【三淵藤英とは】「麒麟がくる」で登場!!彼の人物像や経歴をわかりやすく解説!

 

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。

 

「麒麟がくる」では、謎多き武将明智光秀が主人公に選ばれ、光秀と関わりのあった室町幕府の重要人物も出演します。

 

その一人が今回取り上げる三淵藤英(みつぶちふじひで)です。

 

 

三淵藤英は、世間的には知名度は決して高くはありませんが、果たしてどのような人物なのでしょうか?

 

早速見て行きましょう!

 

三淵藤英の生涯

 

世間的には、知名度の低い武将ながら、歌人大名細川藤孝の兄と言った方が分かる方は多いかもしれません。

 

崩壊しかけの室町幕府を支え、12代将軍足利義晴・13代将軍足利義輝・15代将軍足利義昭に仕えました。

 

最後まで室町幕府に忠義を尽くしながらも、室町幕府が崩壊すると織田信長に仕え功績を残します。

 

しかし、突如として信長の逆鱗に触れると領地没収の上、嫡男と共に自害して果てるのでした。

 

なかなか、情報の少ない武将ですが、分かる範囲で見て行きましょう!

 

 

三淵藤英の生涯年表

 

  • 誕生年不詳
  • 1540年頃 12代将軍足利義晴に仕える
  • 1546年  13代将軍足利義輝に仕える
  • 1558年  義輝が京へ帰還して幕府復権へ
  • 1565年  義輝が三好三人衆により暗殺される
  • 1568年  足利義昭15代将軍に就任する
  • 1573年  槇島城の戦いで二条城に籠城する
  • 1574年  死去

 

実は、弟とされている細川藤孝よりも年下と言う説もあり、誕生年がはっきりしない事からも謎が多いです。

 

兄だと仮定すると弟藤孝が1534年生まれなので、それ以前の誕生と言う事になります。

 

一体どのような人物なのでしょうか?詳しく見ていきましょう!

 

三淵藤英の壮絶な人生を振り返る

 

室町幕府の重臣の家の嫡男に生まれた藤英は、言わば幕臣のエリート人生が最初から約束されたと言っても過言ではない人生でした。

 

悠々自適の御曹司生活に、将来の出世街道間違いなしと言いたい所ですが、すでに室町幕府は権威を失い、将軍その人ですら本拠地京から追い出される始末でした。

 

そんな時代に生まれた藤英は、はっきりと何をしたと言う功績は残っていませんが、弟細川藤孝と共に将軍を支え室町幕府復権へと動いた人物です。

 

 

戦をして功績をあげると言うよりも裏方の実務者として功績を残した人物と言うべきでしょう。

 

そして最後まで将軍への忠義を貫いた人でした。

 

義晴及び義輝に仕える

前半期の人生に関しては、正直史料が無くはっきりしない藤英ですが、幕臣の嫡男に生まれた藤英は規定路線通り、12代将軍足利義晴に仕えました。

 

足利義晴.jpg

 (足利義晴像 出典:Wikipedia)

 

弟藤孝は、同じ幕臣の細川家の養子になり、家は、違えど兄弟共に足利家に仕えていました。

 

しかし、時の権力闘争に巻き込まれ敗北をきした義晴は、現役将軍ながら本拠地京を追われ、近江と京を行き来するという屈辱を味わっていました。

 

それだけ当時の幕府には、すでに権威が地に落ちていたと言うことでしょう。

 

義晴は、何とか我が子への将軍就任をスムーズに行うため、息子「足利義輝」13代将軍を就任させ隠居します。

 

 

義輝は、そんな父を見ていたせいか幕府の復権を切に願っていました。

 

義輝復権からの暗殺へ

将軍に就任した義輝は、率先して幕府復権のために動き京へ復帰するも再び追いやられるという先代と変わらない事態を招いていていました。

 

そんな義輝の願い、幕府復権のために裏で実務を担当していたのが、藤英・藤孝兄弟でした。

 

しかし、権力闘争を終着させ、五年振りに義輝は京へ帰還すると、幕府復権を強めるために積極的に将軍の威光を使い各地の戦国大名のいざこざを纏めるなど積極的に活動します。

 

ですが、表面上は決着した闘争とは言え、自ら指図し始める将軍を快く思わない家臣がいるのも実情で、全てが藤英兄弟のように真面目に仕えている訳ではなかったのですね。

 

自らが権力握るため、自分の思うままに動く将軍擁立を目指した三好三人衆によって、こともあろうか現役将軍が暗殺されてしまうのでした。

 

③義昭擁立へ

主君義輝が失意のまま、亡くなると藤英兄弟は、すぐさま対抗馬を擁立させます。

 

それは、12代将軍義晴の次男にして13代将軍義輝の実弟「覚慶(事後の義昭)」です。

 

 

次男である義昭は、過去の先例に従い幼少のみぎりに出家していましたが、三好三人衆によって興福寺に幽閉されてしまったのです。

 

義輝の近親者である義昭は、三好三人衆からすると要注意人物でした。

 

藤英兄弟は、その義昭を秘密裏に逃がすため、興福寺の僧侶を味方になるよう交渉したり、幽閉部屋の特定、逃走ルートの確保に走ります。

 

無事に義昭を逃がす事に成功した物ものの、事実上室町幕府は乗っ取られ状態の上、義昭一人の力では到底将軍就任までこぎ着けません。

 

そこで各地の有力大名に協力を要請し、尽力したのが藤英兄弟でした。

 

そこで話にのってくれたのが織田信長だったのです。

 

義昭VS信長「槇島城の戦い」

(織田信長 出典:Wikipedia)

 

話にのってくれた信長でしたが、そもそも信長は心から義昭を敬い助けようとした訳ではありません。そもそも温度差があるのです。

 

何とか京に上洛、15代将軍となりたい義昭に対し、義昭に協力することで室町幕府の守護者という名声を手に入れ、他の大名と交渉のテーブルに就きたい信長は別に室町幕府になど従うつもりはなかったのです。

 

事実、義昭は将軍とは言え、各地の大名の協力を仰がなければ将軍にすらこぎ着けない男です。

 

当時の勢力と言えば、信長が完全に上と言わざるを得ない状態でした。

 

義昭と信長の不仲が表面化して来ると当然幕臣の間も揺れ動きます。

 

今後の行く末を見れば、各地の大名の力なくば何も出来ない義昭が信長を見限れば、もはや勝ち目がない事は分かりますが、果たして忠義を取るか権力を取るか…

 

しかも一枚岩で頑張って来た藤英兄弟にもひびが入り、弟藤孝が完全に信長に寝返ってしまったのでした。

 

激怒した藤英は、藤孝の居城を襲撃する企てを立てますが、結局未遂に終わるという不穏な空気が流れます。

 

⑤結局信長の家臣へ

義昭が挙兵すると二条城を守る藤英でしたが、圧倒的兵力の前に味方が怖じ気づくと続々と味方が離脱、結局実質一人取り残され城に立て籠る羽目になります。

 

それでも義昭に忠義を尽くすべく一人奮闘しますが、一人では勝ち目がない事くらい誰の目にも明らかです。

 

結局、柴田勝家の説得で降伏すると信長の元に下り、織田軍として従軍します。

 

しかしながら、やはり信頼されていなかったのが、しばらくすると突如として城を没収され、嫡男共々自害させられるのでした。

 

残念ながら処分された理由は分かりません。突発的な物なのかはたまた何かやらかしたのか…

 

個人的な推察

 

正直目に見える実績の少ない武将ですが、当然主君を支えるためには実務処理にたけた家臣も必要です。

 

後に豊臣家中で文治派と武断派と分かれたように武将にもその性格から向き不向きはあります。

 

一見実績が少ないように見えても陰の立役者として、主君に忠義を誓っていた事は間違いありません。

 

麒麟がくるで三淵藤英を演じるのは「谷原章介さん」!

大河ドラマ「麒麟がくる」で三淵藤英を演じるのは、俳優の谷原章介さんです。

 

 

長年王様のブランチで司会をされ、NHKでは、うたコンの司会も務め近年では、司会のイメージも強いですね。

 

イケメンで優しいお父さんと言う好青年イメージです。

 

プライベートでは、六人の子のパパとしても有名で奥様が俳優のいしだ壱成さんの元奥様と言うの有名です。

 

過去の大河ドラマでは、「新撰組」や「風林火山」に出演されています。

 

「風林火山」の今川義元役は、あまりにもイケメンでしたね!

 

バラエティーから司会俳優迄こなすマルチなタレントさんですね!

 

三淵藤英は、なかなか史料の少ない人物なので、どのように描かれるか分かりませんが楽しみですね!

 

まとめ

まとめ

 

 三淵藤英は幕臣の家に生まれ本来ならエリート街道まっしぐらだった。

 

 藤英は義輝のために尽力し、義輝の京帰還を見事果たした。その後、義輝が暗殺されると義昭擁立に奔走する。

 

 義昭は無事将軍になるが信長と不仲になり、弟藤孝までもが信長に寝返る。

 

 信長に義昭が挙兵すると従軍するも皆敗走する。

 

 その後、藤英は信長の家臣となるが、最後は謎のしを遂げる。