今の時代人々は平等で全員に権利や自由があります。

 

しかし、江戸時代ではある程度の身分があってそれに伴って権利や自由が存在していました。

 

今回はそんな不自由な時代に存在した身分制度『士農工商』について、そしてその下の不自由だった存在えた・ひにんについても、わかりやすく解説していきます。

 

士農工商とは

 

 

士農工商とは江戸時代に存在した身分の総称のことです。

 

もともとは中国の書物に書かれていた「士農工商、四民に業あり」というもので、本来は広くあらゆる職業を表す言葉でした。

 

士農工商の身分は武士・農民・職人・商人の順で並んでおり、特に一番上の武士はいろんな特権や自由がありました。

 

さらに士農工商の下にはえたひにんと呼ばれるランクがあり、その人達はあらゆる権利がないのと同じ状態でした。

 

ここからは士農工商のそれぞれの立場を見てみましょう。

 

士農工商のそれぞれの立場

(百姓(=農民) 出典:Wikipedia

 

 

士農工商は4つのランクで分かれていました。

 

この四つの身分について、それぞれ詳しく解説していきます。

 

①武士

士農工商の中で一番偉いのは武士でした。

 

そもそも江戸時代では武士が政治をしていたので一番偉いのは当然といえば当然ですが武士にはその身分にあったさまざまな権利がありました。その権利を名字帯刀と呼びます。

 

今でこそ佐藤や近藤みたいに名字がありますが江戸時代では名字は公家や武士、さらに幕府から認められた一部の人しかなく、一般市民は名字を名乗ることができませんでした。

 

帯刀とは太刀を持つことで、武士以外では脇差みたいに小さい刀は持つことができたのですが太刀みたいな大きな刀を持つことはできませんでした。

 

しかし、武士といっても将軍や藩主、幕府や藩の家老みたいに武士の中でも特にえらい武士はとても豪華な家を持てましたが、一方で下級武士などはほぼ農民と変わらない家に住んでさらに内職をしてなんとか暮らしていた武士もいたみたいです。

 

②農民

農民は毎年米を育てて、その育った米を武士に年貢として納めていました。

 

江戸時代に出された御触書である慶安の御触書では農民は「早起きし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄をない、俵を編むなど、それぞれの仕事をきちんと行なうこと」と書かれています。

 

武士は農民は生かさず殺さずようと言い出来るだけ少し余裕があるぐらいは残して後は全て年貢として持っていくということをしていました。

 

しかし、江戸時代の農民のイメージはなんか米だけ作って貧乏で休みがほぼないみたいに思うかもしれませんが本当はそんなことはありません。

 

もちろん米を作っている間はとても忙しい(田植えをする5月や稲刈りをして年貢として納める10月など)ですが、年貢を納めてからは結構休みがあって年間では50日ぐらいは休めたみたいです。

 

さらに江戸時代中期となると米の他に紅花、藍、麻などの三草と呼ばれる作物を育ててそれを売って年貢とは別のお金を手に入れていました。

 

そのため時間が余った時には伊勢神宮に参拝に行ったり、育てた作物を売るために江戸に行って出稼ぎに行ったりしていました。

 

さらに江戸時代中期には年貢の税率に反発した農民が一揆を起こすこともあり税率が下がったりすることもありました。

 

 

③職人

士農工商の工は大工ほことではなく、物などを作る職人のことです。

 

工には物を作るという意味があります。

 

ちなみに士農工商の並びには別にランク順で並んでいるわけではなくもともと中国で使われていた頃の意味が江戸時代になってそのまま使われているからこうなっているだけです。

 

④商人

商人は世界的なイメージではみんなが必死になって作ったものをのほほんとしてただ売っているだけという認識だったため商人自体がとても卑しい職業として見られていました。

 

それは江戸時代の頃でも例外ではありませんでした。例えば時代劇では商人と悪代官がよく悪だくみをしています。

 

しかし、商人の中には名字帯刀が許される人がいて決して農民より下ということではありません。

 

例えば、越後屋で有名な三井家や今も大阪の地名として残っている鴻池家などの豪商は大名よりも強い影響力を持っていました。

 

えたひにんとは

(獣皮の加工をする穢多 出典:Wikipedia

 

 

えたひにんとは漢字で書くと穢多・非人と書きます。

 

その名の通りこの身分たちは士農工商とはちょっと違って差別対象の人たちでした。

 

①えた

えたという身分は穢れが多いと書きます。その名の通りえたは穢れている職業をしていました。

 

例えば、死んでいる動物の皮を加工する仕事、祭などで穢れを落とす仕事、竹細工をしている仕事、罪人の処刑をする仕事、芸能関係の仕事などえたにはさまざまな仕事がありました。

 

この人たちは士農工商の身分の人とは違って住む場所が決められており、それ以外の場所には住むことは許されていません。

 

②ひにん

ひにんは人に非ずと書きます。その名の通りひにんは人が絶対にしたくない仕事をさせられていました。

 

仕事は物乞いか遊郭で働くかぐらいで幕府から住む場所の自由もなければ仕事を選ぶ自由もない状態でした。

 

ひにんは穢多とは違って親がひにんだからついだ人もいれば、士農工商から犯罪を犯したり、貧困などで転落する人もいました。

 

そんな中、1871年身分解放令が出された時にえたひにんは新平民として同じ立場になることになります。

 

しかし、社会的な差別は続いてこの人たちは部落解放運動として平等を訴え続けていくことになります。

 

四民平等が出された後の士農工商

 

 

1871年身分解放令が出されたおかげでこの4つの身分は平等となり、武士は士族、農民・職人・商人は平民となりました。

 

さらにえたひにんは新平民として自由が与えられました。

 

しかし、江戸時代に根付いた身分制度かすぐには取り払われず、士族たちは権利がなくなったことに腹を立てます。

 

そのため、各地で士族の反乱が起こったり、えたひにんが差別されることがありました。

 

しかしながら、時代が流れていくうちに差別は無くなっていきました。

 

まとめ

・士農工商は江戸時代にできた身分制度のこと

・基本的には武士が一番偉かった

・江戸時代はえた・ひにんという身分があり、この人たちは差別されていた。

・明治時代に出された身分解放令によって士農工商の身分制度はなくなった。




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