今年は、残暑が厳しく10月になっても暑い日が続きましたが漸く寒くなり、冬の訪れを感じる季節となり、そろそろ来年の大河ドラマが気になる時期となりましたね!

 

2020年の大河ドラマは、謎多き戦国武将明智光秀(あけちみつひで)を主人公とする「麒麟がくる」に決定しました。

 

 

明智光秀自身謎の多い人物ですが、何より最も謎とされるのが主君織田信長を裏切り本能寺の変で自害に追い込んだ事件です。

 

本能寺の変は、未だに謎が多く明智光秀が何故突如としてそのような暴挙に出たのか未だにわかっていません。

 

果たして本能寺の変とは、どのような事件だったのでしょうか?

 

それでは、一緒に見て行きましょう!

 

本能寺の変の概要を簡単に解説!

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(本能寺焼討之図  出典:Wikipedia

 

そもそも本能寺の変とは、どのような事件だったのでしょう?

 

後に三英傑として知られる織田信長は、天下統一を目指し様々な攻略を成し遂げ着実に天下統一に近付いており、時の権力者となりつつありました。

 

明智光秀はその信長を支える家臣の一人で、織田家中では中途採用の身ながら実績を残し信長からの信頼を得て織田家中の幹部の一人でもありました。

 

(明智光秀 出典:Wikipedia)

 

その信長が本能寺に宿泊していた折り、毛利攻めの為出陣していた光秀が突如として本能寺を襲撃し、主君である信長を自害に追い込んだ事件です。

 

天下人となりつつあった信長を自害させた光秀は、一時的に天下人になりましたが同僚であった豊臣秀吉によって呆気なく討ち取られその生涯を終える事となりました。

 

なお信長の遺体は、最後迄発見されず葬儀でも代わりの木像が燃やされ荼毘にふされました。

 

このように謎の多い事件ですが分かる範囲で見て行きましょう!

 

事件を起こした明智光秀の主な実績

 

  • 1568年頃 織田信長の家臣となる
  • 1570年 金ヶ崎の戦いで殿を務める
  • 1571年 比叡山焼き討ち事件の事実上の実行部隊として動く
  • 1575年 長篠の戦いで武田家が滅ぶ
  • 1577年 雑貨攻めで信貴山城を落とす
  • 1582年 本能寺の変で主君である織田信長襲撃
  • 1582年 山崎の戦いで豊臣秀吉に負けて死去

 

明智光秀は、元来の織田家臣では、無く現代風に言うと中途採用の家臣でした。

 

かつての主君斎藤家のお家騒動や、足利義昭の優柔不断加減もあり、主君がいまいち定まらない状態であったとも言えます。

 

何故信長の元に流れ付いたのかは不明ですが、元々信長の正室濃姫とは、従姉妹に当たる由縁ではないかと言われています。

 

 

ただ、中途採用ながらも重宝されていたので、かなりの信頼を得ていたのでしょう。

 

一体何故起きた?本能寺の変の謎!

 

明智光秀及び本能寺の変に関しては、何もかもが謎だらけなミステリーと言えます。

 

そもそも明智光秀と言う人物自体出自がはっきりしない部分もあり、誕生年や父親に関して諸説ある謎多き人物です。

 

主君が定まらない言わば放浪の身を経験していて、何故最終的に信長の元に仕官するようになったのかの経緯もはっきりとしていません。

 

織田家中に中途採用ながらも最終的には幹部家臣となり、信長からもかなりの信頼を得ていた事は推測されますが、何故最終的にいきなり主君を裏切ると言う暴挙に出たのか未だに理由は、はっきりとしていません。

 

ここでは、どのような経緯が有り得るのか分かる範囲で見て行きましょう!

 

①信長パワハラ説!?

 (織田信長 出典:Wikipedia)

 

織田信長と言えば近世のイメージからも若い時から不良で素行が良くないながらも、リーダーシップが強く、感情的で激情的な人物と言うイメージです。

 

事実長年の宿敵武田を滅ぼした後の祝宴の席で信長は、光秀の頭を欄干に叩き付けると言う仕打ちを起こします。

 

しかも、その上金柑頭と光秀の事をなじったと言われています。

 

金柑頭とは、現代で言うハゲの事ですね。

 

これだけ科学が進歩した現代でもハゲは、永遠の悩みで育毛剤やらかつらやらが開発されていますが、当時は、そんな物が到底ある訳でもなくハゲて来たらその少ない髪の毛で頑張って髷を結うしかないと言う悲惨な物でした。

 

しかも、その祝宴の席には、主賓客である同盟相手の徳川家康を始め多くの織田家家臣が参加しており、言うなれば同僚達の前でハゲを馬鹿にされたような物です。

 

現代で上司がそんな事をすれば間違い無くパワハラですね!

 

②豊臣秀吉黒幕説!

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(豊臣秀吉 出典:Wikipedia)

 

実は、本能寺の変には、黒幕として豊臣秀吉が暗躍していたのではないかと言う説もあります。

 

豊臣秀吉と言えば本能寺の変の際では、中国大返しをやってのけ首謀者である明智光秀を討ち取り天下のヒーローとなり、そのまま信長の地盤を受け継ぎ天下人へとのしあがりました。

 

言ってみればこの事件で最も利益を得た人物とも言えます。

 

そもそも信長が安土城を出る事になったのは、毛利攻めに参加していた秀吉からの出馬要請があってこそです。

 

その上秀吉は、中国大返しとも言われる大移動を短期間でやってのけ、一万の軍勢を抱えて京に向かう事が出来ています。

 

直前迄戦っていた敵の毛利とも見事に話を纏めてやってのけた上での事ですが、もしこの時和睦に時間が掛かっていたり、和睦をしても後ろからつかれていれば、要するに明智光秀を討つ事は出来なかったでしょう。

 

この短期間でそれを成し遂げる事が出来たのは、最初から毛利方と話が付いていたと言う事も考えられます。

 

好都合な事に他の織田の面子は、皆其々遠方に出陣中で簡単に戻って来れる距離にはいませんでした。

 

つまり秀吉にとっては、有利な条件が働いている訳ですが、実際事を起こしたのは明智光秀です。

 

元から何らかの密約があり、最初から明智光秀が事を起こしたら建前上は、共に天下にのしあがるつもりだったのを裏切ったのか、それとも事を起こすように秀吉が唆したのかもしれません。

 

徳川家康黒幕説!

(徳川家康 出典:Wikipedia)

 

徳川家康と言えば、元は、三河の弱小大名ながら紆余曲折を経てそれなりの大名に何とか成長し、織田信長の同盟相手でもありました。

 

ですが、段々と力を付けて来てた家康の事を実は信長は疎ましく思い始めていたとも言われ、密かに光秀に家康の暗殺を命じていたとも言われています。

 

その暗殺命令を光秀は、家康にばらしており家康自身も信長をかなり恐れていたのではないかと思われます。

 

光秀と密約をがあり、光秀が事を起こしてからは、自分が天下人となる布石を打っていたのではないかとも考えられます。

 

ただ、逆に光秀は信長の他にも家康も討つつもりであったと言う説もあり、あまり定かではありません。

 

本能寺の変の後のそれぞれの人物について

(本能寺焼討之図  出典:Wikipedia

 

襲われた織田信長は、言うまでも無く本能寺で自害、別行動では、あった物の近隣で宿泊していた息子の信忠も自害し、信長の死後織田家中は、お家騒動を起こす羽目となりました。

 

結果的に家督は、信忠の息子であった秀信が継ぐも幼少であった為、後見役である秀吉が織田家中の実権を握り衰退して行く事となり、最終的には、信忠の弟信雄の家系が小さいながらも大名として生き残りました。

 

そして最後まで、信長の遺体は発見されず光秀一番の不覚となりました。

 

豊臣秀吉は、この本能寺の変での一番の成功者とも言え、明智光秀を討ち取った功績から織田家中での発言力を高めると最終的に信長の地盤を物にして自分が天下人として成り上がりました。

 

ただ、なかなか子孫に恵まれなかった豊臣家は、二代で滅びましたね。

 

そして首謀者明智光秀は、豊臣秀吉との戦で負けると、討ち取られた他一族もろとも謀反人のレッテルをはられ近世まで裏切り者として名を残す事となりました。

 

ただ、光秀自身も生き延びたとされる有力説があり、後に徳川家康が贔屓にしていた僧侶天海が明智光秀なのではないかと言う伝承があります。

 

個人的な推察と大河ドラマの行方!

私の独断と偏見による勝手な推察から考えますと、豊臣秀吉が少なからず絡んでいたのではないかと考えています。

 

光秀の動向から近い内に何か起きる可能性が高いと踏み普段から備えていたのでは、無いでしょうか?

 

当時の光秀には、今で言う更年期のような症状も表れていたとも言われていますし、戦漬けの世の中で疲弊しており、いつ突発的に爆発しても可笑しくないと踏んだ上で、それを上手く利用し光秀を謀反人として貶める事で秀吉の名を天下にとどろかせたのではないかと考えています。

 

少なくとも多くの人々の運命を変える事件であったと言えましょう。

 

大河ドラマでは、最終的に本能寺の変をどのように描いて行くのかは、分かりません!

 

ですが、まさか主人公を悪者のままで終わらせる訳は、無いでしょうから何かしらの大義名分を持って本能寺の変へと突き進んで行くのでしょう!

 

一体どのような本能寺の変となるのか楽しみですね!果たして本当の敵は、如何に?

 

 

まとめ

まとめ

 

✔ 明智光秀の半生自体にも謎が多い。

 

✔ 何故本能寺の変を起こしたのか未だに謎のままである。

 

  • 信長の遺体は、何処へ消えたのか?
  • 後に天下人となる家康や秀吉が絡んでいたのか?
  • 明智光秀は、生き延びていたのか?

 

 本能寺の変は少なからず多くの人々の運命を変える大事件であったのは間違いない。