【盧溝橋事件とは】簡単にわかりやすく解説!!事件発生のきっかけや原因・影響など

 

日本は日中戦争によって泥沼の戦争状態に突入してしまいます。

 

その原因は『盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)』という事件でした。

 

しかし、この事件を理解するにはその前の状況を理解しなければいけません。

 

今回は、日本が泥沼の戦争を始めた『盧溝橋事件』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

盧溝橋事件とは?

(盧溝橋周辺の航空写真 出典:Wikipedia

 

 

盧溝橋事件とは、1937年(昭和12年)中国の北京市近くにある盧溝橋という橋で起こった衝突事件のことです。

 

この事件をきっかけに日本と中国は本格的な戦争状態に突入しました。

 

ちなみに中国ではこの事件をこの事件が起きた日である7月7日から七七事件とも言われています。

 

盧溝橋事件前の状況

①北伐と日本の反応

中国は清王朝が滅んだ後さまざまな軍閥が入り乱れている内乱状態でした。

 

しかし、蒋介石による国民党が北伐を開始して軍閥を倒したり降伏させたりしていました。

 

 

そして父を関東軍に殺された満州の軍閥である張学良が国民党に降伏して中国は統一されました。

 

しかし、満州や中国を狙っていた日本にとってはこの展開はとても不都合なものでした。

 

②満州事変による緊張の高まり

1931年に満州事変が起こり、満州は日本によって満州国として勝手に独立します。

 

これによって満州は日本の影響を受けるようになりました。

 

 

③抗日民族統一戦線の結成

満州事変によって中国では日に日に中国を取ろうと野心を燃やしている日本に対抗するために、共産党と国民党が力を合わせようとしていきます

 

ただ、困ったことに国民党の蒋介石は大の共産党嫌いであり、たびたび共産党の人を粛清していました。

 

しかし、日本にとてつもない恨みを持っている張学良は蒋介石を西安に軟禁して蒋介石に共産党と手を組むことを説得しました。

 

そして蒋介石はしぶしぶ了承。共産党と国民党が手を結ぶ抗日民族統一戦線を結成することになりました。

 

盧溝橋事件の勃発

(宛平県城から出動する中国兵 出典:Wikipedia

 

 

1937年7月7日 日本軍は北京近くの盧溝橋付近で軍事演習を行なっていました。

 

日本はバカスカ鉄砲や機関銃を撃ちまくり中国を威嚇しているかのようなレベルで演習を行なっていたのです。

 

しかし、その時中国軍から銃声が聞こえてきました。中国が日本を攻撃したのです。

 

しかもこの時日本軍は一人行方不明者が出ており(のちに見つかる)、日本は報復のために中国と戦争を始めます。

 

この時の日本の隊長は牟田口大佐という人でこの人はのちに日本軍の大失態ともいわれているインパール作戦の指揮官もやります。

 

 

(牟田口廉也 出典:Wikipedia

 

 

その後、日本軍と中国軍は盧溝橋付近で停戦協定が締結。なんとか事件が終わるはずでした。

 

盧溝橋事件の日本の反応

 

 

しかし、日本政府はこの停戦協定を知らなかったのです。

 

当時日本にいた陸軍総本部や政府の強硬派はこれを機に中国とぶっ潰そうとします。

 

ただ当時の総理大臣である近衛文麿は中国と和平して、これ以上事件が拡大しないようにしました。

 

 

(近衛文麿 出典:Wikipedia)

 

 

しかし、最終的には陸軍の意見に押されて中国に対する強硬姿勢をとるようになっていきます。

 

そして近衛文麿は盧溝橋事件を中国の計画的武力行使として、大日本帝国はこれに対して自衛権を行使するために20万の大軍を中国に送りました。

 

盧溝橋事件の影響

①日中戦争の勃発

蒋介石はこの日本の行動に対して徹底的に抗戦することを発表します。

 

そして中国軍は日本軍に対して電線を切り、その電線の修理をしているときに中国軍が襲撃するなど日本に対してさまざまな挑発行為を繰り返します。

 

それに激怒した日本はついに中国を全面的に侵攻を開始しました。日中戦争の始まりです

 

 

②もう一つの原因「第二次上海事件」

8月9日上海において日本のとある軍人が中国人に25発の銃弾を浴びた後顔が潰され、胴体に穴をあけるなど惨殺行為をされた事件が起きます。(大山事件

 

そして中国は上海にいた日本軍に対して総攻撃を開始します。

 

日本も大山事件などの「もはや隠忍その限度に達し中国軍の暴虐を膺懲して南京政府の反省を促す」という怒りのコメントを発表し、中国の都市を爆撃し始めました。

 

この一件をまとめて第二次上海事件といいます。

 

こうして中国は日本と全面戦争になっていくのでした。

 

いろいろ意見が分かれる海外の反応

 

 

盧溝橋事件は日本の軍事的行動も要因の一つですが、中国軍が挑発したからこんなことになっているんだと意見する人もいました。

 

例えば、ニューヨークタイムズは・・・

 

『盧溝橋での戦闘の責任については見解がわかれるかもしれないが、上海での戦闘に関する限り事実はひとつしかない。日本軍は戦闘拡大を望まず、事態悪化を防ぐためにできる限り全てのことをした。中国軍によって衝突へと無理矢理追い込まれてしまった』

 

と日本の方を擁護する記事を載せました。

 

では海外の反応を見ていきましょう。

 

①国際連盟の反応

国際連盟は上海事変から日本が行なっている中国の各都市への空爆に対する人道的迫害には、非難決議を満場一致で採択して日本の中国に対する行為を徹底的に非難しました。

 

しかし、日本はとっくの昔に国際連盟を脱退しているためこの非難は日本にはまったく響きませんでした。

 

 

②ナチスドイツの反応

知らない人も居ると思いますが、実はナチスドイツは最初の頃は中国の方を応援していました。

 

盧溝橋事件の後も中国を支援していましたが、ドイツは日本と同盟を模索していくようになっていき最終的には日独伊三国同盟によって完全に日本の味方になりました。

 

 

③アメリカの反応

アメリカのルーズベルト大統領は盧溝橋事件から始まった日本の軍事的行動の非難をシカゴで行いました。

 

そしてこれを機にどんどん日本に対して圧力をかけていきました。

 

盧溝橋事件のその後「国民政府相手にせず」

日本は中国と全面戦争になりましたが、日本は何度も中国と講和を結ぶチャンスがありました。

 

しかし、近衛文麿は『国民政府相手にせず』というコメントを残して講和交渉を打ち切ります。

 

そして、日本と中国はこれから8年間という泥沼的な戦いを行うことになっていくのでした。

 

まとめ

 盧溝橋事件とは、1937年(昭和12年)に中国の盧溝橋という橋で起こった衝突事件のこと。

 日本は盧溝橋付近で軍事演習をして中国から銃撃を受けた。

 事件は講和を結んでなんとか収束しかけたが、近衛文麿が陸軍に押されて中国に対する強硬姿勢をとった

 中国はさまざまな挑発行為を行い第二次上海事変で全面戦争に突入した

 中国の挑発行為も原因だという意見もあり、日本を擁護する声もあった。