【ゲベール銃とミニエー銃の違い】簡単にわかりやすく解説!!

 

幕末を題材にした大河ドラマやマンガ、アニメを見たことはないでしょうか?

 

幕末といえば、欧米列強の介入もあり、日本人が使用していた武器も刀から銃へと変化があった時代でもあります。

 

その中でも特に、「ゲベール銃」と「ミニエー銃」という銃の名前を耳にすることは多いと思います。

 

今回は、これら『ゲベール銃とミニエー銃の違い』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

ゲベール銃とミニエー銃の違い

 

では最初に、ゲベール銃とミニエー銃の違いについて簡単にまとめてみましたのでご覧ください。

 

それぞれの違い

 

 開発された時代が違う

 

ゲベール銃・・・1670年代に開発され、1777年にオランダが正式採用する

ミニエー銃・・・1849年にフランスで開発

 

 日本に輸入された時代が違う

 

ゲベール銃・・・1832年にオランダから輸入

ミニエー銃・・・1864年にオランダから輸入

 

 スペックが違う

 

ゲベール銃・・・大量生産による構造の簡略化

ミニエー銃・・・ミニエー銃専用の弾丸が必要なくらいだった

 

✔ 使用効果が違う

 

ゲベール銃・・・敵をかく乱させるために使用

ミニエー銃・・・命中率が上がり、ひとりの人を狙い撃ちできる精度が上がった

 

✔ 使われていた所が違う

 

ゲベール銃・・・主に幕府や諸藩

ミニエー銃・・・主に戊辰戦争下の薩摩や長州藩と幕府・佐幕派

 

ここまではそれぞれの違いについて要点だけをお伝えしました。

 

これだけでは少々理解しにくいかもしれませんので、ここからはさらに「ゲベール銃」「ミニエー銃」について詳しく解説していきます。

 

ゲベール銃について詳しく解説!

(ゲベール銃 出典:Wikipedia

 

ゲベール銃は、前から弾を込める前装式で、銃身内部にライフルリングと呼ばれる施条がない、滑腔銃身タイプの洋式小銃を指します。

 

ゲベール銃の開発は、1670年代にフランスで始まりますが、その後1777年に、オランダが正式に採用した、という歴史があります。

 

オランダ語の「小銃」に値するゲベールですが、実は、名前はドイツ語の銃や小銃の意味にあたる「Gewehr(ゲヴェアー)」という単語から由来されています。

 

フランスで生まれたゲベール銃は、1832年にオランダから日本に輸入されたとされています。

 

① ゲベール銃の秘密

ゲベール銃は、もともと大量生産のために、構造が簡略化されている銃でもあります。

 

その理由は、ゲベール銃の使用目的にあります。ゲベール銃は本来「敵の密集兵団に打ち込むことで、敵を混乱させる」ということ特化した銃です。

 

日本には、元来火縄銃というものがありましたよね。ゲベール銃は、火縄銃より弾込めの時間は短縮されたものの、命中精度が低いとも言われています。

 

この、打ち込んでかく乱するというゲベール銃の特徴に目を付けたのは、幕府や諸藩でした。

 

彼らは幕末にもなると軍装を西洋式に改めてきていて、この大改革と共に、ゲベール銃を大量に輸入するのです。

 

②ゲベール銃、幕末には人気が低迷

そんなゲベール銃ですが、幕末にもなってくると時代遅れの小銃となってしまいます。

 

新規で購入する人が減ってしまい、最初は5両ほどしたものが、最終的に値崩れを起こしてしまい、戊辰戦争の頃には1~2両に!

 

ここまでの値崩れを起こしてしまっては、輸入していた業者も大変だったでしょうに。

ミニエー銃について詳しく解説!

(M1841ミシシッピ・ライフル 出典:Wikipedia

 

ミニエー銃は、フランス発祥の前から弾を込めるタイプの前装式ライフル銃タイプの、新しい小銃です。

 

フランスの陸軍大尉だったクロード・エティエンミニエーという人物が1849年に開発したため、彼の名前をもじった”ミニエー”銃という名前になったのです。

 

ミニエー銃は、その後世界各地に広がり、1864年に日本にやってきました。

 

ちなみに、日本のミニエー銃は、オランダ製のミニエー銃です。

 

ミニエー銃では、「ミニエー弾」と呼ばれる、ミニエー銃専用弾丸でないと使用が出来ないという、ゲベール銃の大量生産・構造簡略化とは打って変わった形となっています。

 

①ミニエー銃は殺傷力大幅アップ!その理由は?

ミニエー銃は、ゲベール中に比べるとその殺傷力はすさまじいものでした。

 

ミニエー銃の威力は、当時の銃器の中では、かなり強力といわれていました。どのくらい強力かというと、まず命中力がけた外れに上がっています。

 

先ほど、ゲベール銃は命中率よりもかく乱を重視していたとお話ししていましたが、ミニエー銃の命中率は、100ヤード(約91mくらい)で約95%!

 

さらに、高速で大口径の弾丸を発射できることから、一度命中すると人間の手足が吹っ飛んでしまうほどの破壊力。

 

もはや、ミニエー銃の登場により、殺傷能力と傷痍軍人の割合を上げてしまうという、ある意味悲惨な結果を生み出していくこととなるのです。

 

これにより、ゲベール銃からミニエー銃への更新が西欧諸国で行われたのです。

 

②ミニエー銃は討幕派や佐幕派に人気があった

日本にやってきたミニエー銃は、南北戦争後のアメリカから輸入され、幕府へと配備されていきましたが、討幕派にも購入者が増えました。

 

また、坂本龍馬ミニエー銃を400丁買い付けていたというエピソードや幕府の翻訳方にいた福沢諭吉が、イギリスから輸入した操作マニュアルを翻訳したなどといった逸話もあります。

 

③日本におけるミニエー銃の使用は長くなかった

そんなミニエー銃ですが、実は日本での使用は長く続きませんでした。

 

1860年代の後半になってくると、スナイドル銃などといった新たなライフル銃が登場してくるのです。

 

スナイドル銃というのは、火薬と弾丸が一体になった弾丸筒を後ろから装填し、使う銃です。

 

これによって装填の手間が省け、ミニエー銃は奇しくもゲベール銃と同じように日本に大量に出回ることとなったのです。

 

小話:戊辰戦争の勝機を分けたのは銃だった

(戊辰戦争中の薩摩藩の藩士 出典:Wikipedia)

 

あなたは戊辰戦争での薩摩藩や長州藩の強さが、銃器の差によるとことが大きかったことをご存じですか?

 

実は新政府側の薩摩や長州藩は、いち早くミニエー銃を採用し、その後すぐにより高性能のスナイドル銃へ転換したという歴史があるんです。

 

これに対して旧幕府方の東北諸藩は、この銃器の切り替えに大きく遅れてしまいます

 

さらに、西洋の軍事知識が乏しかった購入担当者が、武器商人に騙され、ミニエー銃より劣るゲベール銃を売られるというケースが少なからずあったようです。

 

薩摩と長州藩といえば、かつて尊王攘夷運動の先駆け的存在でしたよね。

 

つまり、薩摩藩も長州藩も欧州列強に惨敗し、その強さを思い知ったおかげで、欧米列強の情報をいち早く取り入れるようになったのです。

 

銃器による勝利の分け目があるって、意外と知られていないので面白いと思いませんか?

 

まとめ

 ゲベール銃とミニエー銃は輸入された時代が異なる。

ゲベール銃は1670年代に開発され、1777年にオランダが正式採用となった。ミニエー銃は1849年にフランスで開発された。

 ゲベール銃とミニエー銃は開発された時代が異なる。

ゲベール銃は1832年にオランダから輸入されていて、ミニエー銃は1864年にオランダから輸入。

 ゲベール銃とミニエー銃はスペックが異なる。

ゲベール銃は大量生産による構造の簡略化された。ミニエー銃はミニエー銃専用の弾丸が必要だった。

 ゲベール銃とミニエー銃は使用効果が異なる。

ゲベール銃は敵をかく乱させるために使用されていたが、ミニエー銃は命中率が上がり、ひとりの人を狙い撃ちできる精度が上がった

 ゲベール銃とミニエー銃は使われていた所が異なる。

ゲベール銃は主に天保時代の幕府や諸藩で使用されていたが、ミニエー銃は戊辰戦争下の主に薩摩や長州藩がいち早く手に入れていた(幕府にも配備はあった)