“学制”という言葉は聞いたことがあっても、その明確な説明は難しいと感じる人が多いのではないでしょうか。

 

今回は、その『学制』について制度の内容や時代背景、影響など簡単にわかりやすく解説していきます。

 

学制とは?

 

学制とは、1872(明治5年)に公布された小学校から大学校までの学校制度のことです。

 

この学制は明治新政府が欧米諸国にならい、近代化を進めていく中で実施された三大改革のうちの一つです。

 

ちなみに三大改革とは「学制」「兵制:徴兵令」「税制:地租改正」になります。

 

 

学制までの日本の教育

 

「学制」の発布はこの国の学校教育制度の誕生でもありましたが、それ以前の教育とはどのようなものだったのでしょうか。]

 

①古代の教育

古代日本では、他国の文化や制度を学び活かすためにも、文字の習得などは必須だったと思われます。

 

多くは渡来人や留学生などから教育を受けていました。

 

国家というものを作り上げていく中でも、文字は政治の道具として必要なものだったからです。

 

②律令国家の教育

飛鳥時代以降、律令制度を整え中央集権国家を作り上げていく中で、その政府を支える人材の育成が必要とされました。

 

 

政府の役人を育てるためにも、教育機関は必要とされ、都には大学寮、地方には国学府学などの場が作られたようです。

 

ただし、有力貴族などは今でいう家庭教師による教育が中心でした。

 

また、僧侶の教育をする寺院でも庶民が学ぶこともあったようです。

 

③中世の教育

鎌倉時代からは貴族の教育機関というよりも、武士や庶民の学ぶ場として、多くの寺院が使われるようになります。

 

武士は武家としての心構えを学び、庶民は商業が栄えていく中で、ある程度の読み書きや算術を学ぶことが必要になっていきました。

 

また、訴状などを書くためにも文字は必須だったようですね。

 

④江戸期の教育

江戸時代は非常に教育に力が入った時代でした。

 

徳川の平和な世の中が長く続いたというのも大きな要因であったと思われます。ここは細かくみていきましょう。

 

江戸期の主な教育機関は以下の3つになります。

  • 藩校 … 武士を対象とした教育機関で、諸藩が藩士の教育の為に作りました。主に儒学を教えており、長州藩の明倫館などが有名です。
  • 私塾 … 有名な学者などが指導した私塾で、専門的な学問を学ぶ場でした。蘭学塾や医学塾などがあり、吉田松陰の松下村塾は有名ですね。
  • 寺子屋… 庶民の子供たちの為に「よみ・かき・そろばん」を教えました。江戸だけでなく地方の農村にもあり、僧侶や浪人など様々な人が先生になって教えていました。現在の授業のような形式ではなく、個々のペースに合わせてマンツーマンで教えるような所だったようです。イメージとしては公文教室みたいな感じでしょうか。

     

    庶民の文化も発達したこの時期、ある程度の経済力がある人の中には、寺子屋のみではなく、私塾でさらに知識を高める人も多かったようです。

     

    この時期の日本の識字率は世界最高水準であったといわれており、それが明治以降の近代化を支える土台となるのです。

     

     

    学制のあれこれ

     

    ここで「学制」について詳細をみていきたいと思います。

     

    「学制」では“誰もが教育を受けることができる”ということ、そして“教育によって立身出世を望むことができる“ということを大きく打ち出しました。

     

    ①学制の目的

    明治維新の改革の一つである「学制」は、この後に続く制度への足掛かりでもありました。

     

    特に「徴兵制」で近代的な兵隊を作る際に、各地でばらばらに語っている言葉(方言)は大きな障害となります。

     

    現在でさえ、方言で話をされると分からないことが多々ありますね。

     

    兵の統率の為にも、共通言語(標準語)を学ばせる必要があったのです。

     

    ②学制の制度はフランスを見本に!

    学制では全国を大学区に分け、その中を中学区に分け、さらにそれを小学区に分けました。

     

    全国で53,000位の小学校があったそうです。

     

    これは全国に均等に学校を置くことで、それぞれが自らの住む地域で学校に通えるように、とするフランスの制度を見本にしてつくられたとされています。

     

    ②学制の内容はアメリカを見本に!

    また、“立身出世を”うたっているだけあって、学校で学ばせる学問は農学や薬学、工学などの社会生活で実際に役立つものでした。

     

    教育内容をアメリカから学ぶために、アメリカのテキストを訳した教科書を使って教えられていたようです。

     

    そして同時期に教える側を育てるための師範学校も造り、アメリカ人の教師が教員養成を行ないました。

     

    ③政府の努力

    政府は東京大学をはじめ各種の高等教育機関を創り、そこには多くの外国人教師を雇いましたが、『少年よ大志を抱け』で有名な札幌農学校のクラークはその内の一人です。

     

    また、同時に多くの留学生を政府支援で欧米に派遣し、新しい科学技術等を取り入れることに努めました。

     

    女子英学塾(今の津田塾大学)を開き、英語教育を中心とする女子の教育事業に貢献した津田梅子や、医学を学んだ森鴎外などが知られています。

     

    ④民衆の反応

    「学制」では特に小学校での教育が重視され、満6歳になった男女すべてを学校に通わせることが義務になり、全国各地で小学校が造られていきました。

     

    ところが、当時授業料は家庭が負担する上、学校の建設費用も地元負担だったのです。

     

    長野県松本市の開智学校のように地元の人々が資金を出し合い立派な校舎を建てる所もありましたが、多くは不満の対象となっていました。

     

    さらに農家では働き手である子供が学校に取られることになるため、各地で学制反対一揆学校の焼き討ちなども起こり、就学率も30%程度に留まっていました。

     

    学制以後の日本教育

     

    学制から以後、多くの教育に関する法令が出されます。順にみていきましょう。

     

    ①教育令の発令

    明治12年に出された「教育令」は町や村を学校運営の中心にしたため、地方色が強いものとなります。

     

    1年後には「改正教育令」が出され、再び政府中心の国家管理の教育になっていくのですが、その内容にも少し変化が出てきます。

     

    明治初期のころに比べると欧米諸国へリスペクトした実践的な教育から、以前の儒学中心の教えになっていったようです。

     

    また、明治19年の「小学校令」【義務教育】という言葉が初めて出てきたのです。

     

    ②教育勅語の発布

    明治23年には教育に関する天皇の言葉「教育勅語」が発布されます。

     

    これは儒教の教えをもとにした“忠君愛国”の教育を目指すものでした。

     

    当時の日本は早急に欧米諸国に追いつくために『富国強兵』の近代化政策を推し進めていましたので、国の為に国民の気持ちを一つにする必要がありました。

     

     

    教育はこのような政治的事情にも利用されていくようになるのです。

     

    ③義務教育の完成

    明治33年には授業料が無償になり、教育の義務化と無償化が完成しました。

     

    そのため、明治35年には就学率は92%にまで上がります。

     

    他国がおおよそ100年近くかけて公教育制度を作り上げたことを考えれば、日本では「学制」以降30年程度で公教育制度が確立したことになります。

     

    ここにも江戸期の教育が大きく影響しているのです。

     

    ④その後の教育

    戦前の教育についてはここでは詳細は割愛しますが、「教育勅語」の効果は絶大だったのでしょう。

     

    多くの国民が国の為に戦いに身を投じました。

     

    戦後新たな日本国憲法の下、国民には教育を受ける権利普通教育を受けさせる義務とが生じています。

     

     

    制度としては1942年の教育基本法と同時に制定された学校教育法で定められたもので、小学校6年間と中学校3年間が義務教育とされ、今に続いています。

     

    その上の高校、大学を含め「6334制」とも言われますね。

     

    学制○○史

     

    「学制百年史」1972年に文部省により出されたものです。

     

    学制以後の教育史書になっています。

     

    その後、1992「学制百二十年史」も出されています。

     

    最新版で大まかな内容をみましょう。

     

    ①構成

    「学制」からの教育の発展と制度を述べていくもので、記述編と資料編になっています。

     

    ②時代区分け

    記述編では第一編(明治5年~昭和20)第二編(昭和20年~昭和四十六年)第三編(昭和四十七年~平成四年)になっています。

     

    資料は直近20年分を中心に収録しています。(百年史ですでに前の分は載せていたから)

     

    ③概要

    「学制百年史」で教育や学術、文化の発展の過程をまとめているので、「学制百二十年史」は百年史の内容の集約と昭和四十七年以降の20年間に重点をおいたものとしているようです。

     

    現代の教育法

    現在の教育は前述した学校教育法が改正されながら続いています。

     

    そして2020年にまた新たな教育の変化がおこりますね。皆さんもすでに情報としてはご存知でしょう。

     

    2020年の教育改正は・・・

    • 知識を活かす力を求める「教育改革」
    • 学習開始を早め、実際に使える英語にする「英語改革」
    • 知識の活用と学習へ向かう力の評価「大学入試改革」

      の3つとなります。

       

      いずれも今後の社会情勢を見据えて、“教育”を見直した内容になっています。

       

      前回の大きな改革であった“ゆとり教育”導入時のように、これから多くの課題をクリアしていくことになりますが、次の『学制○○史』が非常に楽しみとなりますね。

       

      まとめ

       学制は、1872年(明治5年)に公布された学校制度のこと。

       学制は「兵制」「税制」と並ぶ明治新政府の三大改革の一つであった。

       学制では制度はフランス式、内容はアメリカ式を取り入れた。

       授業料も学校建設費も負担の上、労働力をも取られた民衆は不満をもち“学制反対一揆”などを起こしており、当初は就学率も低かった。

       授業料の無償化から、義務教育が浸透、就学率も90%を超えた。

       学制から国の教育制度確立までが短期間で進められた背景には、江戸期の藩校や私塾や寺子屋などの熱心な教育の影響がある。

       戦後の日本教育は1972年教育基本法、および学校教育法にて定められている。

       学制からの教育史は、1972年『学制百年史』にまとめられている。




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