「南京事件」と「南京大虐殺」という言葉で聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

 

実際の内容を理解出来ている人は少ない上、正しく理解することが非常に困難なのが現実です。

 

そこで今回は、1つの歴史的事件として『南京事件』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

南京事件とは?

(中国軍正規兵を調べる日本憲兵 出典:Wikipedia)

 

 

南京事件とは、1937年(昭和12年)77日旧日本軍が首都南京を占領した際に多くの南京住民を虐殺、暴行したとされる事件のことです。

 

この事件は、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)を発端にしてはじまった日中戦争の中、起こりました。

 

事件の被害者数に関しては諸説あり、0~30万人超まで非常に幅があります。

 

南京事件が起こった背景

 

いろんな紛争が起こるこの時期ですが、どのように「南京事件」に繋がったのでしょうか。

 

日中戦争のおこり

日露戦争の勝利後に日本はロシアから『満州鉄道』の管理権を譲り受けます。

 

ここを皮切りに満州全土を支配下に収めようとし、1931年柳条湖事件をきっかけとする【満州事変】を起こし、満州国を建国しました。

 

 

この行動を侵略であると中国が国際連盟に訴え、日本は国際連盟を脱退、国際的な孤立を深めます。

 

そのような状況下で盧溝橋事件が起こります。

 

 

橋の付近で演習をしていた旧日本軍に中国軍が発砲したことから両軍の衝突となったものと言われていますが、その真相も定かではありません。

 

この後上海の日本人居住区が中国側に襲撃されると、日本は徐々に派兵を増やして宣戦布告なしのまま両国間での全面戦争【日中戦争】に突入していったのです。

 

 

戦争の泥沼化

当時中国国内は毛沢東(もうたくとう)が率いる共産党と蒋介石(しょうかいせき)を指導者とする国民党に分かれて内戦状態でしたので、日本としてはその隙に…という目論見もあったと思われます。

 

しかしながら、共通の敵を前にして、両党は協力体制をとり<抗日民族統一戦線>を結成して日本に対抗したのです。

 

 

同年813日からは第二次上海事変といわれる上海での激しい戦いが起こります。

 

この上海で日本側は苦戦を強いられ、多くの犠牲が出ました。

 

この犠牲が後の「南京事件」に繋がる復讐感情に繋がったという意見もあるそうです。

 

南京占領

上海事変において日本軍は当時の首都であった南京に対しても攻撃をしていたのですが、海洋を超えて空爆する「海洋爆撃」によるこの攻撃は世界的にも非難されました。

 

11月には上海を占拠し、中国側が徐々に上海から南京に退却を進めたので、追撃をしていく形となりました。

 

実際は同月蒋介石により首都を南京からさらに重慶に移す発表もあった為、兵力にも余裕のなかった日本は南京攻略までは考えていなかったようです。

 

しかしながら、現地軍の独走により南京への侵略が進んでしまい、ついに1213日南京を占領してしまったのです。

 

南京事件の内容詳細

 

 

12月の南京占領から翌2月にかけて行われた大量虐殺・暴行・放火・略奪などの行為が「南京事件」と呼ばれますが、その内容は様々で現在でも確定していません。

 

学校の教科書や資料集などでもぼかした表現になっていたのではないでしょうか。

 

政治的からみもあり、一筋縄ではいかない問題ですが、ここで諸説をみていきましょう。

 

事件の規模

古代からの“戦い”の歴史の中で、戦後の侵略者による暴行や略奪など当然のように行われており、この時だけが特別の行為とは思えません。

 

勿論許される行為ではありませんが、この事件の異常さはその存在有無から始まり、犠牲者の数字が0~30万人くらいというあまりに幅のある曖昧さを持っているという点です。

 

例えば兵庫県明石市が29万人くらいの人口ですが、「これ以上の人数が殺されていたかも」または「誰も殺されてないとかも」という説が並び立っているのです。

 

国際法への抵触

戦争という異常事態であっても、ある一定のルールが決められており、これを守らない場合は国際法で罰せられました。

 

戦時中ですので、“兵士”の犠牲は当然発生します。

 

しかし、“非戦闘員(民間人)の人命への危害の禁止“はルールとして存在していました。

 

「南京事件」では”一般人“を大量虐殺したと言われますが、果たして本当に”一般人“だったのでしょうか。

 

この戦いで日本側が恐れていたのが『便衣兵』と呼ばれる一般市民のふりをしたゲリラ兵士だったそうです。

 

彼らの存在自体が国際法違反だったそうですので、彼らを捕え殺害していた場合、戦時の当然の行為になるのではないかと、言う意見もあるのです。

 

民間人との区別はどうつけていたのかと問われると、これもまた困るのですが…。

 

しかしこのルールでいうと、太平洋戦争時の【東京大空襲】や【原爆投下】は思いっきり違反ではないでしょうか。

 

 

東京裁判の正当性

「南京事件」は戦後の東京裁判において突如出てきました。

 

諸説ある中で、具体例をこの裁判の判決文からみていきたいと思います。

 

判決文では<日本軍は占領して最初の6週間で南京とその周辺の住民20万人以上を殺害した>とされています。

 

そしてその数の根拠が埋葬隊の「155千人埋葬した!」ということに基づいているとされていますが…すでに5000人差がありますね。

 

しかも起訴状には10万人と記載があったとか。すごくアバウトな裁判なのかと疑ってしまいます。

 

④旧日本兵の暴挙

兵士の悪行に関しては、少数集団で市内を歩き回り殺人・放火・強姦・略奪を行った、とか大した理由もなく女子供も殺しまくり、通りに死体が散乱していた等とされています。

 

判決の一部ではありますが、非常に目を覆いたくなる内容ですね。

 

裁判の判決文は裏付け資料として大きいものでしょう。

 

しかしながら、先の民間人のルールの件で「他国もやっていたのに、後から日本だけ裁かれるの?」という裁判の流動性を訴えてくれたインド人のパール判事のような判事もこの裁判の際にはいたようです。

 

裁判内容を鵜呑みにはできない要因がここにあるのです。

 

各国それぞれの見解

 

当事者である国としてはどのような見解をもっているのでしょうか。

 

中国側の主張

1946年「南京軍事法廷」が蒋介石の国民党政府により開かれ、その際に「南京事件」で旧日本兵が殺害した現地人の数は30万人以上とされ、中国共産党政府も同様の見解です。

 

中国にある『国軍歴史文物館』には様々な資料があるそうです。

 

しかし、資料の写真は捏造っぽいとか、当時南京の人口は最大100万人だったのが、戦時疎開などで50万人くらいになり、直前には20万人以上が脱出していたという話もあり、30万人以上という人数に無理があるのでは、という説もあります。

 

また事件当時の旧日本軍の位置関係から、「事件を起こすには時間が厳しかったのでは?」という話や周囲に中国共産党軍がおり、南京には中国国民党員が多かったことから、中国政府の国内での粛清説もというものも根強く残っています。

 

日本の見解

日本としては敗戦国として中国の主張に対してモノ申すことができませんでした。

 

当初から日本側には反論の余地はなかったのです。

 

ただ、後のサンフランシスコ講和条約への調印により再調査の依頼は何度か行ったそうですが、中国側はすでに確定しているとして応じてはくれませんでした。

 

 

そして国内では戦後GHQの方針により日本軍の残虐さを印象付けるかのような番組が制作され、さらに1970年代には朝日新聞をはじめとするメディアが「南京大虐殺」として大々的に蛮行をアピールし、教科書などにも同様に載っていたので、国民の間に旧日本軍の酷さと共に、自虐的感情をもってこの事件が捉えられてきました。

 

【南京事件 兵士たちの遺言】という動画もあり、元日本兵の証言などが残っているとされますが、当時の様々な資料に不明瞭な点も多く、歴史研究者や大学教授が沢山かかわる“「南京事件」論争”は今日でも続いています。

 

政府としての見解は外務省HPにもあるのですが・・・

 

日本軍の南京入城後に非戦闘員に対する殺害行為や略奪行為があったことは否定できないが、被害者の数などは諸説あり、政府として数の認定をすることは困難

(引用:外務省

としています。

 

私たちは多くの情報を受けながらも自分なりに取捨選択して歴史の事件の一部として感情的にならずに捉えながら、平和の重みを感じたいものです。

 

他国の見解

当時南京にいたとされる欧米人がこの事件のことをアレンジや実体験を踏まえて報道したとされ、中には「ザ・レイプ・オブ南京」などという余りにもショッキングな内容の書籍も発行されました。それが信じられていると思うと非常に恐ろしく感じます。

 

実際に国のイメージが多くのメディアで造られるのはしょうがないことと思われますが、この作者アイリス・チャンをはじめ、当時南京にいた欧米人は中国政府の息がかかっている可能性もあり、その内容が全くの真実だとは言えないことも事実なのです。

 

もう一つの「南京事件」

 

実は、この事件の10年前にもうひとつの「南京事件」がありました。

 

これは中国内戦での事件になります。

 

①1927年の「南京事件」

1927324日蒋介石の率いる中国国民党の軍【中国革命軍】が南京を占領した際に日本を含む外国の領事館を襲撃した事件のことです。

 

アメリカ・イギリスをはじめイタリアやデンマークなどの領事館で被害があり、フランス人宣教師も殺されたそうです。

 

日本領事館では物品の略奪や女性への辱しめ、男性への暴行もありましたが、事件の反響を恐れた政府は国内で被害がなかったように報じたそうです。

 

その後の影響

アメリカ・イギリスは下関停泊の艦艇からの射撃で居留地民の安全を図り、日本は虐殺を恐れて干渉はしないようにしました。

 

言い方を変えれば領事館や在留民を守ってくれなかったのですね。

 

この事件の黒幕が蒋介石を追い落とそうとした中国共産党であり、その計画に参画したソ連の顧問であったため、中ソは国交断絶となりました。

 

また何も対応しなかった日本に対して案山子などと揶揄して日本人を軽視し、中国国内の別の場所でも居留民が被害にあう事件が発生するようになりました。

 

まとめ

 南京事件は一般的には1937年12月南京を占領した旧日本軍により民間人殺害・略奪などがおこった事件のこと。

 南京事件の被害者数に関しては諸説あるが、0~30万人超まで非常に幅がある。

 南京事件の被害者内訳についても、民間人より兵士が多かったとする説もある。

 中国側の被害者数の主張は、東京裁判や南京軍事法廷を基にして30万人超となっている。

 日本側の主張は、“事件の発生は否定できないが、人数については確定した数を認定できない”としている。

 欧米への「南京事件」のメディア展開は、中国政府の息がかかった人によるものも大きく一概には肯定できるものではない。

 南京事件に関しては、歴史の1事件として、冷静に多くの説を自らの見地で取捨選択し、情報に振り回されないようにすることも必要。

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