今回は、室町時代を代表する『北山文化』『東山文化』についてわかりやすく解説していきます。

 

室町文化の中の北山文化と東山文化

 

 

足利尊氏が征夷大将軍となった1338年から1593年の室町幕府が滅びるまでの255年間を室町時代といい、この時代に育まれた文化を室町文化といいます。

 

 

その中で、第3代将軍足利義満が建てた金閣に代表される14世紀後半から15世紀前半の文化を北山文化

 

第8代将軍足利義政が建てた銀閣に代表される15世紀後半の文化を東山文化といいます。

 

北山文化と東山文化の違い

 

 

北山文化と東山文化の違いを簡単にいうと、武家文化が公家文化と禅宗、どちらの影響をより強く受けたかという点

 

公家の影響をより強く受けた北山文化は優美で華やか、禅宗の影響をより強く受けた東山文化は簡素で洗練された深みのある文化といえます。

 

北山文化と東山文化の違い

北山文化…公家文化の影響をより強く受けた優美で華やかな文化。

東山文化…北山文化を受け継ぎ、禅宗の影響をより強く受けた簡素で洗練された深みのある文化。

 

北山文化と東山文化の共通点

 

 

北山文化と東山文化に共通するのは、武家文化と公家文化の融合、中国から伝わった禅宗(臨済宗)文化の影響です。

 

義満は京都の光明天皇(北朝)と奈良の後醍醐天皇(南朝)に分かれていた2つの朝廷を統一しました(南北朝の統一)。

 

それにより、武士たちの幕府と天皇や公家の朝廷が同じ京都に置かれ、武家の文化と公家の文化が融合していきました。

 

また、室町幕府は数ある宗教の中で禅宗(臨済宗)を保護したため、禅宗の文化の影響を強く受け、水墨画庭園茶の湯など、現代に続く日本の伝統文化の土台がつくられました。

 

ここからはそれぞれの文化について詳しく解説していきます。

 

北山文化について詳しく

(金閣寺 出典:Wikipedia

 

 

北山文化は、義満の金閣に代表される14世紀後半から15世紀前半に栄えた文化。

 

武家文化と公家文化が交じりあい、禅宗の影響も受けた優美で華やかな文化でした。

 

平安時代から公家や武士が楽しんでいた猿楽や田楽などの芸能が、能(能楽)に発展しました。

 

①金閣

北山文化を代表する建築物といえば、もちろん、金閣。正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)。

 

足利義満が将軍を辞めた14世紀末、別荘として京都の北山に建てました。

 

3層のつくりで下層は公家たちの住まいの特徴である寝殿造風の様式、中層は武家住宅の建築様式、上層は禅宗様(ぜんしゅうよう)と呼ばれる寺院建築の様式を取り入れた、公家・武家・禅宗のミックスカルチャーです。

 

②能と狂言

北山文化を代表する芸能は、能(能楽)

 

平安時代から行われていた民間芸能、猿楽や田楽などをもとに、観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)の父子が、能面をつけた役者が音楽に合わせて舞う『能(能楽)』をつくりあげました。

 

観阿弥と世阿弥は神社の祭礼などで猿楽を披露していた観世座のメンバーで、当時芸能分野は河原者と呼ばれる身分の低い人たちが行うものでした。

 

そんな彼らをバックアップしたのが義満

 

観世座の人気を知った義満は京都での巡業の際、わざわざ見にいったそうです。

 

以来、幕府のお抱えとなり観阿弥と世阿弥は芸を磨き、能をつくりあげました。

 

能の合間には大名や僧侶など権威ある人たちを笑いとばす、風刺性の強い短い喜劇が披露されました。これが、狂言です。

 

現在にも受け継がれる日本の伝統芸能、能と狂言が北山文化の中で育まれました。

 

③五山文学

義満は中国(宋)の制度を真似し、幕府が特別に保護する格式の高い臨済宗の5つの寺院(五山)を京都と鎌倉にそれぞれ設けました。

 

その五山の僧たちは幕府の保護を受け、儒学(朱子学)を学び、漢文や漢詩をつくりました。これを五山文学といいます。

 

五山文学

鎌倉五山・・・建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺

京都五山・・・南禅寺を別格に、相国寺・天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺

 

ちなみに、なぜ京都五山は、五山ではなく六山なのかというと、義満は自分がつくった相国寺を京都五山の序列の第1位としたかったのですが、京都には臨済宗の大本山南禅寺がありそれを差し置くことはできません。

 

そこで、最も高い格式をもつ南禅寺を別格とし、相国寺を第1位としたのです。

 

東山文化について詳しく

(銀閣寺 出典:Wikipedia

 

 

東山文化は、義満からおよそ80年後、義政の銀閣に代表される15世紀後半の文化です。

 

北山文化を受け継ぎつつも、禅宗の影響をより強く受けた簡素で洗練された深みのある文化でした。

 

現在の日本の住宅建築の原型となった書院造や禅宗の影響をうけた庭園がつくられるようになりました。

 

また、禅宗の修行にも取り入れられた水墨画は北山文化で発展し、雪舟が登場した東山文化で大成しました。

 

①銀閣

東山文化を代表する建築物、銀閣。

 

義政が、応仁の乱後の1482年に別荘として、京都の東山に建てました。

 

正式名称は慈照寺。2層のつくりで、下層は書院造、上層は禅宗様と呼ばれる寺院建築の様式となっています。

 

書院造は、床の間や畳、ふすま、障子などが用いられ、現代の日本の住宅建築のもとになりました。

 

②枯山水

禅宗の寺院や書院造の建物には、禅宗の影響をうけた静かで趣のある庭園がつくられました。

 

その中で、ひときわ異才を放ったのが、枯山水(かれさんすい)。

 

水を一滴も使わず、白い砂で水を岩で滝を表現した庭園で、龍安寺大徳寺大仙院の枯山水が有名です。

 

庭園づくりに活躍したのも、芸能同様、河原者と呼ばれる身分の低い人たちでした。

 

慈照寺庭園を手掛けた善阿弥(ぜんあみ)は庭園づくりの名人として知られています。

 

③水墨画と大和絵

墨一色で自然や人物を表現する水墨画は、禅宗の僧の修行にも用いられました。

 

京都五山の相国寺の僧、雪舟は明(中国)にわたり、様々な絵画技法を習得しました。

 

この雪舟の登場で、日本の水墨画が完成したといわれています。

 

雪舟の主な作品は『四季山水図巻』『秋冬山水図』『天の橋立図』。

 

また、狩野正信元信の父子は水墨画に大和絵の技法を取り入れた画風を確立しました。

 

これを狩野派といい江戸時代末期までの400年にわたり、日本絵画史上最大の画派として君臨しました。

 

④茶の湯と生け花 

鎌倉時代、日本の臨済宗の祖『栄西』が禅宗とともに中国から伝えた茶を飲む習慣は、室町時代に入り、公家や武家や民衆にも広まりました。

 

義政の頃には四畳半の茶室がつくられ、武家や公家の間で茶をたて、茶を振る舞う茶の湯(茶道)が流行しました。

 

また、書院造の普及とともに、床の間に花を飾る生け花も広まっていきました。

 

まとめ

 北山文化と東山文化をまとめて室町文化と呼ぶ。

 北山文化は、足利義満が建てた金閣に代表される14世紀後半から15世紀前半に栄えた文化。

 東山文化は、足利義政が建てた銀閣に代表される15世紀後半に栄えた文化。

 北山文化は公家文化の影響を強く受けた華やかさが特徴。

 東山文化は禅宗の影響を強く受けた簡素で洗練された美しさが特徴。

 

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