平和条約とは、戦争状態にある交戦国間の戦争を終了させる目的で結ばれる条約です。

 

一般的に、平和条約は戦争の終結のみではなく戦後の両国間の政治的、定在的な条件や領土、お互いの立場、賠償などについても確認し合う目的もあります。

 

日本も長い歴史の中でいくつもの平和条約を締結しています。

 

今回は、その中でも一番有名ともいえる『サンフランシスコ平和条約』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

また、同時に締結された日米安全保障条約についてもみていきましょう。

 

サンフランシスコ平和条約とは?

(講和条約に署名する吉田茂首席全権 出典:Wikipedia

 

 

サンフランシスコ平和条約とは、第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)に日本とアメリカとの間で結ばれ講和条約のことです。

 

※サンフランシスコ条約、サンフランシスコ講和条約とも呼びます

 

1951年、98日にアメリカのサンフランシスコで第二次世界大戦の講和会議が開かれた際に、当時の日本の首相であった吉田茂が世界49カ国との間に平和条約を調印しました。

 

この49カ国とは、日本と第二次世界大戦で戦った国々を指します。

 

このサンフランシスコ平和条約によって、連合国軍によって占領されていた日本は独立国となりました。

 

サンフランシスコ平和条約の背景・目的

(冷戦中のアメリカ核実験の様子 出典:Wikipedia)

 

 

サンフランシスコ平和条約の締結には、当時アメリカとソ連が冷戦状態にあったことが背景にあります。

 

 

第二次世界大戦終結後、東アジア地域では共産主義が広まっていました。

 

ソ連と冷戦状態にあった資本主義であるアメリカや西側諸国は、共産主義の広まりを恐れており、共産主義の広まりを防除するためにはアメリカや西側諸国としては日本と友好関係にあることが得策であったのです。

 

そこで、平和条約を締結することとしました。

 

独立国として国際社会への復帰を悲願としていた日本にとって、サンフランシスコ平和条約の締結はメリットが大きかったのです。

 

サンフランシスコ平和条約の内容

 

 

 

条約の内容は主に以下の3つです。

① 日本の主権の回復について(日米安全保障条約)

② 賠償金について

③ 領土問題について

 

それぞれについて詳しく見ていきましょう。

 

①日米安全保障条約

サンフランシスコ平和条約と同時に締結されたのが日米安全保障条約です。自衛隊や憲法第9条について論じる時によく耳にする「日米安保」のことです。

 

サンフランシスコ平和条約によりアメリカの占領下にあった日本は独立国となり、国際社会に復帰していくことになったのですが、日米安全保障条約の規定ではアメリカが完全に日本からアメリカ軍を撤退するという意味にはなりませんでした。在日米軍として日本に駐留することになったのです。

 

そのため、未だに大きな問題として米軍基地が集中している沖縄ではその是非が議論され続けています。

 

日米安全保障条約の内容は、日本の内戦には干渉するが日本が他国に攻撃された時に日本を必ず守るという取り決めが明文化されていません。

 

そのため、日本にとって不利益や不安感が残る条約でした。

 

しかし、それでも当時の首相である吉田茂がこの条約を締結した背景には、例えアメリカ軍が駐留してもアメリカ軍に日本の国防の一端を担ってもらうと意味で軍事や国防においてのメリットがあると考えたからです。

 

それは、軍事を押さることで高度経済成長に加速をつけるという吉田茂の国家戦略でもあったのです。

 

 

②賠償金

戦後の賠償(国家賠償)については、日本に占領された国はそれぞれに日本に賠償請求できる権利を有しましたが、実際にその権利を履行したのはフィリピンとベトナムだけでした。

 

③領土問題

では、サンフランシスコ平和条約で棚上げになってしまった領土問題について詳しく見ていきましょう。

 

サンフランシスコ条約での北方領土、尖閣諸島、竹島の領土の見解と日本と対峙している国との間の問題点は以下のとおりです。

 

✔ 北方領土

サンフランシスコ条約では、日本は千島列島と南樺太を放棄しています。

 

しかし、放棄した千島列島には日本の領土とした北方四島(歯舞、色丹、国後、択捉)が含まれていませんでした。

 

サンフランシスコ条約自体にソ連は調印をしていないので、日本はサンフランシスコ条約上の権利を主張することができません。

 

そのため、現在まで日本とソ連(ロシア)の間で平和条約を結ぶ交渉が続いているのですが、実現していないため、北方領土をめぐる問題も解決に至っていないのです。

 

 

✔ 尖閣諸島

尖閣諸島は日本の領土として、第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約によって沖縄と共にとアメリカの管理下に置かれました。

 

その後、沖縄が返還された際に尖閣諸島も返還。沖縄県間協定によって返還された地域に尖閣諸島も含まれていたこともあり日本としては昔から尖閣諸島は日本固有の領土であるとしています。

 

しかし、サンフランシスコ平和条約が締結された講和会議に招かれなかった中華人民共和国はサンフランシスコ条約の解釈に縛られないという立場をとっています。

 

さらに、中国は石油資源豊かな海域にある尖閣諸島を自国の領土であると主張しているため、日本との間に領土問題が生じています。

 

✔ 竹島

(竹島の様子 出典:Wikipedia

 

 

サンフランシスコ平和条約の策定段階において、韓国はアメリカに対して日本が竹島を放棄するように求めました。

 

しかし、これをアメリカが受け入れませんでした。サンフランシスコ平和条約において竹島は日本の領土であるということが確認できます。

 

しかし、その後、当時の韓国の大統領であった李承晩が「海洋主権宣言」を行い、竹島を含む海域を一方的に韓国の領海に含めた「李承晩ライン」を設定しました。

 

現在までに韓国側が竹島に自国の駐留部隊を上陸させる、日本の海上保安庁の巡視船を銃撃するなどの出来事が起きておりこの李承晩ラインによって韓国が不法占拠しているという事態となっています。

 

条約に調印しなかった国々と領土問題

 

 

ところで、講和会議に参加していたもののサンフランシスコ平和条約で調印しなかった国があります。

 

それはソ連、チェコスロバキア、ポーランドです。また、招待されたが出席しなかった国はインド、ミャンマー、ユーゴスラビア。招かれなかった国は中華人民共和国、中華民国(台湾、台湾周囲の島)、大韓民国です。

 

サンフランシスコ条約にソ連が調印しなかったこと、中国・韓国が招かれなかったことで、日本との間の北方領土や尖閣諸島、竹島が現在までになかなか解決に至っていない領土問題となっています。

 

サンフランシスコ条約の年号の覚え方

 

 

サンフランシスコ平和条約の年号は・・・

 

ひ(1)どく(9)強引(51)なサンフランシスコ平和条約

 

と覚えましょう!

 

まとめ

 サンフランシスコ平和条約は1951年に日本とアメリカとの間で結ばれました

 日本の首相であった吉田茂が世界49カ国との間に平和条約を調印しました

 サンフランシスコ平和条約が締結された同じ日に、日米安全保障条約も締結された

 サンフランシスコ平和条約によって、日本に対して戦争の賠償請求をした国はフィリピンとベトナムだけでした

 サンフランシスコ条約に調印しなかった国があったことで、北方領土、尖閣諸島、竹島の領土について後に国際問題となって領土問題が残ってしまいました




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