日々のニュースで報道されている円とドルの為替相場。

 

現在では為替レートは一つしかありませんが、かつて複数の為替レートが使われていた時期がありました。

 

今回は現在の為替方法に変更になった、『ドッジラインと単一為替レート』について、わかりやすく解説していきます。

 

ドッジラインとは? 

(ジョゼフ・ドッジと大蔵大臣の池田勇人 出典:Wikipedia

 

 

ドッジライン(Dodge Line)とは、1949(昭和24)GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の経済顧問であるアメリカ人銀行家ジョセフ・ドッジが立案・勧告した、戦後日本の経済を安定させるための9原則です。

 

『日本経済の自立と安定のため』、実施された財政金融引き締め政策になります。実施内容は以下の4点です。

 

実施内容

  • 緊縮財政や復興金融金庫の融資廃止による超均衡予算
  • 日銀借入金返済など債務償還の優先
  • 複数為替レートの改正による、360円の単一為替レートの設定
  • 戦時統制の緩和、自由競争の促進

ここからはドッジラインが出された背景・その内容・影響など詳しく見ていきましょう。

 

ドッジラインが行われた背景や目的

(日本の降伏文書署名の様子 出典:Wikipedia)

①急激なインフレーション

第二次世界大戦後、日本は経済的にも混乱していました。

 

 

戦時中、戦争を遂行するために大量の紙幣が発行されていました。

 

市中に出回るお金の量が多いとモノの価値が上がります。つまり物の値段が上がっていくのです。

 

さらに、戦争は終わったものの工場が破壊されたので生産力がすぐに回復するわけではありません。

 

それに加えて海外に派遣されていた兵隊たちが帰ってくるので、国内には人口が増加。その人たちが生活していくための物資も必要です。

 

これらもまた物、特に生活必需品の値段が上がる要因になっていました。

 

増えた通貨量と物資の不足、この二つが原因で物の値段がどんどん上がっていくインフレーション(インフレ)が急速に進んでいました。

 

②竹馬経済

そんな中、GHQの経済顧問としてジョゼフ・ドッジが来日します。

 

 

(池田勇人とドッジ夫妻 出典:Wikipedia)

 

 

ドッジは第二次世界大戦後の連合軍占領下のドイツで起きたインフレ問題を解決した人物でした。

 

彼のそんな経験を次は日本で生かしてもらおうとGHQが呼び寄せたのです。

 

 

訪日したドッジは当時の日本の経済を竹馬経済と表現しました。

 

つまり、日本の経済は両足を地につけていない。まるで竹馬に乗っているようなもので、その両足とはアメリカからの援助と日本の国内的な補助金の機構である、と表現したのです。

 

これは竹馬から落ちたり、折れてしまっては日本経済が立ち行かなくなるということを意味していました。

 

外国や政府の援助がなくてもやっていける経済体制を作ることが求められたのです。

 

このような状況の中で出されたのがドッジ・ラインでした。

 

さきほどあげた経済政策を行うこと、特に政府の無駄遣いを減らし、借金を返していくことで一時的な不況に陥ったとしても将来的に経済が安定し、成長していく方針に切り替えたのです。

 

単一為替レート・固定相場制への切り替え

①複数為替レートから単一為替レートへ

ドッジ・ラインの中には貿易に関わる内容も含まれていました。

 

それは為替レートの取り扱いについて。それまでの日本では複数為替レートが取られていました。

 

複数為替レートとは、それぞれの取引商品ごとに為替レートを設定していく方法です。

 

こうすると、輸出品に関しては円安、輸入品に関しては円高のレートを設定することも可能になります。

 

輸出をする企業にも、輸入をする企業にも有利になるというのが複数為替レートのメリットです。

 

しかし、実態とは違ったレートですのでそれを維持するための補助金が政府から出されていました。

 

「政府が企業を支えていた」というわけ。このための費用も政府にとっては負担になっていました。

 

それを解消するために実施されたのが、単一為替レートへの転換です。

 

単一為替レートになると輸出・輸入どちらか一方だけ有利になります。

 

このとき設定されたのは1ドル360というレートでした。1ドルが360円になった根拠はアメリカの試算によるものです。

 

それによると1ドル320円~340円程度が日本とアメリカ両国の経済実態を反映した数値だったからです。

 

これに少しだけ円安になるように上乗せし、1ドル=360円というレートになりました。意識的に円安に誘導したのです。

 

これは円安にすることで輸出力を高め、日本の経済復興を早めるためでした。

 

もうすでにアメリカとソ連との間で冷戦が始まっており、アメリカにとって日本の価値が高まっていたため、より早く日本を復興させることで、東アジア地域で西側陣営の勢力を強めることを狙いました。

 

 

②単一為替レートと固定相場制

単一為替レートと対になる言葉は複数為替レートです。

 

一方、固定相場制と対になる言葉は変動相場制です。今取られている制度ですね。

 

ですので、単一為替レートと固定相場制が取られていた、というのはどの商品も同じ為替レートで、しかもいつでも同じ交換比率で2つの通貨の交換が行われていた、ということになります。

 

当時の世界では連合国の間でアメリカドルを基軸通貨とした固定相場制が取られていました。

 

これは1オンス35ドルの比率で金と交換可能なドルを基軸として、ドルと各国の通貨の交換比率を一定にすることで自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みでした。

 

世界中の4分の3の金がアメリカにあったと言われており、そのために実施できた施策でもありました。

 

これをブレトンウッズ体制と言います。

 

日本もドッジラインでこれに参加したことになります。

 

ドッジラインと1ドル360円の単一為替・固定相場制の結果

①安定恐慌

ドッジラインにより、インフレは終息しましたが、逆に物の値段が下がり続けるデフレになってしまいました。

 

物の値段が下がると利益が減っていきます。

 

また、政府が金融引き締め政策を行うことになったため、市場に出回る通貨量が減ってしまい、企業の倒産や失業者が増える事態になりました。

 

これを安定不況あるいはドッジ不況と言います。

 

日経平均株価は現在まで至る史上最安値の85.25円にもなりました。

 

この不況を脱出するきっかけになったのは、翌年から始まった朝鮮戦争による朝鮮特需」でした。

 

 

②東洋の奇跡

一方、1ドル360円の単一為替・固定相場は日本の経済復興の後押しとなりました。

 

当初は輸入業での不振も見られましたが、日本は物を作って輸出する加工貿易経済で発展していきます。

 

その後、本来は日本円の価値が上がっているにも関わらず、輸出に有利な円安の為替相場で固定されたことは日本の経済成長にとってプラスになりました。

 

1955年には経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が書かれました。

 

戦前・戦中の経済規模に並んだのです。1970年ごろまで続く高度経済成長も含めて日本の経済復興・発展は東洋の奇跡と呼ばれました。

 

 

まとめ

 ドッジラインとは戦後日本の経済を立て直すため、アメリカ人銀行家ジョセフ・ドッジが勧告した政策のこと。

 日本は緊縮財政を取り、インフレは改善。しかしデフレが起こり、不況に陥った。

 日本は複数為替レートから単一為替レート・固定相場制に変更、1ドル360円で固定された。

 単一為替レートと固定相場制のおかげで輸出産業を中心に日本は東洋の奇跡と呼ばれる経済発展を遂げることができた。




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