家紋は、日本固有の紋章であり、今でも私たちの生活に強く根付いている文化でもあります。

 

家紋によって、自らの家系や地位、血統や家柄を表すものとして、広く用いられています。

 

その歴史はかなり長く、源氏や平氏、藤原氏などといった強力な貴族や氏族がいたころから、自分の屋号として、固有の目印として使われていたんです。

 

それだけ、家紋は日本人の暗しに強く根付いているといってもよいでしょう。

 

その中でも、今回は謎が多い『丸に三つ引きの家紋』について、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

丸に三つ引き家紋とは?

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丸に三つ引き家紋というのは、読んで字のごとく、丸の中に三本の平行線が描かれた家紋のことを指します。

 

正式には「丸に三つ引き両紋(まるにみつひきりょうもん)」の呼び方が正しいです。

 

丸の中に描かれた三本の横平行線を「三つ引き両」と呼びます。

 

丸に三つ引き家紋の由来とは?

 

実は、丸に三つ引きの家紋の由来はまだ確かな意味が分かっていません。

 

もともとは、丸に引き両を二本引いたことに端を発している様で、この家紋を使用していた代表的なのは足利氏だったといわれています。

 

引き両と呼ばれる平行線は、一般的には「」を示しているとされています。龍が縁起を担ぐというところでは、なんだか納得の説ですよね。

 

また、ある説では朝廷から三度盃を頂いたことに由来する説もあるため、両方覚えておいて損はないでしょう。

 

では縁起がとてもよさそうな丸に三つ引き家紋ですが、どんな武将がこの丸に三つ引き家紋を使っていたのでしょうか。

 

代表的な使用者は、戦国武将:吉川元春のいた吉川家

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(吉川元春 出典:Wikipedia)

 

丸に三つ引き家紋を使用していた戦国武将がいます。

 

吉川元春(きっかわもとはる)という武将ですが、あなたはご存じでしょうか?

 

そう、毛利元就(もうりもとなり)がいる毛利家を支え、「三本の矢」にも登場する毛利家の次男なんです。

 

吉川家では代々、丸に三つ引き両紋と呼ばれる家紋を使用していました。

 

これは、足利氏の一門である細川勝元に仕えていた吉川経基(きっかわつねもと)が、応仁の乱の際に戦功を立てたことにより、賜ったものであると言われています。

 

もともと足利氏が、丸に引き紋を使用していたということが、吉川家の家紋に強く関係しているのではないかという説があります。

①吉川元春とは?

吉川元春という名前、どうして毛利家と関係あるのかというところも気になるのではないでしょうか?

 

もともと吉川元春は安芸の国(あきのくに)出身で、父が戦国一の策士とも言わしめる毛利元就の次男です。

 

ですが、父の策略によって、かつては名門だったものの、能力の低かった当時の吉川家の後継ぎとして、吉川家へ送り出したのです。

 

吉川元春は、吉川家においてもそのたぐいまれない能力を発揮します。そして、父・毛利元就の策略ではありますが吉川家を相続し、再興。強い家系へと育て上げるのです。

 

また、76戦無敗の武将として、戦国時代に名を残したのでした。

 

②鬼の武将吉川元春、戦いの歴史

吉川元春は、豊臣秀吉が最も恐れた武将としても有名です。

 

先ほどご紹介のとおり、引き分けもあったものの76戦無敗の記録を作り、通称「鬼吉川」と呼ばれるほどの猛将でした。

 

その猛将ぶりは幼少期から発揮され、父・毛利元就の反対を押し切って敵に勝利。

 

何ともスゴイ初陣を果たし、父からも「戦では元春に及ばぬ」と言わしめたほどです。

 

厳島の戦いでは、強敵の大内氏を撃破し、その後の第二次月山富田城の戦いでは、出雲を治めていた尼子氏を破ります。

 

そして、織田軍にいた豊臣秀吉と中国攻略の際に衝突するものの、最終的には本能寺の変で織田信長が自害。豊臣秀吉とは和睦を果たすのでした。

 

③豊臣秀吉が嫌いだった?!

本能寺の変により豊臣秀吉の時代が始まると、豊臣秀吉は、全国の戦国大名を自分の門下に入れようとします。

 

しかし、吉川元春は門下に入ることを拒み、隠居をします。

 

門下に入るくらいなら、隠居するほうがましだななんて、豊臣秀吉が嫌いだったのか?とも考えてしまいますよね。

 

ですが、そんな吉川元春も、豊臣秀吉からの参集には逆らうことができませんでした。

 

豊臣秀吉が九州を攻める際、隠居した吉川元春も参陣したのです。

 

しかし、病気にかかった吉川元春は、小倉城で病死してしまうのです。

 

④吉川家は母方の実家だった

最初の話にも関連しますが、吉川家へ後継ぎとしていくことになった吉川元春。

 

実は、この吉川家は実の母親の実家なんです!

 

母親の実家の後継者となることによって、長男や小早川家へ後継ぎとして出向いた三男とともに団結し、毛利家とその周辺の団結を、より強いものにしていったのです。

 

丸に三つ引き家紋は吉川家だけ?

 

丸に三つ引き家紋を使用していた代表的な戦国武将は、吉川元春ですが、他にも使用している家系があるんです。

 

  • 石井氏
  • 三浦氏とその一族関係
  • 伊達氏 など

     

    石井さんという名字の人の中にも、丸に三つ引き家紋を使用している例も見られます。

     

    また、三浦氏という三浦半島を治めていた一族も使用していたとされています。

     

    ①石井氏にも丸に三つ引き家紋だった!?

    石井さんの家紋の中にも、コッソリ丸に三つ引き家紋が使われている例があります。

     

    この例は、現在の神奈川県の石井にあるんです。

     

    石井さんの中に丸に三つ引き家紋が混じっているのは、この後紹介する三浦氏に大きくかかわってくるのです。

     

    ②三浦氏の家紋は三つ引きの白抜き

    三浦氏の丸に三つ引き家紋は、白抜きの三本の三つ引きという、珍しいデザインをしているのが特徴的です。

     

    これは、一般的には三浦三つ引きと呼ばれています。

     

    この三浦氏は、滅んだ後に一族離散となり、各地で姓を変えていたとされており、一部は関東中部地方に栄えた和田氏なども丸に三つ引き家紋を使用し、三浦氏と関係しているとされています。

     

    ③伊達氏も”丸に三つ引き”家紋だった?!

    伊達氏もこの丸に三つ引き家紋だったことには、オドロキですよね。

     

    伊達氏の場合は、同じ丸に三つ引き家紋でも、引き両が縦であることが特徴です。

     

    丸の内に三つ引き家紋を、そのまま90度回したのが、伊達家の家紋です。

     

    まとめ

     丸に三つ引きの家紋は、足利氏の丸に二つ引き家紋に由来している。

     丸の中にある三本の線は引き両と呼び、龍を表しているとされている。

     もともと二本線だったが、朝廷が三度盃を頂いたという説もある。

     丸に三つ引き家紋は、主に戦国武将・吉川元春が使用し、吉川家の家紋である。

     吉川家は、もともと足利氏に仕えていた細川勝元に仕えていたという歴史がある。

     吉川元春は毛利元就の次男、母方の実家である吉川家へ後継ぎとして送らている。

     吉川元春は無敗の戦国武将であり、豊臣秀吉も恐れるほどの猛将だった。

     丸に三つ引き家紋は吉川家だけでなく、他にも使用されている家系がある。その代表的な家系は、三浦氏と伊達氏。

     三浦市の家紋は、三浦三つ引き(中白)と呼ばれている。

     伊達氏の家紋は、丸の内に縦三つ引きと呼ばれ、丸の内に三つ引きの家紋を90度返したものと同じである。