【金融恐慌とは】わかりやすく解説!!日本での震災手形・若槻内閣・モラトリアム

 

恐慌ってとても怖い響きの言葉ですよね。

 

この「恐慌」は経済分野の言葉ですが、実際に起こると響き以上言怖いことなのです。

 

「恐慌とは何なのか?」「特に、金融恐慌とはなんだったのか?」

 

今回は『金融恐慌』の背景・経過・終結・影響について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

金融恐慌とは?

(金融恐慌時の取り付け騒ぎ 出典:Wikipedia

 

 

金融恐慌とは、広い意味では「銀行などの金融界を中心におこる恐慌のこと」です。

 

日本史では1927年(昭和2年)に起こった日本の恐慌を指し、これを昭和金融恐慌と呼びます。

 

この昭和金融恐慌後、世界恐慌が起き、昭和恐慌が起こります。

※注意:昭和金融恐慌と昭和恐慌は別ものです

 

 

景気循環と恐慌!基本的な経済の動きを確認しよう

①景気循環

景気循環とは『好景気→景気後退→不景気→景気回復→好景気』という景気の繰り返しのことをいいます。

 

②恐慌発生のメカニズム

売れるからといって生産を増やしすぎると、やがて作ったものが売れ残るようになります。売れ残った商品を在庫といいます。

 

在庫を売るため、企業は値下げなどを行います。すると、企業の利益は減っていきます。

 

売り上げがどんどん落ち、ついには倒産する企業があらわれます。

 

企業が次々と倒産すると失業・破産が増え、銀行も貸していたお金を回収できずに倒産してしまいます。

 

銀行が倒産する前に自分の預金だけでも銀行から引き出そうとするパニック(取り付け騒ぎ)も起きます。

 

このような混乱状態を恐慌といいます。

 

金融恐慌が起こった背景

(第一次世界大戦)

戦後恐慌(1920年)。第一次世界大戦後の不景気

第一次世界大戦中は空前の好景気でした。

 

日本は日露戦争の借金の11億円を返しただけではなく、逆に27億円を外国に貸す債権国になりました。

 

ところが戦争が終わってヨーロッパの国々が復活すると、日本の商品は売れなくなり一気に景気が悪くなりました。これが戦後恐慌です。

 

震災恐慌(1923年)。関東大震災による大ダメージ

(関東大震災で海中に転落した列車 出典:Wikipedia

 

 

戦後恐慌から復活を果たせないまま、関東大震災に襲われます。

 

関東の多くの企業が被災し、借金を返せなくなりました。

 

「借金をいつまでに返します」という書類を手形(約束手形)といいますが、関東の企業が出した手形の多くが返済不能となりました。

 

震災のせいで返済不能となった手形を震災手形とよびました。借金をした企業はもちろん、貸した銀行なども大いに困りました。

 

震災手形の政府保証。震災手形の理解はとても大事!

政府は日本銀行がお金を貸す緊急勅令をだして震災手形を何とかしようとしました。

 

企業は2年間支払いを待ってもらえることになりました。

 

借金の一部を日本銀行が肩代わりしてあげることにしました。

 

金融恐慌の経過

①震災手形処理問題。震災の借金、どうしよう…

震災から3年たった1926年になっても震災手形の処理は進みませんでした

 

若槻首相と片岡蔵相は国がすべての借金を肩代わりして早く手形の処理を済ませようとしました。

 

ところが、野党の立憲政友会は「国が特定の銀行や企業を助けるため、国民の税金を使おうとしている!」と批判し、法案の審議が進みませんでした。

 

特定の銀行や企業とは台湾銀行と鈴木商店のことです。

 

台湾銀行と鈴木商店。それ、本当に震災手形?

(1918年前の鈴木商店本社)

 

 

台湾銀行は戦後恐慌・震災恐慌で破綻寸前だった鈴木商店に多額のお金を貸していました。

 

鈴木商店は第一次世界大戦で成長した大企業で、三井を上回る成長を見せていました。

 

鈴木商店や台湾銀行が震災手形と申請していたものの中に、震災手形か疑わしいものが紛れていたといわれます。政友会が批判したのもそれでした。

 

③金融恐慌の始まり。大臣のうっかり発言がひきがね

台湾銀行と鈴木商店の問題のせいで、震災手形を処理する法案の審議がストップしてしまいます。

 

当時、台湾銀行だけではなく中小の銀行も震災手形を抱え込んでいました。

 

それらの銀行も、法案が成立しないと倒産してしまう危険がありました。

 

議会で審議中に片岡蔵相が「(法案審議がもたもたしているから!)東京渡辺銀行が倒産してしまいました!」と発言しました。

 

実は、銀行は倒産せずにすんでいたのですが、誤った情報を大臣がしゃべってしまいました

 

④取り付け騒ぎの発生

人々は東京渡辺銀行や「危ない」とされていた銀行にダッシュで駆け込みます。

 

そして、自分のお金を引き出し始めました。取り付け騒ぎです。

 

この影響で6つの銀行が休業に追い込まれました。

 

⑤台湾銀行問題『若槻内閣』

(若槻礼次郎 出典:Wikipedia

 

 

取り付け騒ぎを抑えるため、震災手形処理の法案は何とか通しましたが台湾銀行についてはほとんど手付かずでした。

 

鈴木商店が破産し台湾銀行は倒産寸前になります。

 

若槻は枢密院に緊急勅令を出して台湾銀行を助けようとしますが、若槻内閣の協調外交が気に入らなかった枢密院は拒否します。

 

 

打つ手を失った若槻は総辞職しました。

 

金融恐慌の終結

田中義一 出典:Wikipedia

モラトリアムの発令

田中義一内閣(立憲政友会)の高橋是清蔵相は、大胆な手を打ちます。

 

モラトリアム(支払猶予令)を出し、3週間の支払い停止と銀行の3日間休業を行いました

 

こうして稼いだ時間を使って高橋は日本銀行に200円札を大量に刷らせます。そのお札を全国の銀行にばらまいたのです(日本銀行非常貸出)。

 

3日後、銀行が再開しましたが、すでに大量のお金が銀行にあることを知っていた人々はおパニックを起こすことなく行動し、取り付け騒ぎは終わりました

 

金融恐慌の影響

①財閥の発展

金融恐慌後、人々は倒産の可能性が低い財閥系の銀行(五大銀行)に預金を集中させました。

 

この資金を使って財閥はますます発展します。

 

 

②財閥による日本経済の支配

倒産したり、経営が悪化した企業は続々と財閥の支配下にはいりました

 

金融恐慌の結果、もっとも得をしたのは財閥でした。

 

まとめ

 金融恐慌とは1927年(昭和2年)に日本で起こった恐慌のこと。

 恐慌の時、人々が銀行に殺到して預金を引き出すことを取り付け騒ぎという。

 金融恐慌の原因は震災手形の処理がうまくいっていなかったこと。

 震災手形は、震災のせいで返済不能になった借金のこと。

 片岡蔵相の失言が、金融恐慌のはじまりとなった。

 台湾銀行救済の緊急勅令を枢密院に拒否された若槻内閣は総辞職。

 田中内閣の高橋是清蔵相はモラトリアムで恐慌を乗り切った。

 恐慌後は財閥の支配力が強まった。