オランダ風説書とは江戸時代中期、日本にあるオランダ商館長がまとめた海外の情報の報告書です。

 

オランダ風説書の影響は当時の日本でも大きなものとなっており、鎖国をしていた日本が世界から大きく遅れることなく技術や文化を発展させることができた要因になっているものです。

 

今回は、この『オランダ風説書』について詳しくお話していきます。

 

オランダ風説書とは

 

 

オランダ風説書とは、江戸時代にオランダ商館長に提出してもらっていた海外の情報報告書です。

 

長崎奉行所から、幕府に提出されていました。

 

オランダ風説書の中身はオランダの貿易船がいつ出発し、どこに立ち寄り、途中で船に出会ったかどうか、いつ到着したのかといった『定期報告の部分』『海外情勢についてまとめた部分』とに分かれています。

 

このオランダ風説書により日本では蘭学が発達し、医学の分野が進歩しました。

 

オランダ風説書の背景と目的

(川原慶賀「唐蘭館図 蘭船入港図」 出典:Wikipedia

①オランダとの貿易まで

オランダ風説書が作られるようになった背景は江戸時代の貿易と関係しています。

 

江戸時代の初期に日本はポルトガルとスペインと交易がありました。しかし、この交易を断ちます。

 

理由は、ポルトガルとスペインはキリスト教の普及をおこなっていたからです。

 

キリスト教を江戸幕府は認めませんでした。なぜなら、士農工商という身分制度が日本にはあったからです。

 

 

キリスト教の世界では人類は皆平等というのが原理原則です。そのため、キリスト教の考え方が国内に入ることを恐れたのです。また、外国からの侵略に備えていたという説があります。

 

この時、欧米はアジアへの進出を考えていました。そこで、日本が他国からの支配を受けないように、影響力のあるキリスト教の普及を止めました。

 

もし、キリスト教が力を持ち、その普及した国が日本を支配しようとした場合、内側である日本国内からも敵が現れると考えてのことでした。

 

そこで、キリスト教の普及をおこなわない国として、新たにオランダと交易を開始することになります。オランダが寄港することができたのは、長崎県の出島です。

 

オランダは西洋で唯一交易権を与えられた国だったために交易を開始するにあたって幕府からは外国の情勢がわかるオランダ風説書の提出を義務づけました。

 

②オランダ風説書を提出させた理由

(徳川家光 出典:Wikipedia

 

 

オランダ風説書を提出させた目的は、当然外国の情勢を知るためです。

 

三代将軍の徳川家光の時に鎖国が完成したため外国の情報を仕入れる術がなかったのです。オランダ風説書は、徳川家光の終盤の頃に始まっています。

 

昔から日本は遣隋使や遣唐使の派遣、あるいは、日宋貿易や日明貿易、南蛮貿易など海外の進んだ文化を取り入れてきたので鎖国はおこないたいものの情報や進んだ技術は取り入れたいと考えていました。

 

そのため、オランダ風説書の提出を交易権を与える代わりに義務付けたのです。

 

オランダ風説書の内容

(好奇心で出島のオランダ人をみている日本人 出典:Wikipedia

①オランダ風説書の中身

オランダ風説書には、先ほどお話したように2つの構成に分かれています。

 

1つは、オランダをいつ出て、どのような船とすれ違い、いつ到着したのかという航海日誌の要素の強いもの。

 

そして、もうひとつが海外情勢を報告するためのニュースとしての要素が強いものです。

 

特に、海外情勢の部分は現在のニュースと言っても過言ではないほどしっかりとまとめられていました。(例えば王室の代替わり婚姻、戦争の状況などの報告)

 

中でも、アヘン戦争についての記述などは追加報告を幕府が求めるなど幕府にとっての海外情報を得る有力な内容であったことがうかがえます。

 

 

②別段風説書

アヘン戦争以降は、海外の脅威を感じて焦った日本はさらに詳しい情報を要求し、別段風説書を提出してもらいました。オランダ風説書の補助版というイメージです。

 

この後は、世界情勢など特筆すべきことは別段風説書にて報告をされるようになりました。

 

具体的な内容としては、上記でお話したアヘン戦争、アヘン戦争後のイギリスの情勢、アヘン戦争後の清国の情勢を始め、世界中の事件を記載しています。地誌の詳しい情報の記載もありました。

 

有名なものでは、フランスの二月革命やその後、ルイ・ナポレオンが大統領に選ばれたこと、ヨーロッパ各国に自由主義、民族主義が波及して混乱にあることなどが記載されています。

 

オランダのあるヨーロッパだけでは無くアメリカについての情報の記載もあり幕末のペリー来航などは事前にオランダ風説書で知っていたという情報もあるほどです。

 

 

③オランダ風説書の信憑性

オランダ風説書、特に別段風説書はそもそも信頼できるのかということですが、バタビアの東インド政庁で作成したものを長崎に持たせたということが言われています。

 

その後は、シンガポールや広東で発行されるイギリスの新聞がニュース源に加わったと言われており、当時の情報源としては信憑性が高いものでした。

 

オランダ風説書の影響『蘭学の発達』

(明治2年発刊の『蘭学事始』 出典:Wikipedia

 

 

オランダ風説書のおかげで、西洋の学問はオランダ語を介して日本に入ってきました。

 

その結果、蘭学を学ぶ人が現れます。

 

オランダ語の習得や研究である語学や、医学、天文学、物理学、化学などの自然科学、測量術、砲術、製鉄などの諸技術に加え、西洋史、世界地理、外国事情などの人文科学が研究されるようになりました。

 

特に、杉田玄白前野良沢により『解体新書』が翻訳されたことで日本の医学は大きく前進することになりました。

 

 

まとめ

 オランダ風説書とは、オランダ商館長が書いた外国の情勢をまとめたもの。

 オランダ風説書とは別に、別段風説書がある。

 別段風説書は、アヘン戦争から用意されたもの。

 オランダ風説書から、蘭学が発達し医学の分野では杉田玄白と前野良沢により解体新書が翻訳されるようになった。




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