【民主主義と民本主義の違い】簡単にわかりやすく解説!!意味や特徴など

 

みなさんは、民主主義と民本主義の違いを理解していますか?

 

共に、デモクラシーの訳語である民主主義と民本主義。

 

このうち、有名といいますか、普段からよく聞くのは民主主義ではないでしょうか。

 

これに対して、民本主義は、日本史などを学ぶ中で出てきたことだろうと思います。

 

今回は、民主主義と民本主義について、両者の違いについてわかりやすく解説します。

 

そして、馴染みの薄い後者をより深く、提唱者についても含めて説明していくことにします。

 

民主主義と民本主義の違い

 

結論から述べましょう。

 

〇民主主義・・・政治的な意思決定は、主権者である民衆が行う考え方。

 

〇民本主義・・・主権が誰にあるにせよ、民衆のために政治的な意思決定を用いるという考え方。

 

少し追加で説明しますね。

 

民主主義は、「(たみ)」が「役」という思想(≒イズム=主義)だとおさえると分かりやすくなります。太字をつなげば、「民主主義」になりますよね。

 

だから、主権者は国王や一握りの特権階級(例;貴族など)ではダメで、民になければならないわけです。

 

そして、この民が選挙などで意思を示し、その意思に従った政治をしていくのが民主政治です。民主主義を取り入れた政治というわけですね。

 

現代の日本は、選挙で国会議員を選び、その人たちに自分たちの政治意思を実現するよう働きかけていますので、まさに民主政治ですから民主主義国家です。

 

これに対し、民本主義は、政治は「(たみ)」のことを考えて行うことが「質」である思想(≒イズム=主義)だとおさえましょう。これも、太字をつなぐと「民本主義」となりますよね。

 

民本主義の考えは、誰が主権者でも構いません。

 

極端に言えば、国王でも一握りの特権階級でもいいわけです。

 

しかし、民本主義は、この国王や一握りの特権階級が自分たちに都合の良い政治をするのはダメだと考えます。

 

あくまで、「民」の暮らしを考えた政治的な決定をしなくてはならないと考えているのです。

 

 

つまり・・・

 

民主主義と民本主義の違いは、主権者にこだわるかどうか。

 

民主主義は主権者が「民」であることにこだわりますが、民本主義は、政治の目的や運用が「民」のためなら主権者について問いません。

 

 

なぜ民本主義という考えが生まれたのか?

①民主主義は「現代の考え方」、民本主義は「大正時代の考え方」

ここまでの説明を読んで、次のような疑問を抱かれたのではと思います。

 

すなわち、民本主義というのは、民主主義が達成できれば自然と実現しているのではないか、と。

 

そう、その通りです。

 

なにせ民主主義なら、主権者である「民」が自分の意思で政治をするので、その政治は自動的に自分たちのため、つまり「民」の暮らしを考えた政治になりますものね。

 

そして、現代日本で生きる我々は、憲法で国民主権がはっきり謳われ、民主主義国家なわけです。

 

だから、民本主義の「主権者が誰であれ民のために政治をする」なんてことを言う必要がありません。つまり、民本主義は現代日本で主張されている考えではありません。

 

では、いつ主張された考えなのでしょうか。

 

民本主義は大正時代のはじめ、西暦でいうと1910年代に主張され支持された考えなのです。

 

②民本主義は大正デモクラシーを支えた考え

当時、日清・日露の両戦争に勝利し、欧米各国のように植民地まで獲得、国内では産業革命も起こり、いわゆる「大国化」してきていた時代です。

 

しかし、「民」の生活は長時間労働に低賃金など当たり前の貧しいものでした。そして、政治への参加は閉ざされていました。

 

なぜなら、一定額以上の税額を払わないと選挙権がなかったからです。

 

「民」としては、自分たちが頑張って政府を支えたからこそ、「大国化」しつつあるのに、自分たちの暮らしは良くならないし、意見も聞いてもらえないのですから不満がたまります。

 

この不満が、当時、大正デモクラシーといわれる普通選挙を求めたり、女性解放や部落解放といった運動だったりに結び付くことになるわけです。

 

 

でも、政治を牛耳る政府の人々は、「大日本帝国憲法には天皇が主権者と書いてあるじゃないか、デモクラシーって民主主義だろ、それは我が国のルールじゃない。そして、我が国は法治国家だから、そのようなデモクラシー運動を進める輩は違法ものだ」という態度で取り締まるわけです。

 

この時、「天皇主権であっても政治は民のためにやるものだ」と言うのは、つまり、大正デモクラシー側を応援する思想だったわけです。

 

民本主義を主張した人物「吉野作造」について

(吉野作造 出典:Wikipedia)

 

 

当時大正デモクラシーを応援すべく民本主義を主張したのは、東京帝国大学教授の吉野作造18781933)という人物です。

 

この人が1916年に書いた論文『憲政の本義を説いて其の有終の美を済(な)すの途を論ず』によって、憲法に基づいた政治になるのは、「民」のために行う政治だと主張することで、一気に民本主義は広まったのです。

 

ちなみに、吉野作造は、「民」のために政治をやろうとするなら、主権者は民の声を聞かないといけないので、普通選挙を主張しました。

 

また、その選挙で支持された人が内閣をすべきという政党内閣も主張しています(当時、日本は、議会の多数派に関係なく首相が任命されていた)。

 

 

さらに、国会は衆議院と貴族院でしたが、この貴族院はいわゆる特権階級の集まりですから、ここを縮小する(貴族院縮小論)も展開しています。

 

戦後日本では男女普通選挙ですし、政党内閣ですし、貴族院的な場所はなくなっています。吉野作造の考えていた政治システムは、この意味で非常に現代的だったと言えます。

 

言い換えると、吉野作造の論は、民主主義的な政治システムの主張なわけです。

 

ただ、民主主義を主張してしまうと、大日本帝国憲法に違反してしまう。違反しないで、民主主義ができるように主張したい。こうした条件から編み出された考えが民本主義だったのです。

 

ちなみに、大正デモクラシーと呼ばれる諸運動も成果を残しています。

 

具体的には、吉野の思想的な指導力なども借りて、1925年に男子だけとはいえ普通選挙を導入することに成功しました。

 

また、1925~32年に憲政の常道といわれる政党内閣時代をつくることにもなりました。

 

 

しかし、憲政の常道の時代は、金融恐慌や昭和恐慌など不況期と重なり、それへの対応ができない政党内閣は、肝心の「民」から信頼を失うことになります。

 

そして、間隙をついて軍部が政治指導力を発揮する時代になると、「国体」が何より(つまり、「民」の暮らしよりも)大事だとされるようになってしまいます。

 

こうして、大正デモクラシーの成果も民本主義の主張も衰微することになります。

 

吉野は1933年に没していますので、ちょうど「国体」尊重へ時代が突入し始める時に亡くなってしまいました。

 

生きていたら、「国体」優先へどのように対峙したのでしょうか、そのようなことを考えるのも歴史の面白さかもしれませんね。

 

まとめ

 民主主義と民本主義の違いは、主権者にこだわるかどうかである。民主主義は主権者が「民」であることにこだわる。しかし、民本主義は、政治の目的や運用が「民」のためなら主権者について問わない。

 民主主義は、現代日本の政治システムに採り入れられている。民本主義は、大正時代に、天皇主権の大日本帝国憲法下で民主主義的な政治をするために主張された考えである。

 民本主義を唱えたのは吉野作造であり、彼の主張は大正デモクラシーの思想的指導を果たすことになった。