を渡ることが出来るので交易も可能だったことを物語っています。

 

縄文時代の服装

 

 

縄文時代の人はどんな服を着ていたのか?

 

実は縄文時代の衣服は見つかっていないのです。

 

これは動物の皮あるいは植物性の衣服であったため現代まで残ることは難しいと考えられているためです。

 

しかしいくつかの手掛かりはあります。

 

①土偶の服

縄文時代には土器の他に土偶も作られていました。

 

この土偶は筒状の上着と今でいうズボンを履いています。

 

この衣服は毛皮ではなく布をイメージして作られていると考えられています。

 

②布の発掘

宮城県山王囲遺跡などで編布や縄、ひもが発掘されています。

 

これにより麻、カラムシのような植物繊維を使って作られていたことがあきらかです。

 

③土器の布紋

土器の中には布紋が付いたものが発見されています。

 

上記のことから縄文時代では植物繊維を使った布製の衣服を着ていたのではないかと想像することが出来ます。

 

縄文時代の言葉

 

 

縄文時代の言語は様々な説はあるものの服装同様はっきりとわかっていません。

 

それは当時の文献や資料といったものが発見されていないからです。

 

しかし集団生活をしていた縄文時代にもなにかしらの言葉はあったと考えられています。その1つが日本語の起源説です。

 

世界各地にある多くの言語は祖語といい系統を同じにする言語が多く存在します。

 

しかし、日本語には祖語を共有する言語が見つかっていません。

 

その理由として温暖化により島国であり独自の文化であったためと考えられています。

 

縄文時代に話されていたので縄文語としたとし、その後の大陸文化伝来とともに形成されていったという説です。

 

縄文時代の家

 

 

縄文時代ではそれまでの移動型の生活から定住型の生活へと変わりました。

 

定住した場所は「ムラ」と呼び、複数の血縁関係にある人々でまとまって生活する氏社会が形成されました。

 

定住するようになった縄文時代の人々は住まうための住居、地面を振り柱を立てた上に植物で作った屋根を被せた竪穴式住居と食料を保存する高床式倉庫が作られていました。

 

この竪穴式住居と高床式倉庫の登場によって「ムラ」での安定した生活が出来ていたことが考えられています。

 

三内丸山遺跡

(三内丸山遺跡 出典:Wikipedia

 

 

青森県には1992年に発見された三内丸山遺跡という遺跡があります。

 

三内丸山遺跡では縄文時代当時の「ムラ」が再現されており、当時の暮らしぶりを見ることができます。

 

この三内丸山遺跡は野球場の建設工事を行っていた際に見つかりました。当時考えられていた縄文時代の文化を塗り替えるほどの広さと巨大さから野球場の建設は中止され遺跡保護されることになりました。

 

それまでの縄文時代の暮らしは旧石器時代と同様に狩猟を中心とした移動型ないしは長期定住は行っていないと考えられてきました。

 

しかし、三内丸山遺跡で発見された貝塚は幾層にも積み上げられた層を形成しておりその年代は1500にも及ぶことが分かりました。更に多数の墓も発見されたことから三内丸山遺跡で世代交代が行われていたことの証明となりました。

 

まとめ

 縄文時代の生活は温暖な気候によって狩猟と採取による定住型の生活をしていた。

 土器の発明により食料の調理、火の使用が行われた。

 縄文時代の服装や言語などまだわかっていないこともある。

 三内丸山遺跡の発見によりそれまでの縄文時代の考え方が覆った。

 

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