【関東軍と日本軍の違い】わかりやすく解説!!それぞれの意味・役目など

 

関東軍と日本軍。どちらも歴史の授業で習う重要なワードです。

 

しかし、この2つのことをごっちゃにしてしまい、訳が分からなくなってしまうことがあります。

 

今回はそんな『関東軍と日本軍の違い』についてわかりやすく解説していきます。

 

日本軍と関東軍の違い

 

 

日本軍と関東軍は両方日本国内での軍隊のことです。

 

この関東軍と日本軍をよくごっちゃにしがちですが実はこの2つはちょっとした違いがあります。まずはその違いを見てみましょう。

それぞれの違い

日本軍・・・名前の通り日本の軍隊のことで海軍と陸軍がある。軍のトップは天皇。その下に陸軍大臣と海軍大臣がいて参謀総長が軍の指揮をしていた

関東軍・・・関東軍は日露戦争によって日本の租借地となった大連や満州などを保護するために日本から派遣された軍のこと。

この場合の関東は日本の関東地方のことではなく、山海関という関所よりも東に軍が置かれていたことから名付けられました。

関東軍のトップは司令官。その下に参謀長が置かれていました。

 

ここで覚えておきたいのが、関東軍は一応日本軍の配下にいたことです。

 

関東軍は元々日本から派遣されている軍で本来は天皇に従わなければいけない立場ですが、1930年以降この関東軍は日本を揺るがす事件を連発し、日本を地獄の戦争へと引きずり込んでいくのです。

 

日本軍の歴史

①日本軍の誕生

日本軍が誕生したのは1871年。大村益次郎という長州藩出身の人が廃藩置県をスムーズに行うために天皇の護衛を名目とした軍隊である御親兵を創設した時でした。

 

御親兵というのは鎮台というグループに分かれており、日本の治安維持を目的として働いており、西南戦争などの士族反乱や自由民権運動などを鎮圧したりしています。

 

 

そして徴兵制が確立されると鎮台から師団制に変更。陸軍の組織を確立して陸軍省が創設されました。

 

一方、海軍の方は江戸時代からの海軍増強の名残を受けて明治時代に入ってからは横須賀造船所を中心としてどんどん戦艦を建造していきます。

 

海軍は輸送船や貿易船などの護衛を主な任務としていました。

 

②日清・日露戦争

こうしてどんどん近代化した軍隊を作った日本軍。そして時代は流れてついにその力を世界に見せつける2つの戦争が起きることになります。

 

1894年に日清戦争が起こると日本海軍は黄海海戦やなどで清国の北洋艦隊を圧倒し、清に圧勝しました。

 

 

一方、陸軍の方も旅順口の戦いや平壌の戦いで清に圧勝。日清戦争は日本の圧勝で終わりました。

 

その10年後に日露戦争という世界最大の陸軍国であるロシアとの間で戦争をすることになります。

 

しかし、陸軍の方はロシア軍に苦戦しながらも旅順を制圧。海軍では日本海海戦において東郷平八郎による連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝利。バルチック艦隊を壊滅に追い込んで日本は奇跡的にロシアに勝利しました。

 

(バルチック艦隊と連合艦隊の決戦)

 

 

しかし、これがのちに日本軍の油断につながっていくことになるのです。

 

関東軍の歴史

(新京にある関東軍司令部 出典:Wikipedia

①関東軍の創設

こうして日清・日露戦争に勝利した日本。

 

日本は日露戦争後に租借地として獲得した大連・旅順(関東州)や、満州に新たに作られた日本の鉄道会社である南満州鉄道を守るために新たに日本軍から分かれた関東軍を作ります。

 

関東軍は最初の頃は日本軍の配下だったこともあり、普通に関東州や南満州鉄道を守っていました。

 

②関東軍の大暴走

しかし、関東軍にある危機感が芽生えてきます。

 

1911年に辛亥革命が起こり、中国は分裂状態となっていましたが、1920年代に入ると中国国民党のリーダーである蒋介石が北伐を始め、中国全土を統一していきます。

 

 

この北伐によって日本における満州の利益が中国に奪われることに焦った関東軍は当時満州の軍閥であった張作霖という人を爆殺。関東軍は日本政府の意見を聞かずに軍を動かすということをしでかします。

 

 

そもそも日本の軍を動かしていいのは軍の統帥権を握っている天皇のみ。普通に考えたらそんなことしたら大逆罪となって関東軍のトップは死刑になることは確実ですが、政府はこれを黙認。実質的に関東軍の暴走を認めてしまったのでした。

 

これに調子によった関東軍はさらに1931年に満州事変を引き起こし、満州国という国を勝手に作るという前代未聞の行為をしでかすようになり、関東軍は満州国の防衛の任務もやることになりました。

 

 

さらに関東軍の暴走は止まらず、さらにソ連に喧嘩を売り飛ばします。

 

1939年にノモンハン事件というソ連との国境紛争を起こし関東軍は大幅に弱体化。しかし、関東軍はやけになって74万人の兵員を増強。関東軍は暴走をしたまま太平洋戦争に突入していくことになるのです。

 

日本軍と関東軍と太平洋戦争

(太平洋戦争”奇襲攻撃” 出典:Wikipedia)

 

 

日本軍は1937年以降、支那駐屯軍という日本軍と関東軍とはまた違う軍隊が盧溝橋事件を引き起こして日中戦争に突入していきます。

 

この日中戦争は最初の方は日本軍が有利でしたが、イギリスとフランスの援助を受けた中国軍に徐々に押されはじめます。

 

さらに、この頃になると関東軍だけではなく、日本軍もどんどん暴走。戦争では一番してはいけない事をやりまくり、ついにはアメリカに真珠湾攻撃を仕掛けて中国、アメリカ、イギリスなどと戦争状態に突入していきます。

 

日本軍は最初の頃はイケイケどんどんの勢いで太平洋の島々を占領していきますが、1942年にミッドウェー海戦で連合艦隊が壊滅するとどんどん押され始めレイテ沖海戦で連合艦隊が完全に崩壊。

 

アッツ島やサイパン島で玉砕するなど日本軍が全滅する戦いも出始め、ついには沖縄まで上陸する事態へと成り果ててしまいます。

 

一方関東軍も日ソ中立条約を結んでいたソ連が1945年8月9日にいきなり宣戦布告をし、一気に満州へ攻め込み始め、関東軍も一気に崩壊します。

 

そして1945年8月15日日本は降伏。日本軍と関東軍はまとめて廃止され、日本において軍隊を持つことは憲法によって禁止となってしまいました。

 

まとめ

・日本軍と関東軍の違いは本拠地が日本本土にあるか関東州にあるかの違い。

・関東軍は一応日本軍の配下だったが、1930年代から暴走し始めた。

・日本軍と関東軍は日本の敗戦とともに廃止された。