1914年から1918年にかけてヨーロッパでは第一次世界大戦が繰り広げられていました。

 

今回は『第一次世界大戦』が起こった原因や経過・その後の世界について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

第一次世界大戦とは? 

(第一次世界大戦 出典:Wikipedia

 

 

第一次世界大戦とは、1914(大正3)から1918(大正7)にかけてヨーロッパで起こった戦争です。

 

ヨーロッパの各国が連合国同盟国に分かれて戦いました。

 

また、アジアやアフリカには独立国が少なく、ヨーロッパ各国の植民地となっていたので実質世界のほとんどの国が参加した戦争になります。

 

飛行機や戦車・毒ガスなどこの戦争で初めて使われた武器もあったこと、前線で戦う兵隊だけではなく戦争を遂行するための物資の生産面で女性が活躍したことや、純粋な軍事面のみならず経済力や工業技術力も含めた総力戦であったことが特徴です。

 

第一次世界大戦が起こった背景

(ヴィルヘルム2世とビスマルク 出典:Wikipedia

①ビスマルク外交

1871年、普仏戦争でプロイセンがフランスに勝つとドイツ帝国が成立します。

 

ドイツ帝国宰相のビスマルクはフランスの復讐を恐れ、オーストリア、ロシアと三帝同盟を締結。

 

のちにオーストリアとロシアがバルカン問題で対立すると、オーストリア、イタリアと三国同盟を結び、ロシアとは再保障条約でロシアとの関係を維持します。

 

イギリスは栄光ある孤立政策によりどこの国とも同盟を結ばない方針でしたので、これで外交的にフランスを孤立させることができました。

 

これをビスマルク外交といいます。

 

②ドイツの野心

1888ヴィルヘルム2世がドイツ帝国皇帝に就任するとやがてビスマルクと対立。ビスマルクは失脚します。

 

ヴィルヘルム2世は帝国主義政策を進め、海外植民地の獲得に動きます。

 

今後ドイツの人口が増えていくことが見込まれるので余剰人口を海外へ移住させたかったこと、さらに世論を国内問題から対外問題にそらすことで国内世論の統一をはかろうとしたからです。

 

しかし、ドイツの膨張政策はイギリスやフランスとの対立を意味していました。

 

またドイツはオーストリアとの関係を深めるためロシアとの再保障条約を延長しませんでした。

 

一方、ロシアはフランスと接近し、露仏同盟を結びます。

 

こうしてドイツはフランスとロシアに挟まれることになってしまいました。

 

③栄光ある孤立を捨てるイギリス

19世紀末イギリスは南アフリカの植民地で起きたボーア戦争に苦戦します。

 

また、ドイツやロシアなど後進国も力をつけてきたこともあり、イギリスは圧倒的な国力によって維持できた栄光ある孤立に陰りが見え始めてきました。

 

そんな中ドイツはイギリスとは関係を回復しようと努めますが、対ロシア関係で悩んでいたイギリスはロシアとの決定的な対立を避けようとするドイツよりも義和団事件で活躍した日本を同盟相手として選びます。

 

 

こうして1902日英同盟が成立しました。同時にイギリスは栄光ある孤立を捨てたのです。

 

 

このあとイギリスは1904年に英仏協商1907年に英露協商を結び、それぞれお互いに現状の勢力圏を認め合いました。

 

もともと結ばれていた露仏同盟と合わせてイギリス・フランス・ロシアによる三国協商が成立しました。

 

④バルカンを巡るオーストリアとロシアの対立

バルカン半島はオスマン帝国の領土でした。

 

しかし、オスマン帝国が衰退すると各民族間で独立運動が起きます。

 

この地域にはドイツやオーストリアと同じゲルマン系、ロシアと同じスラブ系など様々な民族が暮らしていました。

 

それぞれ自分たちの影響力を強めようとしたため、オーストリアとロシアの間で対立が深まっていきます。

 

1908年オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナを併合します。

 

この地域には多数のセルビア人が住んでいたためにセルビアはオーストリアに反発。ロシアはセルビアを支持し、オーストリアと間で戦争の危機(ボスニア危機)が起こりますが、同盟国ドイツがオーストリアを支援したことで戦争は避けられました。

 

しかし、セルビアの反オーストリア感情は以前残り、対立そのものが無くなったわけではありませんでした。

 

いつ戦争が起きても不思議ではない状態だったので、バルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれるようになります。

 

直接対立しているのはオーストリアとセルビアですが、オーストリアのバックにはドイツが、セルビアのバックにはロシアがいますし、ロシアはイギリス・フランスと同盟関係にあるので、オーストリアとセルビアの間で起きた問題が全ヨーロッパを巻き込んだ戦争に発展する可能性があったのです。

 

第一次世界大戦の開始

(ドイツの突撃歩兵 出典:Wikipedia

①戦争の原因「サラエボ事件」 

このような状況の中191468日オーストリアの皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻が、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボでセルビア人の青年に暗殺されるという事件が起きました。

 

これがサラエボ事件です。

 

事件に対処するため当初は主要国によって外交交渉が持たれ、話し合いでの解決が目指されましたが交渉は決裂。

 

728日、オーストリアがセルビアに宣戦を布告します。

 

このあと、協商国側・同盟国側が次々に宣戦を布告し第一次世界大戦が開始されました。

 

②シュリーフェン・プラン

フランスとロシアが露仏同盟を結んだことにより、ドイツはこの二つの国に挟撃される恐れがありました。

 

そのために考えられたのがシュリーフェン・プランです。

 

このプランではまずは全力でフランスを攻撃し、フランスを倒したのちにロシアと戦う、というものでした。

 

第一次世界大戦でもドイツはこのプランに則してまずは対フランスに戦力を割きます。

 

ドイツ軍は中立国ベルギーを通ってフランスを攻撃しようとしますが、予想以上のベルギー軍の抵抗に苦戦します。

 

また、ロシアの動員力が遅いと見越して先にフランスを攻撃しましたが、想定以上にロシアの兵員動員が早かったのも誤算でした。

 

苦戦をしながらもドイツ軍は前進しますが、ついに戦線が膠着します。

 

こうしてドイツ軍もフランス軍も塹壕を掘り対峙する、塹壕戦が始まりました。この塹壕は北海からスイス国境まで700キロにも及びました。

 

(塹壕に隠れるオーストラリア兵 出典:Wikipedia) 

 

③東部戦線

 オーストリアも同盟国ドイツが戦力をフランスに割いたために、セルビアだけではなくロシアにも戦力を割かねばならなくなりました。

 

当初の予定よりも少ない戦力でセルビアを攻撃したこともあり、セルビアに対して最初の戦いで敗北してしまいます。

 

これは連合国軍にとっては重要な勝利になり、オーストリアにとっては弱体化する要因になりました。

 

ドイツのシュリーフェン・プランよりも迅速に兵隊を動員したロシア軍は東プロイセンに侵攻します。

 

当初はロシアが快進撃を進めますが、ドイツ軍の指揮官がヒンデンブルクに交代しタンネンベルクの戦いに勝利。ロシア軍を東プロイセンから撃退することに成功しました。

 

④その他の国の対応

 オスマン帝国はドイツによるバグダード鉄道の建設によりドイツとの関係が深まっていました。

 

オスマン帝国政府内でも賛否両論がありましたがドイツ側に立って参戦します。

 

イタリアはドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいましたが、オーストリア領内に未回収のイタリアと呼ばれる領土問題を抱えていました。

 

 

そのため20世紀に入ってから英仏と接近し、第一次世界大戦にはオーストリアに宣戦を布告し連合国側で参戦します。

 

このため、三国同盟はドイツとオーストリアの二国同盟になりました。スウェーデンなどの北欧諸国は中立を宣言します。

 

日本は日英同盟を理由に連合国側にたって参戦します。

 

当時、日本は中国の山東省にドイツの利権があり、軍隊が駐留していましたのでここを攻撃し占領しました。

 

またドイツ領だったサイパンなどの南洋諸島も占領。日本軍はこのあと輸送船護衛のための艦隊をヨーロッパに派遣します。

 

この艦隊は小規模でしたが西部戦線に大きく貢献し連合国諸国から高い評価を受けました。

 

経済面においても日本は大戦でヨーロッパ各国が物資を必要としたこともあり、製造業や海運業が好景気になりました。

 

成金と呼ばれる成功者が続出したのもこの時期です。

 

また、ヨーロッパ各国が戦争でアジアに対して干渉する余力がないこともあり、中華民国に対して21か条の要求を出しました。

 

 

第一次世界大戦の経過

Uボート作戦 

1915年、ドイツはイギリスに対して海上封鎖作戦を開始します。イギリスに向かう輸送船を沈めることで物資や資源を届かないようにしたのです。

 

そのために活用したのがUボート(潜水艦)。これは中立国の商船も含めて攻撃をするという無制限潜水艦作戦でした。

 

しかしこの決定は中立国の反発を受けます。

 

特にアメリカの商船が攻撃され、民間人にも被害が生じたためアメリカ世論が憤慨。これを受けてドイツは作戦を中止しました。

 

しかし、1917年アメリカ大統領ウィルソンが連合国に対して秘密裏に和平を仲介していたことが明るみに出ます。

 

和平の条件として連合国がアメリカに出した案は、ドイツを始めとする同盟国にとっては受け入れることのできない内容でした。

 

それでもウィルソンは同盟国に和平案に関する国民投票を提案しますが、同盟国は拒否。

 

ドイツは無制限潜水艦作戦を再開し、アメリカとドイツの関係は悪化し、4月にはアメリカがドイツに対して宣戦を布告しました。

 

②アメリカの参戦

アメリカはヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉というモンロー主義を取っていました。

 

ウィルソンは1916年の大統領選挙でも中立を訴えて当選していましたが、ヨーロッパでの戦争にドイツが勝利した場合、世界観の違いからアメリカとの対立は避けられない状況でした。

 

それに加えてアメリカが仲介する講和へのドイツの拒否と無制限潜水艦作戦の再開。

 

さらにはドイツがテキサスなどをメキシコ領とする代わりにメキシコにドイツ側に立って参戦することを要請していたことがわかり、アメリカ国民の間には反ドイツ感情が高まっていきました。

 

これを受けてアメリカはドイツに宣戦布告します。

 

アメリカの参戦は連合国、特に西部戦線において優位な状況を生み出しました。さらなる兵員の増強と物的支援が得られたからです。

 

③ロシア革命と東部戦線

1917ロシア革命が起きます。

 

 

当時のロシアは農業中心の国で工業力が求められるこの戦争に国力が疲弊していました。

 

戦争の重圧、インフレ率の上昇、さらには厳しい食糧不足により労働者や兵士の妻、女性の農民が首都ペトログラードでデモ行進を行い、これが二月革命に発展します。

 

これにより皇帝ニコライ2が退位し、ロマノフ朝が終わります。

 

その後成立した臨時政府は戦争を継続しますが、国民の間には厭戦気分が広がっていました。

 

やがて帰国したレーニン十月革命を起こし、彼が率いるロシア社会民主労働党のボリシェビキ(多数派の意味)が権力を奪取します。

 

権力奪取の翌日ボリシェビキは「平和に関する布告」を発表。これを受けてブレスト=リトフスク条約が結ばれ、ロシアが第一次世界大戦から離脱します。

 

東部戦線は解消され、ドイツは西部戦線に戦力を投入できることになりました。

 

④ドイツ降伏、講和へ

東部戦線が終結したことでドイツ軍の西部戦線での戦力が増大しました。

 

連合国軍よりも多くの兵隊を派遣し一時は前線を前進させますが、戦局を好転させるものではありませんでした。

 

その後ドイツ軍に作戦のミスや物資の不足が起こり兵士の士気が低下していきます。

 

その結果、次第に連合国軍に押されてくるようになってきました。ドイツ軍部も自軍の弱体化を悟り、敗戦を覚悟します。そのような気分は兵士にも知れ渡っていました。

 

こうした中ドイツ海軍が最後の賭けともいえる攻撃計画を経てますが、キールにある軍港の兵士たちが反乱を起こします。

 

さらにバルカン半島が連合国軍に奪われたことで、石油や食料などの補給の見込みも立たなくなってきました。

 

連合国軍は兵士や物資が増えてきたこともあり、ドイツは降伏へと傾きました。

 

そこで講和条件がイギリスやフランスより緩やかだったことからアメリカに講和を申し入れます。皇帝ヴィルヘルム2世は退位しドイツ帝国は滅亡、ワイマール共和国が成立しました。

 

そして、191811月ドイツと連合国との間で休戦協定が結ばれます。

 

第一次世界大戦の結果

(戦争で破壊されたベルギーの町 出典:Wikipedia)

①帝国の崩壊

戦争の結果4つの帝国がなくなりました。

 

つまり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国です。

 

このうち3つは敗れた同盟国側の国です。

 

4つすべての国が分裂し、9つの新しい国が誕生しました。ロシアではこのあと、1922年にソビエト社会主義連邦共和国が成立します。

 

主な戦場となったベルギーとフランスが多大な損害を受けましたが、ドイツとロシアもそれに匹敵するぐらいの損害を受けました。

 

②パリ講和会議

1919パリ講和会議が開かれ、ドイツに対する講和条約であるヴェルサイユ条約が成立します。

 

 

日本からは全権として西園寺公望が参加しました。この結果、ドイツには膨大な賠償金とその保障のためラインラントが非武装地帯になることが決められました。

 

この後ドイツは賠償金の支払いに苦慮し、国内では未曽有のインフレが発生します。

 

社会不安やヴェルサイユ体制への不満から、ヒトラー率いるナチスが台頭し、第二次世界大戦へとつながっていくのです。

 

また、この講和会議では同時にアメリカ大統領ウィルソンが提唱した「十四か条の平和原則」に基づき、国際連盟が設立されることが決められました。

 

しかし、アメリカは議会の承認が得られなかったので、提唱国でありながら連盟には参加しませんでした。

 

③戦後のヨーロッパ社会

この戦争では、戦車、飛行機、毒ガスが初めて使われました。

 

特に毒ガスの被害や、塹壕戦の影響で精神面での被害を受けた兵士も続出し、戦争が終わった後も彼らは悩まされ続けます。

 

また、男性が兵隊として戦場に出た分、国内で経済を支えたのは女性たちでした。

 

戦争が契機となり女性の社会進出が始まり、このあと主要国では女性にも参政権が与えられるようになります。

 

そして、戦後のヨーロッパは戦場になっていたために荒廃状態。この復興を担ったのはアメリカです。これまで世界の中心はヨーロッパでしたが、このころからアメリカの存在感が増してきます。

 

さらに、ドイツのイギリスやフランスに対する賠償金もアメリカがドイツを支援することで支払われます。

 

イギリスやフランスもアメリカに借金をしていましたので、アメリカ→ドイツ→イギリス・フランス→アメリカとお金が周っていたのです。

 

しかし、この結果ヨーロッパ経済がアメリカに依存することになり、アメリカ発の世界恐慌が波及する要因になりました。

 

 

まとめ 

 第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて行われたヨーロッパにおける大規模な戦争のこと。

 きっかけになったのはサラエボ事件で、連合国と同盟国に分かれて戦争が行われた。

 日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、中国や南洋に進出。輸出も好調で国内は好景気になった。

 ドイツの降伏で戦争が終結し、講和条約としてヴェルサイユ条約が結ばれた。

 アメリカ大統領ウィルソンの提唱で国際連盟が設立されるがアメリカは不参加となった。

 ドイツに多額の賠償金を課したことがのちの第二次世界大戦の原因になった。




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