東京オリンピックが2020年に開催される予定で大盛り上がりの東京。

 

しかし、このオリンピックは実は二回目で1964年にも開催されており、その時には日本は大きな経済発展を遂げていました。

 

今回はそんな『高度経済成長』について簡単にわかりやすく解説していきます。

 

高度経済成長とは?

(1961年ごろの東京タワー 出典:Wikipedia

 

 

高度経済成長期とは1955年頃から1973年のオイルショックまで続いた日本が急速な経済成長を遂げた時期のことです。

 

このころの日本のGNP(国内総生産)はアメリカに次ぐ2位となり、日本の生活水準は大幅に上がっていきました。また、大阪万博や東京オリンピックが開催されたのはこの時期です。

 

高度経済成長までの日本とその要因

①日本の復活

日本は第二次世界大戦に敗北したことによって、朝鮮半島や台湾などの明治維新以降に獲得した領土をすべて失ってしまい、さらに日本全国が空襲の被害の受け日本の産業は壊滅状態となっていました。

 

これによって日本の経済状況は破綻していましたが、日本は運のいいことに1950年の朝鮮戦争によってアメリカから武器などの製造注文がどんどん入ってきていました。作れば作るほど儲かるという朝鮮特需というウハウハな状態に突入していきます。

 

その結果、敗戦から8年後には戦前の水準を上回り『もはや戦後ではない』といわれるほど日本の産業は完全復活を遂げ、日本は経済大国への道へと進んでいくことになりました。

 

②好景気の原因

 

こうした経済成長の裏には・・・

・1ドル360円の円安相場

・豊富な労働力

・格安な石油

の3つにありました。

 

まず、1つ目の円安相場なんですが、円安の何がいいというと、なんといっても輸出国の場合とんでもなく有利になるからです。

 

日本というのは地理で習ったかもしれませんが、原材料を輸入してそれを加工して製品を作りそれを輸出している加工貿易を主に行なっている国です。

 

そのため円安になると、円高の時と比べて輸出した製品が海外において安く売ることができるようになり、アメリカ製品よりも売れるようになります。

 

2つ目の労働力ですが、この頃戦争が終わって戦地から帰ってきた元兵士の人たちや、中学を卒業したばかりの金の卵と言われていた人たちががゴロゴロいました。

 

さらに、この労働者たちは元々日本軍によって鍛えられた根性論によって安い給料でもよく働くという経営者から見たらすごく都合のいい労働者だったため、生産効率は急上昇。大量生産が可能となり大量にお金を稼ぐことができるようになりました。

 

3つ目の格安な石油はこの頃エネルギーの主な原料がとても安い石油に変わったことによって機械を安価な費用でフル稼働できるようになり余計に利益が出るようになりました。

 

この3つの柱によって日本の高度経済成長は支えられていきます。

 

また、経済成長によって人々の所得が増えたことにより、お金を惜しみなく使えるようになりました。

 

この結果お金の動きが活発化し、税収も増えていくという好循環が生まれていったのもこの高度経済成長の特徴でもあります。

 

高度経済成長の時の政治と文化とその影響

①所得倍増計画

1960年は岸信介が安保法案を無理やり可決してそれが原因で安保闘争などの若者などのデモが頻発しており、人々が政治に注目していた時でした。

 

しかし、安保法案を成立した直後に岸信介は総理を辞め、その次に池田勇人が総理大臣となります。

 

(池田勇人 出典:Wikipedia

 

 

この池田勇人という人は『所得倍増計画』という文字通り国民の所得を倍にする計画を打ち出します。

 

「そんなアホな」と経済学者は言っていましたが、この池田勇人はとある大きな世界的行事を利用すればできると考えていました。そう!4年後に控えている1964年東京オリンピックです。

 

②東京オリンピックの開催.

(開催決定を報じた新聞 出典:Wikipedia

 

 

東京オリンピックを作るためにまず、東名高速道路や新幹線を新大阪〜東京間で開通する予定だったため、建設のための労働力が必要でした。

 

そのため失業者を雇用できる場所を生み出し、失業者を減らすことに成功します。

 

この考え方をケインズ経済学と言い、これはアメリカのニューディール政策などの近代の経済政策でよく使われている手法なんです。

 

この計画は大当たり。東京オリンピックは無事何事もなく終わらせることができ、わずか4年で所得倍増計画は達成するという偉業を成し遂げました。

 

さらに1970年には大阪で万博が開催。『人類の進歩と調和』というキャッチコピーで開催したこの万博は日本の復興を世界にアピールした万博でもありました。

 

③3種の神器の登場

所得倍増計画が達成されて国民の給料が増えると民衆たちは新たなる家電を購入するようになります。

 

その中でも特に人気だったのが白黒テレビ・洗濯機・電気冷蔵庫の三種の神器と言われる家電。

 

この家電の普及によって家事の時間は大幅に減少。主婦たちが気軽にお出かけできるようになりました。

 

高度経済成長の弊害

 

 

日本は戦後の焼け野原から一気に復活し、経済大国の仲間入りを果たした一方で、高度経済成長による急速な工業化によって環境汚染が深刻化する問題も出てきます。

 

これを公害問題と言うのですが、とにかく覚えて欲しい公害はこの4つが挙げられです。

四大公害

新潟水俣病(新潟県)

イタイイタイ病(富山県)

四日市ぜんそく(三重県)

水俣病(熊本県)

 

これら4つを合わせて『四大公害病』と呼ばれます。

 

また、労働者たちが東京や大阪などの工場に就職した結果、都市部と地方の人口格差が深刻な問題として表面化していきます。

 

その結果、都市部では車の交通渋滞やごみ問題などが発生し、地方では過疎が進んでいくことになりました。

 

高度経済成長の終わり

(オイルショックに伴うトイレットペーパー騒動 画像引用元

 

 

日本の高度経済成長はオイルショックニクソンショックによって1973年に終わることになります。

 

まず、オイルショックについてですがこの頃アラブではイスラエルとアラブ諸国による第四次中東戦争が勃発していました。

 

日本はイスラエルの味方になっていましたが、これを見てアラブ諸国の人たちは自分たちの国から出る石油の輸出量を制限。さらに石油の価格を4倍にするという異常なまでに価格を上昇させ、イスラエル側についていた国たちを困らせようとします。

 

これをオイルショックというのですが、これによって機械をフル稼働で動かすことが難しくなってしまいました。

 

また、ベトナム戦争でのアメリカの経済悪化によって1ドル360円という固定相場が崩れてしまい、1971年には1ドル308円に大幅に引き上げられることになります。

 

また、1973年には、固定相場制を廃止して現在でも行なっている変動相場制に変更されます。

 

これによって、日本は急速に円高になり、日本製品を格安な値段で外国に売ることができなくなり高度経済成長は終わりを迎え日本は安定成長期に突入していくのです。

 

まとめ

・高度経済成長とは1955年ごろから1973年まで続いた日本の急激な経済発展のこと。

・この高度経済成長の理由は円安、安価な石油、豊富な労働力だった。

・この高度経済成長の間に東京オリンピックや大阪万博が開催し、高速道路や新幹線が開通した。

・1973年のオイルショックによって高度経済成長は終わりを迎えた。




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