【特需景気と高度経済成長の違い】簡単にわかりやすく解説!!朝鮮特需やバブル景気など

 

“特需景気”と“高度経済成長”は戦後日本の変化を表す言葉として聞いたことがある人が多いでしょう。

 

時代も内容も似たような感じにとらえていることがあるかもしれません。

 

今回は、この2つの言葉『特需景気と高度経済成長』の内容と相違について詳しくみていきましょう。

 

特需景気と高度経済成長の違い

 

 

“特需景気”とは、他の地域で発生した、何かしらの社会現象や事件などの要因に牽引される形で、ある特定の地域の経済が大幅に活性化することを言います。

 

一方、“高度経済成長”とは、経済の規模が飛躍的かつ継続的に拡大することを差します。この好景気は実質経済成長率が約10%以上であることを表しています。

 

つまり、「特需景気は一過性の外的要因により景気が活性化すること」「特需は戦争や流行などで一時的に需要が盛り上がること」ということになります。

 

ここからはそれぞれの用語についてかなり詳しく解説していきます。

 

特需景気について詳しく

(朝鮮特需 出典:Wikipedia

 

 

まずは特需景気の内容についてみていきます。

 

①特需とは?

「特需」というのは一過性の出来事により、通常の数倍以上に需要が盛り上がることをいいます。「特別需要」の略です。

 

念のために付け加えますが、“需要”とは「必要として求めること」であり、経済的には「個人や企業が、消費や生産の為に市場から商品を買い取ること」また、その商品の量や総額のことです。

 

反対語としては“供給”となります。中学公民で出てきましたよね。

 

②戦争と特需

特需の例として大きなものは、『戦争』といえます。

 

戦争自体は非常に経済的な損失を発生させるものではありますが、軍需産業の側からすれば「製品を多く使用してもらう良い機会」となります。

 

また、直接戦争で消費される兵器関連の産業だけではなく、軍事活動で必要となる製品に関する「鉄鋼・エネルギー・食料・繊維」などにも国として予算が大幅に充てられることになり、それらに関する企業に多くの利益をもたらします。

 

③大戦景気

世界的には、第二次大戦前後において世界恐慌により冷え込んだ経済界は、軍需景気を期待して好景気になっていきました。

 

 

これを「大戦景気」とも呼びます。

 

 

日本でも、日清・日露戦争の時やその後の第一次大戦前後、第二次大戦の時期にも「大戦景気」は起こっています。

 

風刺画でお札を燃やすものが教科書にありましたよね。

 

 

関連画像

 

 

これは第一次大戦期の好景気においての「成金」を風刺していましたが、確か足元を照らすために100円札を燃やしていました。

 

1920年当時の銀行員の初任給が50円の時代、2か月分の給料を燃やしたということですので、好景気の勢いが伺えます。

 

参考までに当時大学の年間授業料は100円でしたが、今の国立大学の年間授業料は54万円位とのことです。

 

④朝鮮戦争での「特需景気」

歴史の中で「特需景気」として有名なのは、朝鮮戦争の時ですね。

 

1950に始まった朝鮮戦争において、太平洋戦争後の連合国軍総司令部(GHQによる占領下にあった日本は、アメリカ軍の軍隊・兵器・物資の中継基地、補給基地として使われました。

 

 

多くの軍需品が日本国内で生産されるようになり、そのことにより国内では「朝鮮特需」が起こりました。

 

この特需による好景気は日本の戦後復興の起爆剤となりました。

 

そしてこの朝鮮戦争は日本のみならず、国際的な物品不足をもたらし、西ドイツのように輸出量が2倍になった国もあったとのことです。

 

⑤流行からの「特需景気」

また、反対に日本国内での流行などが他国の「特需景気」を引き起こす例もバブル期以降起こっています。

 

例えばナタ・デ・ココやハバネロなどは日本で大流行を巻き起こした食材ですが、この産地では特需景気にわきました。

 

国の間だけでなく、身近なことでも考えられますが、インフルエンザの流行する時期には毎年多くのマスクが必要とされています。

 

そのような中で性能のよい高額マスクがブームになることで品薄になり、今まで少量を生産していた1つの会社が急に儲かって景気が良くなる…等もよい例です。

 

特に最近はSNSの影響などで、ブームに色々流される傾向が多いですよね。

 

⑥「特需景気」の問題点

「特需景気」や「大戦景気」は一時的な好景気である場合がほとんどになるため、この特需の間に産業界で好景気維持のための動きなどが起こらない場合は、特需の終了に合わせて景気の没落や社会混乱を招く場合もあり得ます。

 

先のナタ・デ・ココの場合もブームをあてにして増産などした挙句、ブームの終了とともに倒産した業者も多くあったそうです。

 

また、特需景気の際には急速な需要増大への設備の充実や労働力の確保が間に合わない場合も多く、労働者へしわ寄せがいく傾向が見られます。

 

フル稼働での生産体制をとるがゆえに労働条件が過酷になったり、老朽化した設備を無理やり動かしたりして安全体制がおろそかになる問題も出てくるそうです。

 

高度経済成長について詳しく

(1961年ごろの東京タワー 出典:Wikipedia

 

 

続いて高度経済成長をみていきましょう。

 

①「経済成長」とは?

まずは簡単に「経済成長」とはどんなことか確認しておきます。

 

よく聞く「国内総生産(GDP)」ですが、これは「1年あたり国でつくられたモノとサービスの金額の総合計」です。経済成長率はこれが1年の間にどれだけ増えたのかを割合で示すものです。

 

単純に考えると、GDP100億円から110億円になれば、10%成長と言えそうですが、物価の上昇率を考えて、見た目の誤差を取り除いた上で「実質経済成長率」というもので考えるそうです。

 

これが10%以上上昇していることを高度経済成長と呼びます。

 

 

②戦後日本の復興

前述で、朝鮮戦争での「特需景気」が戦後日本復興の起爆剤になったといいましたが、

 

1950年~1953年までの「特需景気」の間に関係企業が潤い、そこから戦後不況に苦しんでいた日本経済は一気に活気を取り戻しいくことになるのです。

 

 

③高度経済成長期の好景気

1955年~1973年までの高度経済成長期にはいくつもの好景気の時期があり、それらを通して日本経済は一気に発展していきました。

 

その好景気の例は・・・

  • 神武景気 195412月~19576
  • 岩戸景気 19587月~196112
  • オリンピック景気 196211月~196410
  • いざなぎ景気 196511月~19707

などです。

 

この間に石炭から石油へのエネルギー変換が起こり、太平洋沿岸地域にコンビナートや製鐵所を建設して日本の重化学工業がどんどん発展していったのです。

 

④高度経済成長の要因

この成長の要因としては以下が考えられています。

 

5つの要因

  • 民間企業の設備投資

特需で潤った企業が、さらに増える需要への対応で設備投資を進め、その取引先が同様に設備投資をする、という連鎖が生まれた結果、多くの企業が儲かりGDPが増加しました。

 

  • 技術革新による消費の増加

3種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)をはじめとした新製品の登場により、多くの商品の開発、販売がGDP増加を推進しました。

 

  • 東京オリンピックによる公共投資の増加

東京オリンピック誘致に伴い、政府が中心となって高速道路や新幹線などの公共事業を積極的に進めた結果、物流も増え、モノが多く作り出されました。

 

  • 輸出の増加

当時の1ドル=360円のレートにおいて有利となる“輸出”を増やすため、従業員一人当たりの生産量を増やす等の企業努力により原材料輸入による原料費の高さをカバーできるようになっていきました。

 

  • 貯蓄の多さ

日本人は非常に勤勉で貯蓄の多い国民でしたので、銀行がその預金を使っての企業への貸し出しの増資が可能になり、その資金が企業を成長させ、さらに賃金がアップし、貯蓄が増やせる…という非常によい流れを作っていきました。

残念ながら現在はその逆の負のループになっていますね。

 

これらの要因から、日本は戦後から20年くらいで世界第2位の経済大国にまで復活したのです。

 

このことは「東洋の奇跡」などと呼ばれました。

 

⑤高度経済成長の陰で

一見すると良いことの多い「高度経済成長」に見えますが、急速な工業化に伴い、環境破壊が起こった結果、1950年代後半から1970年代に各地に公害病が発生しました。

 

特に被害の大きいものを四大公害病と呼ばれます。

 

四大公害病

  • 熊本水俣湾の有機水銀が原因の「水俣病」
  • 新潟県阿賀野川流域の「第二水俣病」
  • 富山県神通川流域のカドミウムによる「イタイイタイ病」
  • 三重県四日市市の亜硫酸ガスが原因の「四日市ぜんそく」

 

工場から出された有害物質が、食物連鎖の流れの中で人間に入り、多くの病気を引き起こしたのでした。

 

患者たちの多くの戦いの結果、政府による法令の整備や企業責任による有害物質の流出禁止などの対応が実施されてきましたが、近年も光化学スモッグや自動車の排ガスによる被害、原子力発電所による放射能被害など、まだまだ対応が必要な害が多く発生し、人々の健康を脅かしています。

 

また、この時期に集中してインフラ整備が行われたことで、2020年代以降一斉に寿命を迎える危険性が社会問題化しています。

 

これは2013年政府による「インフラ長寿命化基本計画」立案により対策を進めています。

 

⑥成長の終焉

日本の高度経済成長は、1973年のオイルショックにより、終焉を迎えました。

 

 

その後、1990年代まで日本経済は安定期に入り、皆さん承知のようにバブル崩壊、金融危機などを経て現在までの長期停滞期に続いていくのです。

 

 

まとめ

 「特需景気」は一過性の外的要因により景気が活性化すること。

 「特需」は戦争や流行などで一時的に需要が盛り上がること。

 日本史の中では特に1950年朝鮮戦争の際での「朝鮮特需」による好景気をさす。

⇒戦後日本の復興は、この朝鮮戦争時の「特需景気」が起爆剤となった。

 「特需景気」により、設備や労働力の不足問題なども起こった。

 「高度経済成長」は実質経済成長率が10%以上の成長をすること。

 1955年~1973年までの日本経済は「高度経済成長」を続けたので、この時期を「高度経済成長期」と呼んでいる。

 日本の高度経済成長期を通じての経済大国化は「東洋の奇跡」とされている。

 「高度経済成長」による急速な工業化は環境破壊をまねき、公害を発生させた。

 戦後の高度経済成長期に整備されたインフラは、近々寿命を迎える危険性があり、その対策が進められている。