日本は、兼ねてより中国や朝鮮と密接な関係ににありました。その中でも、”貿易”はその関係をかなり重要としていたのです。

 

現在では、世界共通の貿易ルールが取り決められていますが、昔の時代はどうだったのでしょうか?

 

実は時代によって、それぞれ貿易の方法に違いがありました。

 

その中でも、朱印船貿易と勘合貿易は当時の貿易方法の中でも非常に効率が良く、わかりやすいルールを設けていました。

 

ですが、これらの違いはどこになるのでしょうか?

 

今回は、『朱印船貿易と勘合貿易の違い』を朱印状と勘合の違いも含め、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

朱印船貿易と勘合貿易の違い

 

では最初に、朱印船貿易と勘合貿易の違いについて簡単にまとめてみましたのでご覧ください。

 

それぞれの違い

 

 開始された時代が違う

 

朱印船貿易・・・1604年の江戸時代初期

勘合貿易・・・1404年の室町時代

 

 使用されていた確認するものが違う

 

朱印船貿易・・・朱印状と呼ばれる書状

勘合貿易・・・勘合符と呼ばれる木札

 

 貿易対象国が違う

 

朱印船貿易・・・オランダや中国、朝鮮、琉球

勘合貿易・・・明国

 

 終了原因が違う

 

朱印船貿易・・・キリシタンの流入を防ぐために見直しされた

勘合貿易・・・室町幕府の財政難

 

ここまではそれぞれの違いについて要点だけをお伝えしました。

 

これだけでは少々理解しにくいかもしれませんので、ここからはさらに「朱印船貿易」「勘合貿易」について詳しく解説していきます。

 

朱印船貿易について詳しく解説!

(朱印船 出典:Wikipedia)

 

朱印船貿易は、江戸幕府の初代将軍である徳川家康が整備し、スタートさせた、海外との貿易の方法を指します。

 

朱印船貿易は1604年に始まって、1635年の間まで続きました。主な貿易相手は東南アジアがメインとなっています。

 

中国や朝鮮との直接貿易でない理由は、かつて豊臣秀吉が行った朝鮮出兵が原因です。日本との交易を禁止された商人にとっては痛手でしかありません。

 

 

ですが、朱印船貿易を使用し、東南アジア国内で中国や朝鮮とも交易ができたというメリットが朱印船貿易はあるのです。

 

①朱印状とは?朱印船貿易スタートのきっかけも説明

朱印状は、前述で貿易の許可書といいましたが、正確に言えば、日本が発行した海外渡航のためのパスポート的存在を指します。

 

朱印船貿易が始まった戦国時代は、南蛮文化の到来もあり、貿易とは別の目的を持った外国人だけでなく、海を荒らす海賊も頻発していました。

 

そのため、当時の天下人だった豊臣秀吉は、朱印状がないと海を出てはいけないと定めたのです。

 

朱印状がないとその人の身元もわからないため、勝手に渡航をする人は密航者ということで逮捕するなんてことがありました。

 

朱印状を用いることで、海と貿易が平和に保たれるような仕組み作りを行ったというわけです。

 

②江戸時代初期は鎖国が行われていなかった

江戸時代のイメージとして、どうしても強くついて回るのは”鎖国”なのではないでしょうか?

 

ですが、徳川家康が将軍だった江戸幕府初期は、鎖国を推奨するというよりは、朱印船貿易を整えて「貿易においては許可書(朱印状)を用いていれば、貿易を行ってよい」となっていたのです。

 

この貿易許可書というのが朱印状で、朱印状を使用する貿易を朱印船貿易というのです。

 

朱印船貿易は、実は豊臣秀吉の頃から既に行われていたもので、それを徳川家康がまねたことで初期の江戸幕府下でも行われていました。

 

③なぜ朱印船貿易は終了したのか?原因はキリシタン

豊臣秀吉の朱印状を用いた朱印船貿易を徳川家康がそのまま受け継いだことで、海外との貿易交流も盛んにおこなわれていたにもかかわらず、どうして長く続かなかったのでしょうか?

 

朱印船貿易が終わりを迎える直前の1635年ごろというのは、キリスト教を禁ずる禁教令の影響が強くありました。

 

 

キリスト教を強く取り締まる、禁教令自体は1613年ごろに出されていて、キリスト教系宣教師はこの令により、日本への入国ができないようになっていました。

 

しかし、スペインやポルトガルといった国は、禁教令が発令されてもめげませんでした。

 

当時まだ行われていた朱印船貿易の船に、東南アジアから日本人キリシタンを乗せて日本に送るという方策をとったのです。

 

これにより、日本人のキリシタンを逆輸入しているというような状態になってしまい、禁教令の意味がありませんよね。そのため、幕府は朱印船貿易自体を見直すことにしたのです。

 

朱印船貿易の根本を見直したことで、貿易国がキリスト教を布教しないようなオランダや中国、朝鮮や琉球といった国々に限定されます。

 

そして、次第に朱印状を使用した貿易は衰退をたどり、そのまま終了したという流れです。

 

勘合貿易について詳しく解説!

 

一方の勘合貿易は、朱印船貿易よりも前の、1404年から1549年に行われていた、室町幕府公式の貿易方法です。

 

貿易の相手国は主に当時の明国(中国)のため、別名”日明貿易(にちみんぼうえき)”とも言います。

 

室町幕府の三代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が倭寇(わこう)と呼ばれる海賊船団を鎮圧に協力したことで実現したといわれています。

 

足利義満は、実際に明国との貿易を行うために使者を派遣、明の三代皇帝である永楽帝と正式に国交と通商を結んだことが、始まりのきっかけです。

 

勘合貿易はその名の通り、明国/日本国の正式な貿易船であるかを示すために”勘合符(かんごうふ)”という物を用いたことから由来します。

 

①勘合符とは何?

「勘合貿易」の画像検索結果

 

勘合符というのは、前述の通り、正式な貿易船かどうかを判断するための木札のことです。

 

文字の書かれた木札を2つに割ったシンプルなものです。

 

勘合という漢字の意味が、2つの物の考えを合わせるという意味を持っています。

 

これが転じて、2つの公式な木札を合わせることで、公式の貿易船であることを証明するという仕組みです。

 

使い方は、日本と明国でそれぞれ木札を持ちます。そして、双方の国が持つ木札がピッタリ一致すれば、交易相手であるということを証明するのです。

 

この勘合符は、日本側と明国側でそれぞれ100枚ずつありました。

 

②勘合貿易で取引されていたもの

勘合貿易では、日本からは主に硫黄や銅、扇子や刀剣、さらに工芸品が輸出されていました。

 

明からは、貨幣をはじめ生糸や織物、書物といったものが輸入されてきました。

 

貨幣の輸入と聞くとビックリしますよね?

 

室町時代では、実は貨幣経済が急激に発展していきます。

 

そのため、明で鋳造された銅製の”永楽通宝”(えいらくつうほう)が重宝されてきたのです。

 

③細々と続けられていた勘合貿易

勘合貿易は、発案者である足利義満が1408年に亡くなった後に一度中断されています。

 

その当時の将軍は、四代将軍の足利義持(あしかがよしもち)です。足利義持は、勘合貿易を朝貢貿易と問題視していました。

 

このため、一度朝鮮や琉球との貿易に切り替えられるも、六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)によって再開されました。

 

しかし、応仁の乱が1467年に起こると、幕府の財政難も相まって、勘合貿易どころではなくなってしまうのです。

 

そのため、勘合貿易は幕府公式の物から、堺を拠点にする細川氏や兵庫の大内氏や、堺の力のある商人達を中心に行われていくようになったのです。

 

まとめ

 朱印船貿易と勘合貿易は開始された時代が異なる。

朱印船貿易は1604年の江戸時代初期から開始され、勘合貿易は1404年の室町時代にスタートした。

 朱印船貿易と勘合貿易は使用されていた確認するものが異なる。

朱印船貿易では朱印状と呼ばれる書状。勘合貿易では、勘合符と呼ばれる木札が使われていた。

 朱印船貿易と勘合貿易は貿易対象国が異なる。

朱印船貿易は対オランダや中国、朝鮮、琉球。勘合貿易は対明国であった。

 朱印船貿易と勘合貿易は終了原因が異なる。

朱印船貿易はキリシタンの流入を防ぐために見直しされたが、勘合貿易は室町幕府の財政難が終了の原因だった。

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