2019年ももう数える程となり、2020年の話題も増えて来ました。

 

その一つが一年の目玉である大河ドラマで2020年は、明智光秀(あけちみつひで)を主人公とする「麒麟がくる」に内定しました。

 

 

明智光秀は、天下統一を目論む戦国武将・織田信長に仕え、最後は主君である信長を裏切りますが、光秀はいまだ知名度はあれど謎の多き武将の一人です。

 

そして今回取り上げるのは、時を同じくして信長に仕えていた西美濃三人衆の一人とされた稲葉良通(いなばよしみち)です。

 

果たしてどのような人物なのでしょうか?それでは、見て行きましょう!

 

稲葉良通の生涯

(稲葉一鉄像 出典:Wikipedia)

 

果たして稲葉良通の生涯は、如何なる物なのでしょうか?

 

西美濃三人衆と称えられた良通は、元は美濃の国主土岐家に仕える家臣の家に生まれますが、時は戦乱の世、美濃の地は斎藤道三に奪われるとその後は斎藤家に仕えます。

 

 

しかし、結局斎藤家も没落すると、その後は織田信長の元へ移り信長に仕えますが、信長も光秀によって自害します。

 

本能寺の変の際には光秀とは組まず独立の動きを見せ、後は豊臣秀吉に仕えます。

 

上手に時の権力者の元を歩き渡り、最後には大往生の末亡くなりました。

 

 

稲葉良通の生涯年表

 

  • 1515年 誕生 六男の為、当初は、後継者になる予定も無かった
  • 1525年 家督相続 兄達が相次いで戦死した為、家督相続の運びとなる
  • 1556年 長良川の戦い 斎藤義龍側に付く
  • 1567年 織田家へ移る 当主斎藤龍興と反りが合わず織田方へ移る
  • 1568年 観音寺城の戦い 和田山城を包囲して信長上洛を果たさせる
  • 1570年 姉川の戦い 徳川家康と共に先陣を切って攻め混む。野田城・福島城の戦い 殿軍の指揮を務める
  • 1584年 小牧・長久手の戦い これが最後の出陣となる
  • 1588年 死去

 

六男であったため、当初は寺に入っていた良通ですが、兄達の相次ぐ戦死で家督相続の場が回って来ると言う幸運とも言いがたい事ながら、数々の戦で武功を残しており、素質の有る人物だったのでしょう。

 

戦乱の世の習いで次々と主君を変える事になりますが、各々の所で随時活躍しているため、それだけ才能の有る人物と言えます。

 

稲葉良通の人物像・壮絶な人生に迫る!

 

幼年期のことは不明ながら、斎藤家に仕える家臣として同僚の安藤守就・氏家直元とともに西美濃三人衆として斎藤家にとって幹部の家臣でした。

 

その三人の中でも筆頭格と言われていた良通は、主君からの信頼は絶大な物と思われます。

 

そんな良通ですら、最後は斎藤家を見限る訳ですから、龍興は余程見込みの無い武将だったのかもしれません。

 

①斎藤家の重臣として

稲葉良通は、かつては美濃を治める土岐家の家臣の家ながら、その座が斎藤道三に移り行くと斎藤家に仕えます。

 

道三の側室には姉・深芳野がおり、その子である甥・義龍は斎藤家の嫡男ですから、斎藤家に忠節を尽くすのも当然の流れと言えます。

 

そんな斎藤家中では、かねてより親子間の仲が悪かった父道三と息子義龍が長良川の戦いで対峙すると当然義龍側に付きます。

 

 

この時光秀の父は、道三側に付いています。

 

戦は義龍の勝利となり、次第に同盟国であった織田家と敵対するようになります。

 

信長の正室には義龍の妹・濃姫が嫁いでいますが、彼女は正室の子で、側室の子である義龍はその複雑な生い立ちから正直快く思っていなかったのかもしれません。

 

 

しかし、不運にも義龍は早死にしてしまい、その子・龍興が家督を継ぎ、本格的に信長と交戦。森部の戦いでは奮闘します。

 

しかしながら、龍興は家臣達からの戒めを聞き入れず、傍若無人な振る舞いが目立ち、何と家臣に城を乗っ取られると言う醜態を晒す事となりました。

 

そんな背景から、斎藤家の家臣達の龍興への不信は高まるばかりで、それに対し当時の信長は勢い付いており、結局良通も織田方へと離反してしまうのでした。

 

織田家の家臣として

 良通も織田家の家臣として仕えるようになりますが、正室・濃姫の実家の斎藤家の重臣であったとはいえ、光秀同様いわゆる転職組の一角になります。

 

それでも信長の元で戦まけなしと言われる程でしたから、転職組とはいえ信長からの信頼もさぞ厚かった事でしょう。

 

同じく織田家の家臣となっていた光秀も、元は斎藤家に仕える家臣でしたから、言わば元々同僚で、再び織田家内では出世争いのライバルと言う事になりますね。

 

かねてより面識があった可能性もありますが、長良川の戦いの折りはまだ光秀は幼少でしたから、その辺りは定かではありません。

 

特に織田家の家臣となった良通は、観音寺城の戦いでは和田山城を包囲。姉川の戦いでは、その先陣を務め大いに信長を喜ばせ、信長から一字を賜る程でした。

 

 

その折りには、同じく戦賞をあげた徳川家康にそれを譲っています。

 

野田城・福島城の戦いでは殿軍を指揮しており、志賀の陣では軍師を務める程でこの時60歳間近に控えていますが、それでも尚現役として馳せ参じる姿は、武将としてのひとかたならぬ思いを感じます。

 

一乗谷城の戦いでは敵の大将・朝倉義景を追い詰め、その恩賞に美濃清水城を手に入れます。

 

しばらく戦が落ち着くと65歳で家督を譲りますが、今ならば60代とはまだまだ元気な年ですが、この頃の60代はすでに初老の域ですから、それまで現役に拘るのは並大抵の体力が無ければ無理ですね。

 

本能寺の変以後

本能寺の変の折りでは、斎藤利堯を立て光秀の味方にならず、独立の方針を構えました。

 

この時すでに高齢ですから光秀のように自分が天下を取ると言う頭はなかったのでしょう。

 

 

ですが、光秀の家老とも言うべき右腕的存在斎藤利三には自身の娘を嫁がせており、決して光秀との仲が希薄だった訳ではありません。

 

その利三の子である福は、後に三代将軍・家光の乳母となり、また孫福を成人するまで手元で養育しました。

 

その頃自身の領内では、かつて信長に滅ぼされた、同じく西美濃三人衆であった安藤一族が光秀と手を組んで再び復権する事を企んでおり、それを阻止するべく対峙すると安藤一族正式に滅ぼす事となりました。

 

そのような背景もさる事ながら、光秀と組んでも先はないと読んでいたのかもしれません。

 

後に政権が秀吉に移ると秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いでは岩崎山の砦の守備に当たりました。

 

 

いくら戦の名人と言えど、すでにこの時70歳ですから、流石に前線には、出なかったようですね。

 

出陣はこれが最後とされ、この後は静かな余生を送り戦の地ではなく、畳の上で死ぬと言う大往生を遂げました。

 

個人的な推察

 

良通は、斎藤家でも西美濃三人衆として重宝され、外様ながら織田家でも重宝されており、戦上手でもありながら、ひとえに本人の人徳があってこそでしょう。

 

もしこのような家臣を斎藤家内でずっと重宝して龍興がきちんと家臣を鑑み行動していれば、斎藤家には別の命運があった事でしょう。

 

実際、彼を重宝している信長はどんどん成長していますからね。

 

優秀な家臣もその使いようで上に立つ者の判断があってこそでしょう。

 

麒麟がくるで稲葉良通を演じるのは「村田雄浩さん」!

大河ドラマ「麒麟がくる」で稲葉良通を演じるのは、俳優の村田雄浩さんです。

 

 

個人的には、「渡る世間は鬼ばかり」のイメージの強い俳優さんですね。

 

芸歴の長い俳優さんなので、大河ドラマの出演歴も豊富で「徳川家康」「独眼竜政宗」「翔ぶが如く」「軍師官兵衛」など数々の作品に出演しています。

 

今回の出演にあたっても、頑固一徹らしく演じたいとの事なので、武骨な武将を演じてくれる事でしょう。

 

どのような良通を見せてくれるのか楽しみですね。

 

まとめ

まとめ

 

 稲葉良通は当初仏門に入るも、家督相続後は西美濃三人衆として斎藤家に仕える。

 

 龍興の振る舞いに不満を漏らすと斎藤家を見限り、織田家へ離反する。

 

 信長の元で武功を上げ姉川の戦いでは、その先鋒を務める。

 

 特に一乗谷城の戦いで朝倉義景を追い詰め美濃清水城を手に入れる。

 

 本能寺の変の際は、光秀には、味方せず独自路線を取る。

 

 秀吉政権下では、小牧・長久手の戦いに参陣するも以後は、安らかに過ごす。