今では世界のいろいろなことを決めている国際連合。実はこの組織には前身となる組織が戦前に存在していたのでした。

 

今回はそんな国際連合の前身である『国際連盟』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

国際連盟とは?

(1939年に定められた半公式紋章 出典:Wikipedia

 

 

国際連盟とは、第一次世界大戦終戦直後の1920年から1946年まで存在した国際機関のことです。

 

この国際連盟は史上初の平和維持の世界期間となったものの第二次世界大戦を食い止めることはできませんでした。

 

しかし、この国際連盟がその後に創始される国際連合の前身となるのです。

 

国際連盟の成り立ち

(国際連盟本部が置かれたパレ・デ・ナシオン 出典:Wikipedia)

①第一次世界大戦の教訓

1914年から1918年の間ヨーロッパで起こった戦争である第一次世界大戦。

 

 

この戦争はこれまでの兵士間の間の戦争だけではとどまらず、新兵器の登場・飛行機の登場による民間への無差別爆撃が行われ、このまま戦争を引き続き続行すれば世界は破滅に向かう危機的な状況に追い込まれてしまいます。

 

そんな中1918年、当時のアメリカ合衆国の大統領であったウッドロウ・ウィルソンは「14か条の平和原則」を世界に訴えかけます。

 

 

(ウッドロウ・ウィルソン 出典:Wikipedia)

 

 

その中でも第14条目にある国際平和機構の設立がのちの国際連盟へと繋がっていくこととなります。

 

そして平和原則の発表から2年後の1920年にその願いは叶えられ終戦直後に結ばれた諸条約を基に国際連盟が成立

 

こうして史上初の国際平和機構が設立されて世界は平和になると思われていました。

 

しかし、実情はそんなに甘くなかったのです。

 

②アメリカの不参加

国際連盟の最大の欠点。それは国際連盟にアメリカが加盟していなかったことがありました。

 

「ちょっと待って!?国際連盟ってアメリカ大統領が提唱したんじゃないの?」となると思いますが、残念なことにアメリカ合衆国は民主主義。例え大統領が素晴らしい提案をしてもそれが通るとは限らないのです。

 

 

しかも、その当時のアメリカではモンロー主義という「アメリカはアメリカでやるからヨーロッパは勝手にしてくれ。俺は干渉しないから」のような感じてヨーロッパや世界に関係することにあまり首を突っ込むことはしませんでした。

 

そのためこの国際連盟の参加は上院議会の反対によって否決。

 

その後、国際連盟が国際連合に変わるまで参加することはありませんでした。

 

また、アメリカ以外にも第一次世界大戦の敗戦国である「ドイツ(加入は1926年)」やロシア革命の真っ只中だった「ソビエト連邦(加入は1934年)」など世界の中でも大国と呼べる国が結成当初は参加していませんでした

 

そのため、国際問題を解決できるだけの能力は薄いものだったのです。

 

国際連盟の常任理事国

 

国際連盟にはのちに続く国際連合のように常任理事国が存在していました。

 

しかし、この国際連盟の常任理事国は今の主要五大国であるイギリスとフランスに加えてイタリアと日本が含まれていました。(ちなみに、アメリカは国際連盟に参加していればもちろん常任理事国だったそうです)

 

なんとこの頃にはのちに枢軸国として第二次世界大戦を戦う「イタリア」と「日本」が常任理事国入りしていたことには驚きですが・・・

  • イタリアは同盟国から連合国に裏切ったことがありその恩義ということ
  • 日本はアジアの盟主として公平にヨーロッパ問題を解決してくれるという期待があったこと

から、常任理事国入りをしたそうです。

 

またら時代が下るとドイツが1926年に常任理事国入り、1934年にソ連が国際連盟に加盟すると常任理事国入りしました。

 

まぁ、驚くことにこの常任理事国に選ばれた国達は揃いも揃って最終的には国際連盟を脱退するのですがね。

 

ちなみに、日本は常任理事国入りをしたのに加えて国際連盟の事務局次長に日本人が就任していました。

 

その人物こそかつて旧五千円札の肖像にもなっていた新渡戸稲造でした。

 

 

(新渡戸稲造 出典:Wikipedia)

 

国際連盟の問題点

(ドイツのアドルフ・ヒトラー 出典:Wikipedia)

 

 

さて、こうして誕生した国際連盟でしたが、この組織は第一次世界大戦で懲りた国たちが創立したはずでしたが、戦から21年後には第二次世界大戦が起きるなど国際的な戦争を止めることができませんでした。

 

次はなぜ国際連盟が第二次世界大戦を止めることが出来なかったのかを見ていきましょう。

 

①全会一致の可決の問題

国際連盟の問題の一つに全ての課題の解決には全会一致ではならないというものがありました。

 

このため、国際連盟の問題を迅速に解決することができなく、国際連盟が可決した制裁発動はイタリアが1936年にエチオピアに侵攻してきたたった一回のみ。

 

こんな状態で世界の複雑な情勢や紛争を止められるはずもなく、ずるずると第二次世界大戦へと突き進んでいくことになったのです。

 

 

②大国がほとんど参加していなかった

国際連盟はイギリス・フランスを中心とした国で構成されていましたが、この国際連盟は上にも書いた通りアメリカは不参加でした。

 

さらに、1933年には日本が満州問題によって脱退。

 

それに跡を追うように1934年にドイツが、1937年にエチオピア侵攻で制裁をかけてきたという不満からイタリアが脱退します。

 

連盟側は国際連盟をなんとか維持しようと1934年にソ連を加盟させるのですが、このソ連も1939年にフィンランドに侵攻したことによって除名されることとなったのでした。

 

これによって国際連盟は常任理事国2国がいない状態となり、国際連盟は有名無実なものと化したのでした。

 

国際連盟規約について

 

国際連盟が結成された時、イギリスやフランスなどは国際連盟に関する様々なルールを取り決めました。

 

これを国際連盟規約といいます。

 

この規約には・・・

  • 前文に戦争はしかるべき時以外は出来るだけ行わないこと
  • 第8条は徹底的な軍縮を行うこと
  • 第16条には戦争をした国は全ての国と戦争をしているとして連盟加盟国全員と断交すること

など、今の国際連合に繋がる様々なルールが取り決められたのでした。

 

国際連盟における日本

 

日本は国際連盟において常任理事国という一番偉い国として色々な影響力を及ぼすポストに就任しました。

 

日本は国際連盟で唯一のアジアの常任理事国として様々な、紛争ち中立的な立場として介入したり、1919年の国際連盟規約の制定を決める際には人種差別の撤廃を盛り込むことを提案するなど国際連盟の常任理事国としてふさわしい態度で国際社会をリードしていたのです。

 

しかし、1930年代になると日本は徐々に軍国主義化

 

1931年に柳条湖事件が起こると日本は満洲における権益を独り占めにするために満州事変を起こすことになります。

 

 

しかし、国際連盟はもちろんそんなことは認めません。

 

一応は満州の地域を日本に有利な形にすることでなんとか日本に譲歩してなんとか穏便に済ませるなどの行動に出るのですが、日本はこれを不服として1933年に国際連盟から脱退。

 

国際連盟の常任理事国の立場から一転、国際社会から孤立してしまったのでした。

 

まとめ

 国際連盟は1919年に創立された世界初の国際平和機関のこと。

 国際連盟にはアメリカやドイツやソ連は最初は入っておらず、国際的な紛争を止めるのには無力であった。

 国際連盟には全会一致の原則があり、スピーディな決定が行うことができながった。

 国際連盟が創立する時に作られた国際連盟規約には戦争をしないことや、軍縮を行うことなどが決められた。

 日本はアジア唯一の常任理事国として活躍していたのだが1931年に満州事変が起こると2年後に脱退した。

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