世界の歴史を大きく変えた機械。この機会によって世界は大きく変革していきます。
今回はそんな変革が起きたきっかけとなった『産業革命』について簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
産業革命とは?
産業革命とは、18世紀から19世紀にかけて起こった大量のハイテクな機械の発明により、産業の主体が手作業から工場による大量生産に変わった一連の出来事の事です。
これによってイギリスはのちに世界の工場と呼ばるようになり、世界の覇権を握るようになりました。
産業革命が起こる前のイギリス
①国産化にしたいね イギリス毛織物の悩み
産業革命が一番最初に起こる国であるイギリス。実はこの国が産業革命の先駆者になるにはとある下地がありました。
元々イギリスは羊毛産業が発達しており、その羊毛で作られた毛織物を重要な輸出品としていました。
しかし、羊毛で作られた毛織物はなんかもさもさして暑苦しい。ヨーロッパなどの寒い地域なら必需品ですが、当時イギリスの半植民地であったインドなどはこんなもの無用です。
「これじゃ、毛織物が売れないじゃないか!」そうイギリス国内が思った矢先に羊毛産業に変わる新たな織物がインドから輸入されてきます。
当時、インドではキャラコという綿織物が作られイギリスに輸出していました。実はこの綿織物がかなりお手軽な品で、羊毛よりも軽くさらに染色しやすいという羊毛の弱点をカバーするようなものだったのです。
これに目をつけたイギリスの羊毛産業の人たちはどんどんと綿織物を作っていくようになりました。
②農業革命
産業革命が起こる1つの要因としてこの頃の農業のあり方がガラッと変わったこともありました。
昔々、ヨーロッパでは三圃制という農地を3つに分けて1つを小麦に、1つをぶどう畑に、1つを肥料を蓄えるという農業の仕方をやっていました。
しかし、18世紀に入るとこの農業の仕方は大きく変わり、新たにノーフォーク農法というかぶ・クローバー・小麦・大麦を何年に一回変えながらぐるぐると作物を育てる農法へと変わっていきます。
こうなると、イギリス国内では農業生産が大幅に上昇。
家畜もクローバーを育てているため一年中飼育することができ、安定した食料補給が可能となりました。
こうしてイギリスでは大幅に人口が増加。工場で働く労働力が確保される要因となります。
産業革命の時の3つの革命
(1814年当時の鉱夫 出典:Wikipedia)
こうして綿織物産業の発展と農業革命による人口の増加などさまざまな下地のおかげで産業革命の兆しが見えてきますが、やはり産業革命といったらさまざまな機械の発明にあるでしょう。
次はそのような機械の発明について解説していきます。
①技術革命
イギリスでは綿織物産業が発展したと書きましたが、産業革命の一番の原動力が綿織物関連の機械の発明でした。
1733年、これまで織物の横糸を入れるために使われていた杼(ひ)と呼ばれるものをジョン・ケイという人が改良して飛び杼というものを発明します。
(ジョン・ケイが発明した飛び杼 出典:Wikipedia)
この飛び杼の発明によってこれまで入れるのに苦労していた横糸を簡単に入れることができるようになり、綿織物の生産の効率がどんどん増加します。
さらに、飛び杼によって効率がアップした分の綿糸の生産を間に合わせるためジェニー紡績機を発明。
(ジェニー紡績機 出典:Wikipedia)
綿糸の生産の効率が一気に8倍に上がり、さらに水力紡績機が発明されると工場による大量生産が可能となりました。
また、クロンプトンがミュール紡績機を発明するとキャラコよりも上質な綿糸の生産が可能となり、イギリスはインドに向けてこの産業革命で発明された機械を使って作られた綿織物を各地に輸出するようになりました。
(ミュール紡績機 出典:Wikipedia)
②動力革命
こうして綿織物関連の機械が発明されたことによってどんどん加速していく産業革命でしたが、紡績機がとんでもないぐらい発展していたお陰で肝心の綿織物の生産が追いつかなくなっていました。
そんな時、ジェームズ・ワットという人物が1769年にこれまで作られていながらも陽の目を見ることがなかった蒸気機関を改良。
(ジェームズ・ワット 出典:Wikipedia)
原動力である蒸気を冷やす復水器を使うことによって永久に動かすことが出来るようになり、さらにカーライトが1785年にこの蒸気機関を利用した世界初の動力を使った機械である力織機を発明するとイギリスの綿織物産業の発展は決定的なものになります。
そして、1802年には輸出量が羊毛産業よりも上回り、綿織物がイギリスの主力となっていくのです。
③交通革命
こうして莫大な量を生産できるようになったイギリスですが、いくら作ったとしても国内での需要は限られており、世界各地に売らなければいけませんでした。
そんな時に作られたのが発明されたばかりの蒸気機関を使った蒸気機関車と蒸気船。
(ロバート・フルトンの開発した蒸気船 出典:Wikipedia)
これによってこれまで陸では荷物を乗せる量が少なかった馬車や風がなければ動かない帆船だったのが一気に変わり、大量に荷物が積めるようになってさらに世界各地に輸出することが可能となりました。
こうして1825年にはイギリスのダーリントン〜ストックトン間で世界初の鉄道が開通。
(2番目に開通した鉄道の開業記念列車 出典:Wikipedia)
さらに工業地帯から港町まで運河が建設され始め、生産地から直接イギリスや世界各地に輸出されるようになったのです。
産業革命の影響と問題点
こうして発展していった産業革命。
この革命によってイギリスは世界の工場の半分を抱える世界の工場へと変貌を遂げ、のちに大英帝国として世界に燦然と輝くようになります。
しかし、これは短期間で動いていたこともあってイギリスでは1770年から1800年の間で国内状況が激変しました。
まず大きかったのが機械を動かすために石炭の大量使用されたことでした。
これによってイギリス国内では石炭を燃やした時に出た排気ガスによって空気が汚染。
イギリスの首都であるロンドン市内では『晴れがやってこない霧の街(要するに排気ガスで太陽が見えない)』と言われるようになり、さらに資本主義社会の発展も合わさってイギリスでは資本者と労働者の間でとんでもない格差が巻き起こっていました。
資本者は良い生活を送っている一方で、労働者は安い賃金で生きるか死ぬかの境目をさまよいながら働く生活を送っていることはのちにつながる社会主義運動の火種となります。
日本の産業革命
産業革命はイギリスを始めとしてフランス・ドイツ・ロシアや北欧諸国などで達成していましたが、アジアの中で産業革命を達成したのは日本ただ一国でした。
日本の場合は綿産業のイギリスとは違い、蚕から取れる絹産業が発展しており、明治維新を成し遂げた後、富国強兵をスローガンとして『殖産興業』を行い富岡製糸場を始めさまざまな紡績工場を設立しました。
さらに、日本が日清戦争の時に清によって払われた賠償金を元手に福岡県に八幡製鉄所を設立。製鉄業を始め重工業も発展し、産業革命を達成しました。
しかし、イギリスと同じく産業革命を起こしたのと同じ時に公害事件が多発。
特に足尾銅山の開発の時に渡良瀬川が汚染されたことによって起こった足尾銅山鉱毒事件の時は田中正造が天皇に直訴するなどの事件を起こし、一時は混乱状態に陥りました。
(1895年頃の足尾鉱山 出典:Wikipedia)
このようにさまざまな公害が起きつつも、産業革命によってイギリスなどのヨーロッパ諸国や日本などは近代社会へと足を踏み出し、のちにつながる帝国主義へと向かっていくのでした。
まとめ
✔ 産業革命は18世紀から19世紀の間に起こった綿織物産業を中心とした社会変革のこと。
✔ 産業革命の時に大量の機械が発明され、ワットによって蒸気機関が改良されると蒸気機関車や蒸気船が発明され、交通も一気に近代化した。
✔ 産業革命はイギリスの発展に貢献したが、これによってイギリスでは空気汚染などの公害や資本者と労働者の間で格差が広がり、のちの社会主義運動につながっていった。
✔ 日本は絹織物産業を中心に産業革命を達成したが、その裏で足尾銅山鉱毒事件などの公害も起きた。