日本史で混同しやすい用語として「蝦夷(えみし・えぞ)」と「アイヌ」があります。

 

教科書にもあまりくわしく書かれていなかったりしますが、どんな違いがあるのでしょうか。

 

今回は、「蝦夷」と「アイヌ」の違いについてくわしく解説していきたいと思います。

 

蝦夷とは?

①「えみし」という呼称

「蝦夷」とは、古代に北陸・関東北部・東北・北海道などに住んでいた人々のことです。

 

4~5世紀ごろ、関西を中心に大和政権ができました。しかしこの当時は、本州もまだ全て大和の朝廷の支配下にあったわけではありません。その領域は西日本が中心でした。

 

日本の東北部で大和政権の支配下に入らなかった人々は「蝦夷(えみし)」と呼ばれました。「毛人」という漢字も使われましたが、読み方は同じ「えみし」です。

 

「えみし」という言葉の語源は諸説ありますが、漢字の「夷」というのは中国で東にいる異民族を指す言葉です。

 

当時の大和朝廷が中国的な自民族中心の価値観(華夷観念/かいかんねん)を持っていたことがわかります。

 

「えみし」というのは朝廷側の呼び方で、こうした人々がどんなふうに自分たちを呼んでいたかはわかりません。

 

②「えみし」の歴史

『日本書紀』には大和朝廷が蝦夷との戦いや交渉を行なった記述があります(どこまで事実かは不明ですが)。

 

朝廷が本格的に東北へと勢力を拡大しようとしたのは7世紀後半のことでした。

 

大化改新の直後には現在の新潟市付近まで勢力に収め、斉明天皇の時には秋田の蝦夷と関係を結び、日本海側を北上していきます。

 

8世紀になると多賀城(たがじょう/現在の宮城県多賀城市)を築き、太平洋側にも勢力を広げました。この時代は帰順する蝦夷には食料などを与えたのに対して、反抗する蝦夷は武力で抑え込むという二面的な政策をとっています。

 

桓武天皇は789年に坂上田村麻呂を「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命。

 

(坂上田村麻呂 出典:Wikipedia

 

 

田村麻呂は蝦夷の族長である阿弖流為(あてるい)を降伏させ、胆沢城(いさわじょう/現在の岩手県奥州市)に拠点を置きます。

 

後に源頼朝や徳川家康がなる「征夷大将軍」ですが、「夷」という言葉が入っていることからもわかるように、もともとは蝦夷と戦う将軍という意味だったのです。

 

これ以降、「えみし」は日本との同化が進んでいきます。

 

③「えみし」から「えぞ」へ

中世以降、「蝦夷」は「えみし」から「えぞ」に読み方が変わっていきます。

 

それはただ読み方が変わっただけではなく、後に「アイヌ」と呼ばれるようになる人々のことを指すようになります。つまり「蝦夷」は異民族を指す呼び方になり、差別的なニュアンスも強くなりました。

 

北海道のことは「蝦夷ヶ島(えぞがしま)」や「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれました。

 

今でも札幌ラーメンの店の名前に「えぞ」とつけられることがありますが、それは「蝦夷地」という呼称の名残なのです。

 

アイヌとは?

(アイヌ民族 出典:Wikipedia

①アイヌ民族

ではアイヌとはどんな人々を指すのでしょうか?

 

アイヌとは、現在おもに北海道に住む先住民族のことです。本州以南に住む「和人」とは別の民族で、言語も日本語ではなくアイヌ語を話します。

 

かつては千島列島、樺太、カムチャツカにも居住しており、現在もロシア領に居住している人々がいます。

 

「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」という意味です。たまに「アイヌ人」などといわれることもありますが、これでは「人・人」という意味になってしまうのであまり用いられません。

 

北海道の地名はアイヌ語にもとづくものが多く、現在でもその影響が残っています。ただ明治以降「和人」との混血が進み、アイヌを自称する人は少なくなっています。

 

②アイヌ民族の略史

北海道に住むアイヌは和人との交易を行っていました。しかし、和人が北海道へと勢力を伸ばすとしだいに衝突するようになります。

 

1457年、アイヌの首長であるコシャマインが蜂起しますが、武田信広によって鎮圧されます。それ以降、北海道の南部は武田信広が婿入りした蠣崎氏が支配することになります。

 

江戸時代には松前藩が置かれ、アイヌとの交易を行って利益を独占しました。

 

そして、明治時代になると「蝦夷地」は「北海道」と名前を改められ、明治政府による北海道の開拓が進められます。

 

ただそれはアイヌにとっては生活の領域を奪われることにつながりました。狩猟や漁を行って生活をしていたアイヌは農業への転換を強いられ、多くの人々が窮乏していきます。

 

また前述のように混血が進み、アイヌ独自の文化も失われていくことになるのです。

 

蝦夷とアイヌの違い

①「えみし=アイヌ」?

さて、ここで今回の本題となる「蝦夷とアイヌの違い」の話に入ります。

 

まず古代の「蝦夷=えみし」ですが、古くから「えみし」がアイヌと同一の民族だったのかについては議論がありました。

 

江戸時代の学者、本居宣長は「えみし」はアイヌであるという説を唱えたそうです。

 

アイヌ語の研究で知られる言語学者の金田一京助(テレビでおなじみの言語学者・金田一秀穂先生のおじいさんです)は、東北北部に残る地名がアイヌ語由来であることから、奥羽地方にいた「えみし」はアイヌ民族だったのではないかという説を提唱しました。

 

しかし考古学者や人類学者による研究では「えみし」が「アイヌ」であるという証拠がなく、両者を同一のものと見るのは難しいのではないかと言われます。

 

②「えみし」は人種ではない

そこで現在の教科書的には古代の「蝦夷(えみし)」はアイヌとはイコールではないとされます。

 

つまり、大和朝廷の支配に従わなかった東北部の人々が「えみし」と呼ばれたということです。

 

その中には日本語を話す人たちもいたでしょうし、のちにアイヌ民族となる人たちもいたのでしょう。

 

それらをひっくるめて、大和朝廷は自分たちに従わない野蛮な人たちという差別的な意味で「えみし」と呼んでいたわけです。

 

したがって、そもそも「えみし」を民族や人種的な概念だと考えるのが間違いだったということになります。

 

③「えぞ=アイヌ」

一方、中世以降に北海道に居住していた「蝦夷(えぞ)」はアイヌ民族だったと考えられます。

 

要するに、「蝦夷とアイヌの違い」という問題は、古代の「えみし」と中世以降の「えぞ」は別で、「えみし」はアイヌと同一とは言えず、「えぞ」はアイヌであったというのが結論になります。

 

まとめ

・「蝦夷(えみし)」とは、古代に北陸・関東北部・東北・北海道などに住んでいた人々のこと。

・「アイヌ」は北海道の先住民族であり、明治以降日本人に同化していった。

・「蝦夷」は中世以降「えぞ」という読み方になり、アイヌを指す言葉へと変化した。

・「えみし」は人種的な概念ではなく、古代の大和朝廷に従わなかった東北部の人々の呼称。

・つまり古代の「蝦夷」はアイヌとはイコールではなく、中世以降の「蝦夷」はアイヌのこと。




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