今の時代では政治を動かしているのは内閣ということは公民で習っているはずですが、実は内閣制度が始まるまでは別の仕組みだったのです。

 

今回はそんな内閣が始まるまで存在していた『太政官制』についてわかりやすく説明していきます。

 

太政官ってなに?

太政官とは、明治政府が幕府に代わって作った政治を動かす機関のことです。

 

太政官制は明治時代の初めから内閣制度が出来上がる1885年まで存在していました。

 

そもそも太政官制は大昔の奈良時代の律令制によって誕生しましたが、明治政府によって新しくリニューアルされました。

 

太政官制の始まり

 

1868年江戸幕府が終わって明治時代に入った時に幕府に代わって政治をするようになった明治政府は、これからこのようにして政治を動かしていきますということをまとめた政体書という文章を作ります。

 

この政体書に基づいて成立して行ったのが太政官制でした。

 

太政官制のしくみ

 

 

明治時代の太政官制は時代によってコロコロ変わっていきますが、特に重要な3つの流れを説明していきます。

 

①1868年の太政官制

作られた当初の太政官制はまず最初に太政官という一番偉い部署がありました。

 

そしてその下に・・・

・議政官(会議をしている部署。現在の国会)

・行政官(行政の仕事をしている部署)

・会計官(国の予算を管理している部署)

・軍務官(軍隊をまとめている部署)

・外国官(外国関連の仕事をしている部署)

・刑法官(法律関係の仕事をしている部署)

・神祇官(全国の神社を統括している部署)

という七つの部署が置かれます。

 

この太政官制はアメリカの三権分立をイメージして作られましたが、結局太政官が三権全部やっていたので、三権分立は残念ながらこの時は出来ていませんでした。

 

②1869年の太政官制

一年前の太政官制はアメリカの三権分立に影響されましたが、それが日本には合わず今度は日本の昔ながらの制度に合わせた太政官制が作られました

 

この太政官制の最大の特徴は太政官が一番偉いのではなく、代わりに神祇官が一番偉くなったところです。

 

日本は『祭政一致』(宗教と政治が一体化した状態。今のサウジアラビアみたいだと思えばいい)の方針をとったのです。

 

そしてその下に・・・

・民部省(国の財政と税金の管理をしている部署)

・兵部省(軍務官と同じ仕事をしている部署)

・刑部省(刑法官と同じ仕事をしている部署)

・大蔵省(ほとんど民部省と一緒の仕事をしてるけどこっちの方が偉い)

・宮内省(天皇や宮中に関する仕事をしている部署)

・外務省(外国官と同じ仕事をしている部署)

の6つの部署が置かれました。外務省は今でも残っていますね。

 

でも、これじゃ江戸時代以前の政治体制に戻ってしまうためこれでは明治政府が目指していた三権分立に程遠い状態です。

 

③1873年の太政官制

明治政府は三権分立をするために1873年ついにそれを実現しようとします。

 

この時の太政官制はまず神祇官をまた神祇省に格下げして太政官が一番偉い状態に戻しました。

 

さらにその太政官も正院・右院・左院の3つに分けて権力を分散させようとしました。

 

そして、司法制度も改革します。

 

政府は新しく大審院(現在の最高裁判所)を設立させてついに日本は立法・行政・司法がきっちり分かれている三権分立を作り上げることができました。

 

この時、大久保利通内務省という国内の産業やインフラを整備する役職を作り、ここが特に強い権力を持つようになりました。

 

このことが大久保利通が独裁者とも呼ばれている原因とも呼ばれています。

 

内閣制度と太政官制の違い

 

太政官制のしくみについて説明していきましたが現在の内閣制度とは何が違っていたのでしょうか?

 

次はその違いについて解説していきます。

 

①各省庁が独立しているかいないか

最大の特徴はこれだといわれています。

 

太政官制は太政官が一番偉い状態で各省庁は太政官の命令で方針を決められていました。

 

しかし、実際に方針を実行していたのは省庁でしたので責任を持っているのは太政官か省庁かどっちなのかが非常にわかりづらかったのです。

 

今の内閣制度だったら各省庁は独立していて自由に方針を決めれることができます。

 

また、責任はその省庁の長官や大臣がすべて持っているので非常にわかりやすいです。

 

②権力が一局集中しているかしていないか

太政官制の場合は太政官が一番偉くてその下に各省庁があったのです。

 

さらにその太政官の中でも太政大臣と右大臣と左大臣に権力が集中していました。

 

政府はこの状態をなくすために正院と右院と左院を作りましたが、結局権力の集中が解消されることはありませんでした。

 

その一方で、現在の内閣制度は総理大臣が一番偉くてその下に国務大臣がいますが、太政官のように一方的に権力を持っているのではなくで会議によっていろいろ相談しながら決めているのであまり上下の差はありません。

 

③国民が関係してくるかしてこないか

太政官制の場合は太政官の人も各省庁の人もすべて天皇がすべて選んでいました

 

明治時代では大日本帝国憲法にも書いているように天皇が一番偉かったのです。

 

 

なので国民は無関係でした。

 

しかし、今の内閣総理大臣は選挙で一番議席をとった政党(与党)のリーダーが選ばれるシステムです。

 

そして国務大臣は総理大臣から指名されます。しかし、国務大臣の半数は国会議員じゃなくてはいけません。なので国民は無関係ではなかったのです。

 

 

太政官制の終わり

太政官制は日本の国会開設にともない太政官制をなくして新しい制度を作っていこうとしていきます。

 

そして大日本帝国憲法を制定して日本の内閣制度が出来上がった時に廃止されました。

 

太政官制の役割は内閣制度へとバトンタッチされて今につながっていくのです。

 

 

まとめ

・太政官制は内閣制度が出来上がるまで存在していた。

・太政官制はコロコロ体制は変わっていたが基本的に太政官が一番偉かった。

・太政官制は三権分立ができてないことがあったが、大審院などが設置されて三権分立をすることができた。

・太政官制と今の内閣制度はさまざまな違いがあった。

・太政官制は責任を持っている人がわかりづらかった。




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