一揆という言葉、日本史の勉強では切っても切り離せない言葉なのではないでしょうか。

 

しかもこの「一揆」という言葉は、ある特定の時代だけに出現しているわけでなく、実は時代を超えて使用されている用語でもあるんです!

 

今回は、「一揆」とつく言葉の中でも、『土一揆・国一揆・一向一揆・百姓一揆の違い』にクローズアップして、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

 土一揆・国一揆・一向一揆・百姓一揆の違い

 

最初に土一揆・国一揆・一向一揆・百姓一揆について、それぞれどのような違いがあるか、簡単にまとめてみましたのでご覧ください。

 

それぞれの違い

 

✔ 発生した時代が違う

土一揆・・・室町時代

国一揆・・・室町時代

一向一揆・・・室町時代~戦国時代

百姓一揆・・・江戸時代末期~明治時代初期

 

✔ 行っていた集団が違う

土一揆・・・農民や商人などの土着民主体

国一揆・・・国人(地侍)と農民(土着民

一向一揆・・・浄土真宗の信者と偉い人、浄土真宗を信仰する農民や武士

百姓一揆・・・困窮した百姓が中心。役人が加担することも

 

✔ 一揆の相手が違う

土一揆・・・荘園領主や守護大名、幕府

国一揆・・・領主や守護大名

一向一揆・・・幕府や守護大名

百姓一揆・・・領主や役人

 

✔ 発生場所が違う

土一揆・・・全国的

国一揆・・・全国的

一向一揆・・・近畿地方を中心に、北陸や東海の一部

百姓一揆・・・全国的

  

✔ 要求した内容が違う

土一揆・・・年貢と借金

国一揆・・・自治権を求めた

一向一揆・・・自分の寺の領土の自治権領地支配からの独立と、戦火から自らを守る

百姓一揆・・・百姓の困窮を訴えるため

 

✔ 一揆の方法が違う

土一揆・・・武力行使があった

国一揆・・・武力行使があった

一向一揆・・・合戦にまで発展

百姓一揆・・・嘆願書を提出するものから役人が加担する

 

 

そもそも一揆ってなんだろう?

 

「一揆」という言葉自体、現代の日本だと教科書以外では使用されないので、ここで簡単に押さえておきましょう。

 

「一揆」とは、住民たちが目的(揆)を一つに、圧制などといった社会共同体に対する危機に対抗することを指します。

 

また、住民が結託して行動を起こすことも「一揆」と見なされていたようです。

 

このパターンでとてもわかりやすいのは、デモや直訴など。これらは、現代の「一揆」に値します。

 

なぜ「一揆=暴力」というイメージが強いのか

教科書で勉強していると、どうしても「一揆=暴力」というイメージがついて回ります。

 

これは、これから解説する「国一揆」「土一揆」そして「一向一揆」といった大規模な「一揆」を起こした張本人たちが、政権を倒し、代わりに自治を行うことになったという事例があったからとされています。

 

土一揆について詳しく解説!

 

では最初に、土一揆について詳しく掘り下げていきたいと思います。

 

①発生した時代は主に室町時代

土一揆は、主に室町時代に発生していました。

 

この一揆は荘園領主守護大名、そして幕府に対して政治的要求を行っていきました。

 

②土一揆は農民、商人などの集団のこと

土一揆を起こしていたのは、主に農民や商人といったその地に土着する地元の人。

 

「土一揆」の「土」は、土着民=地元民を指すのです。

 

土倉を襲うなどと言った武力をもって権力に政治的要求を行ってきました。

 

③要求したのは年貢と借金について

当時は、凶作や流行り病が発生していました。

 

土一揆で土着民たちが領主相手に行ったのは、下記の内容です。

  • 年貢の軽減
  • 借金の帳消し

これらを達成するために、徳政令と呼ばれる救済措置を行う、政治改革を発布することになります。

 

 

④土一揆の代表は、「正長の土一揆」

農民たちからの初の「一揆」が行われたのは、1428年の「正長(しょうちょう)の土一揆」です。

 

この一揆は、近江の「馬借」と呼ばれる馬を使った輸送業者たちを中心とした「馬借一揆」がきっかけで、近畿一円に住む農民が徳政令を求めたものとなります。

 

国一揆について詳しく解説!

 

続いて国一揆について詳しく見ていきましょう。

 

①発生した時代は主に室町時代

国一揆も同じく、主に室町時代に発生していました。

 

国一揆は、国人たちは幕府に仕えていなく、地元に勢力を持った国人と呼ばれる地侍たちと農民が起こした「一揆」です。

 

②国一揆は下克上を行った「一揆」

国一揆では、守護大名から領地権を奪取するという、下克上が行われています。

 

代表的な国一揆の例をあげればわかりやすいでしょう。

 

「山城国一揆(やましろのくにいっき)」は、国一揆の代表的存在です。

 

この一揆は、戦で村を荒らした戦国大名(守護大名)を、国人や地侍たちが結託して追い出し、自治体を形成した「一揆」です。

 

③武力行使はもちろんあった

山城国一揆からわかるように、国一揆では武力行使が行われています。

 

いざという時は、決闘も厭わないというアグレッシブさがありました。

 

一向一揆について詳しく解説!

 

続いて、一向一揆について詳しく見ていきましょう。

 

こちらは、土一揆や国一揆とはまた毛色が違ってきます。

 

①発生した時代は主に室町時代

一向一揆も同じく、主に室町時代に発生し始めました。その後、戦国時代までの長きにわたって行われています。

 

一向一揆での対抗相手は、幕府と守護大名でした。

 

あの織田信長も一向一揆には相当苦しめられていて、一向一揆の勢力はすさまじいものだったことが伺えます。

 

②浄土真宗が絡んでいる

一向一揆は、一向宗、つまり浄土真宗を信仰する、浄土真宗本願寺派の信徒や本願寺の偉い人がかかわった一揆となっていて、宗教が主体の「一揆」となっています。

 

どうしてかというと、浄土真宗の宗旨が影響しています。

 

浄土真宗の宗旨は、こちら。

  • 学のない農民や武士も救われるように
  • 面倒な儀式や厳しい修行をしなくても、念仏を唱えれば誰でも救われる

    これを掲げていたことで、浄土真宗の過激派信者と、室町時代に追い詰められた国人や土着民たちとの考えが一致し、発生を助長させたのです。

     

    ③一向一揆は発生エリアが限定されている

    代表的な一向一揆を著と見てみましょう。

    • 越中一向一揆
    • 加賀一向一揆
    • 長島一向一揆
    • 越前一向一揆
    • 石山本願寺一揆(石山合戦)

    このように一向一揆は、実はエリア限定型「一揆」で、主に近畿地方を中心に、北陸や東海の一部に多かったそうです。

     

    ④浄土真宗に影響された土着民や武士たちが参戦していた

    浄土真宗が力を伸ばしたのは、村単位での布教や説法を主軸としていたからとされています。

     

    そのため、他の宗派よりも世俗とのつながりが多かったようです。

     

    一向一揆では、浄土真宗に影響を受けた農民を中心とした土着民が参加しています。

     

    彼らは、守護大名や国人からの領地支配からの独立と、戦火から自らを守るために、本願寺派の一向一揆と合流しています。

     

    また、武士の中にも浄土真宗の信者は多く居ました。

     

    その為、一向一揆に参加した武士も多かったそうです。

     

    ⑤合戦にまで発展

    一向一揆は、僧侶が武装するという、武力行使がメインの「一揆」でした。

     

    また、さきほどのとおり、農民だけでなく武士も加勢したので、武力行使どころか、合戦にまで発展していました。

     

    このように一向一揆は、自分の寺の領土の自治を幕府や守護大名に求めるという目的があり、寺社勢力の領地を認めてもらうための戦いだったのです。

     

    百姓一揆について詳しく解説!

     

    最後に、百姓一揆について詳しく見ていきましょう。

     

    ①百姓一揆は江戸時代に行われた

    百姓一揆は、江戸時代末期に起きた、嘆願運動(たんがんうんどう)系の「一揆」です。

     

    どちらかと言うと、反乱に近いもので、領主や役人に対して行われていました。

     

    しかし、大塩平八郎の乱の様に大規模な反乱もあったので、侮れないのが百姓一揆です。

     

    ②小規模なものから大規模なものまで!種類も様々

    百姓一揆はこれまでご紹介してきた「一揆」と異なります。

     

    それは1人で嘆願書を出すものから、何百万人の人が集団化して行うもの、更には「打ちこわし」という暴動に似た激しい行動に出る者まで様々存在したことです。

     

    ③きっかけはこれだ!

    百姓一揆のきっかけは、この3つが起こったことから始まります。

    • 四大飢饉の発生

    →立て続けに起きた飢饉により、大量の餓死者が出てしまいます

     

    • 田畑を持つ本百姓の分解

    →貨幣経済に翻弄され、貧困する本百姓が現れます。田畑の売買が禁止だった江戸時代では、質流れで田畑の売買が行われたことで、貧困が増えたとされています。

     

    • 藩専売買

    →藩財政難改善のため、たくさんの藩が特産品の専売を行ったそうです。その利益を受けるために、領民たちの自由な生産や販売を禁止!その結果、特産品の生産や流通にかかわる人たちの生活が圧迫されてしまいます。

    以上の3つの出来事をきっかけに、百姓たちが動きだすことになります。

     

    また、大塩平八郎の乱のように、大塩平八郎のような役人も混ざっていたケースも中にはありました。

     

     

    まとめ

     発生した時代が違い

    土一揆・国一揆は室町時代。一向一揆は室町時代から戦国時代。百姓一揆は江戸時代末期~明治時代初期にかけて発生した。

     行っていた集団が違い

    土一揆は農民や商人などの土着民主体。国一揆は国人(地侍)と農民(土着民)が行い、一向一揆は浄土真宗の信者と偉い人、浄土真宗を信仰する農民や武士が行った。百姓一揆は困窮した百姓が中心。役人が加担することもあった。

     一揆の相手が違い

    土一揆は荘園領主や守護大名、幕府が相手。国一揆は領主や守護大名が相手。一向一揆は幕府や守護大名が相手。百姓一揆は領主や役人が相手だった。

     発生場所が違い

    土一揆・国一揆・百姓一揆は全国的に発生し、一向一揆は近畿地方を中心に、北陸や東海の一部で発生頻度が多かった。

     要求した内容が違い

    土一揆は年貢と借金。国一揆は自治権を求め、一向一揆では社寺の領土の自治権、農民たちの領地支配からの独立。百姓一揆は百姓の困窮を訴えた。

     一揆の方法が違い

    土一揆・国一揆では武力行使があり、一向一揆は武力行使が合戦に発展し、百姓一揆では嘆願書を提出するものから役人が加担する乱もあった。




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