【もしも本能寺の変がなかったら!?】織田信長が死んでなければ、歴史は変わった?

 

歴史を知ると、もしあの時、あの歴史が変わっていたら今はどうなっていただろう・・・。

 

もし、あの人が殺されなければ、どんな歴史になっていただろう・・・。

 

皆さんの中にもそんなことを考えたことがある人は多いと思います。

 

謎多き本能寺の変、もしそれがなかったら。織田信長が死ななければどんな歴史になっていたと考えますか?

 

今回は、もしも本能寺の変がなかったら今の日本はどうなっていたのか?私なりの見解を書いていきたいと思います。

 

そもそも本能寺の変とは? 

(本能寺の変 出典:Wikipedia

 

 

本能寺の変とは、1582年6月2日早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を、家臣の明智光秀が反旗を翻し焼き討ちにした事件のことです。

 

囲まれ追い込まれた信長は自害したとされていますが、その首をとることはできませんでした。

 

その結果、いろいろな憶測や仮説が飛び出し、今もなお、本当のところはわかっていないという現状です。

 

そのため、もしかしたら……という、たられば要素が語られています。

 

織田信長はどんな人? 

(死後に宣教師によって描かれた織田信長 出典:Wikipedia

 

 

織田信長は室町時代から安土桃山時代の戦国武将。昨今では、ゲームなどの創作物のラスボスとして登場しているので、知名度も高いです。

 

若かりし頃はうつけと言われていましたが、桶狭間の戦い今川義元を打ち負かしたことから次第に頭角を現していきます。

 

 

比叡山の件で僧侶のほか、女子供まで討ったことで残虐さが目立ち始め、自ら第六天魔王と名乗ったとの記述もあります。

 

しかし、のちの1582年の本能寺の変で亡くなります。

 

織田信長は残虐的な印象が強いところもありますが、新しいものに興味を持つ性格で、部下に外国人を採用、また家柄などにとらわれず功績はたたえていました。当時では考えられない対応だったのです。

 

本能寺の変がなかったらと仮定するなら

 

本能寺の変がなかったら……と仮定するには、いくつかの件をクリアさせなくてはなりません。

 

そのひとつが黒幕の存在、そして明智光秀の真意です。

 

 

(明智光秀 出典:Wikipedia)

 

 

本能寺の変で主君を裏切ったことで、明智光秀への印象はあまりよくありません。

 

本当のところは本人にしかわからないため、明智光秀の真意にはなかなか辿りつくことはできませんが、彼の行いなどから感情や思考を汲み取ることはできます。

 

近年ではいくつもの考察が発表されています。

 

それは明智光秀の真意だけではなく、なぜ本能寺の変が起きたのか、黒幕は誰なのか。

 

①黒幕の存在

本能寺の変が起きた当時、織田信長の勢いは衰えずにいましたので、彼の存在を疎ましくおもっていた人物もいたことと思います。

 

織田信長の行動は当時では珍しいことでしたので、そういったところでも気に入らない存在だと思った人がいても不思議ではありません。

 

明智光秀本能寺の変のあと三日後に討ち死にしています。そのことから三日天下と言われるようになります。

 

たった三日で終わる天下、それだけのために主君を裏切るでしょうか。

 

光秀が信長を裏切るよう仕向けた黒幕がいるのでは? という説が出てきます。

 

②明智光秀の真意

 定説では、信長の光秀への扱いが酷くなり、耐えきれなくなった光秀が反旗を翻したとなっています。

 

裏切者のレッテルをはられている光秀ですが、実は側室を持ちませんでした。正妻だけを愛した、今風でいえばとても愛妻家だったのです。

 

また才に長けていた面もあったようですので、信長を裏切った先のことを考えずに行動するとは思えません。

 

信長を裏切り天下を取りたいと思ったのであれば、もっとその先のことも考え三日天下になるようなことはしなかったと考えられます。

 

となれば、ほかに理由があったということではないでしょうか。

 

しかし、それは光秀本人にしかわからないことであるため、今も真実が見えずいくつもの仮説がたてられているのだと思います。

 

織田信長が生き延びたら…

 

織田信長が生き延びたら……起きてしまった本能寺の変からの脱出、もしくは光秀を返り討ちにする必要があります。

 

もしくは、本能寺の変そのものが起きないような歴史背景が必要になります。

 

今回は本能寺の変がなかったら……ということなので、起きないような歴史になっていたと仮定しましょう。

 

明智光秀は裏切らず、また死ぬこともなかったとします。

 

信長亡き後、天下を取ったのは豊臣秀吉と徳川家康です。

 

彼らふたりがした大きな出来事をいくつか取り上げ、検証してみたいと思います。

 

①戦乱の世は終わった?

 戦乱の世を終わらせたいと思っていたのは織田信長本人です。のちの秀吉も家康も、信長のこの遺志を継いでいることは間違いないでしょう。

 

しかし、信長が亡くなったことで終わるはずだった戦乱の世が長引いてしまったことは否めません。

 

信長が生きていたら、もっと早く平和な世の中が訪れたと考えられます。

 

②朝鮮出兵はなかった?

 織田信長は日本が小さな島国であることを知っていました。日本の統治を息子に託し、ご自身は世界に出ることを望んでいました。遅かれ早かれ世界も手に入れようと画策したと思われます。

 

秀吉の起こした朝鮮出兵は失敗でした。秀吉の朝鮮出兵がきっかけかはわかりませんが、今の時代もあまり日本との仲が良好とは言えません。

 

もし信長が生き延びていたら、戦に長けていた彼ならもしかしたら朝鮮出兵があったとしても負ける可能性は低かったのではないでしょうか。

 

 

③鎖国はしなかった?

 鎖国はしなかったと考えられます。

 

世界に出ていこうと考えていた信長が世界との交流を断とうと考えるとは思えません。

 

仮に、世界から脅威に晒されたとしても信長ならそれすらも受けて立つような気がします。

 

鎖国がなければ今よりも早く時代は大きく動いていたのではないでしょうか。また、もう少し国際的な日本になっていたとも考えられます。

 

 

④キリスト教弾圧はなかった?

 織田信長は宗教に関し寛大な考えをもっていた方ではないでしょうか。

 

彼がとりたてた弥助は宣教師が連れてきていた黒人の奴隷でした。さらに宣教師から地球儀を見せられ日本が小さな島国であること、日本の外にはもっと大きな国や土地があることを理解します。

 

信長と宣教師との関係は良好であり、良心的でした。

 

反面、仏教に対しては残虐なことをした経緯があります。

 

もし、宣教師たちが信長や日本を脅かす存在になっていたら、あるいは仏教に対して行ったことと同じようなことをしたかもしれません。

 

本能寺の変もなく織田信長が存命した歴史と仮定した21世紀の予想

 

 

本能寺の変がなく織田信長が討たれることなく生涯を終えたとした場合、秀吉も徳川家も表で大きな功績を残すことはなかったと考えられます。

 

そうなれば幕末の動乱もなかったと考えられます。幕末に活躍した坂本龍馬や新選組の活躍もなかったと考えられます。

 

しかし、徳川の世が長く続いたことで反幕府が名乗りをあげたように、世襲で繋がればいずれ反織田派が名乗りをあげる可能性があります。

 

織田信長の人柄を考慮すれば、身分に関係なく意見には耳を傾けていたという説もありますし、新しいことが好きであったことも知られていることです。近代文化がより早く日本に入り込んでいたのではないでしょうか。

 

また、昨今問題視されがちなLGBTやトランスジェンダーなどへの理解や認識にも早くに定着していたと考えられます。

 

もともと日本の武将や地位のある方々は正室や側室のほかに好みの男性を囲っていました。(秀吉は男性を好まなかったことは有名な話ですが)男色家であることを隠したりしていませんでしたので、自然な流れで受け入れられていたかもしれません。

 

しかしながら、新しいもの好きの信長が他国が開発した最新鋭の武器などに興味を持ち輸入する可能性はあります。

 

また自国での開発も試みる可能性は拭えませんので、大きな戦争がまったく起きなかった……とは考えにくいです。日本が危機に晒されれば迎え撃つでしょう。

 

キリスト弾圧は行われなかった可能性のほうが高いため、神道・仏教・キリスト教とそれぞれがいい割合で庶民に浸透していたかもしれません。国が推奨する宗教を指定せず宗教選択の自由はそのままであったと考えられます。

 

さらに、関ヶ原の合戦なども起きなかったと考えられますので、戦国武将ブームも起きないのではと考えられます。

 

武を高める人物より知を高めた人物を重宝された可能性があり、そうなると知性で知られる明智光秀は信長の右腕的な存在であったとして後々の世まで語られた可能性もあるのではないでしょうか。

 

他者の見解

 

本能寺の変がなかったら……そう考える人は少ながらずおります。

 

そんな方々はどのような見解をお持ちなのでしょうか。

 

調べてみると・・・

・仏教弾圧がなければ起きなかったという考え

・明治時代になって入ってきた西洋文化はもっと前の時代に南蛮文化として定着して馴染んでいたかもしれない考え

などがありました。

 

さらには、本能寺の変が起きなかったとしてもすでにこの時の信長は49歳です。この時代の平均寿命を考えれば、遅かれ早かれ逝ってしまっている可能性があります。秀吉の天下はなかったとしても、徳川の天下は実現されていたとのお考えもありました。

 

信長がひとり生き延びたくらいで歴史はそう大きく変わらないというお考えが意外にも多いように感じました。

 

歴史のたらればは10人いたら10通りの考えがあり、それらを否定するものではなく、そういった考えもあるか……と認めてあげることが大事かと思います。

 

まとめ

 織田信長の存命には本能寺の変を起こさせないような土台が不可欠である。

 豊臣秀吉の天下はなかった可能性がある、また戦乱の世は早くに実現していたかもしれない。

 鎖国をしなかった可能性もあり、史実よりかなり前に西洋などの文化が日本に浸透した可能性がある。

 キリスト教弾圧がなかった率が高く、三大宗教が均等に広まっていた可能性がある。

 様々な意見や考えがあって当然なので、それぞれの考え方を認めることが大切である。