皆さんの生活に必要不可欠になっている燃料である石油。

 

しかし、この石油が一時期日本に来なくなってしまうかもしれなかった時代があったのです。

 

今回はそんな日本中で大騒ぎになった出来事『オイルショック』についてわかりやすく解説していきます。

 

オイルショックとは?

 

オイルショックとは、1973年(昭和48年)に起こった世界的な石油危機のことです。

 

このオイルショックの裏には第四次中東戦争によるアラブ諸国の思惑が背景にありました。

 

オイルショックの原因「第四次中東戦争」

(第四次中東戦争 出典:Wikipedia

 

 

オイルショックについて解説する前にまずはそうなってしまった最大の原因である第四次中東戦争について見てみましょう。

 

①イスラエルとアラブ諸国との対立

1945年に第二次世界大戦が終わるとこれまでナチスドイツに迫害されていたユダヤ人は2000年以上前に国としてあったパレスチナというところに勝手に国を作ります。

 

しかし、ユダヤ人がこの土地に住んでいたのははるか2000年前。戦後直後にはアラブ人というユダヤ人とは別の民族が住んでいました。

 

これがかなりややこしくしてしまい、アラブ人はユダヤ人に対して反抗。さらに本来なら止めるべきである宗主国イギリスがこの問題を放棄してしまい、1948年に第一次中東戦争が起こってしまいます。

 

結局、この第一次中東戦争は国連によってパレスチナの分割案が可決され、なんとか終結しましたが、これを境にイスラエル国と周りのアラブ諸国との対立が始まってしまいました。

 

②第四次中東戦争の勃発

(ゴラン高原を進むイスラエル軍 出典:Wikipedia

 

 

第一次中東戦争の後、イスラエルとアラブ諸国はアメリカやソ連などの国を巻き込んで対立を行なっていきます。

 

例えば、第二次中東戦争(スエズ動乱)の時にはエジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化してアメリカとイギリスと対立。

 

第三次中東戦争の時にはイスラエルがシナイ半島という半島を占領するなど度々アラブ諸国とイスラエルは戦争を起こします。

 

そして時代は下り1973年に第四次中東戦争が起きます。

 

シナイ半島を占領されたエジプトはイスラエルに対して宣戦布告。電撃戦を使ってシナイ半島を奪還します。

 

対するイスラエルもアメリカとイギリスなどの援助を取り付けて戦争は泥沼化していきました。

 

アラブ諸国の石油価格の吊り上げ

 

 

こうしてなんとか優勢となったアラブ諸国。

 

しかし、イスラエルの後ろにアメリカとイギリスが付いていることを受けて、なんとかこの支援を断ち切りたいと思っていました。

 

そこでアラブ諸国はアメリカとイギリスに対して簡単に大打撃を与える賢い方法を思いつきます。それがイスラエルに支援した国への石油禁輸制裁でした。

 

当時石油の産地といえばソ連のバクー油田か中東の油田でした。

 

そのため、アラブ諸国からしたらこの石油さえ止めれしまえばアメリカやイギリスなどの国々は産業がうまくいかなくなり、イスラエルの援助をやめるだろうと考えたわけです。

 

こうしてOPEC(石油輸出機構)は21%という考えられない価格の吊り上げとイスラエル支援国の禁輸制裁を開始。世界各国で石油が無くなるオイルショックが起きてしまいました。

 

オイルショックの日本への影響

①日本への輸出制裁

こうして始まった石油の禁輸制裁。

 

日本は中東問題にあまり関係ないため蚊帳の外かと思いきや、そんなことはありませんでした。

 

日本とアメリカは皆さんご存知同盟関係。中東諸国からすればアメリカも日本もイスラエル支援国の一つということは変わりありませんでした。

 

そのため、中東諸国は日本に対しても禁輸制裁を行います。

 

これを受けて当時の三木武夫首相は「中東諸国さん。日本はアメリカと同盟関係にあるだけでイスラエルに支援なんてしていませんよ」と弁明しますが、結果は変わりませんでした。

 

②日本経済の大打撃

当時日本は高度経済成長といって安定した経済成長の状態でしたが、1970年代に入るとニクソンショックといってもアメリカの経済改革の煽りを受けて不況に陥っていました。

 

そこにオイルショックが直撃したのですから経済へのダメージは深刻なものでした。

 

さらに、この頃日本はエネルギー革命といって工場の機械や発電などの燃料が石炭から石油に変わっていた時で、中東の石油がこないとなると機械などが動かなくなるというという最悪の事態が訪れてしまう可能性がありました。

 

③インフレーションの突入

 

 

機械が動かなくなるかもしれないという危機が起こってしまうと、企業などは燃料の石油をあまり使わなくするために機械を動かす量を少なくしていきます。

 

機械を動かさないということはその分ものを生産する量が少なくなるということにつながっていきます。

 

さらにプラスチックなどは石油が原料ですので、そのプラスチックやなどの製品が作られなくなってしまいます。

 

こうなると日本ではモノの価値が上がり、その分お金の価値が下がるというインフレーションに突入してしまい、物価が20%上昇するという『狂乱物価』というありえないレベルの物価上昇を引き起こしてしまいます。

 

オイルショックといえばトイレットペーパーの買い占めを第一に思い出す人がいるかもしれませんが、実はこれにはこのような事情があったのです。

 

さらにその物価上昇は石油とはあまり関係のないものまで広がり、例えば醤油や砂糖などの調味料にも及ぶようになりました。

 

こうしてインフレーションに突入した日本は不況に突入し、戦後初のマイナス成長を記録してしまい、高度経済成長は終わりを迎えました。

 

オイルショックへの対策

①省エネの開始

オイルショックが起こると日本各地で省エネというエネルギーを節約していこう!という動きが出てきます。

 

例としてあげるのであれば夜中のネオンサインの減少・深夜営業、深夜放送の廃止・エスカレーターの運転停止などなど・・・。

 

とりあえずエネルギーを使うものを出来るだけ少なくするようにしていきます。

 

②石油依存の見直し

オイルショックを受けて日本政府はこれまで石油に依存していた現状を見直していきます。

 

例えば、飛行機の発注の取り消しや、石油を使って動かしていた火力発電所に変わって、この当時ではエネルギーを安定して供給できるとしていた原子力発電所が注目されるようになり、この頃から徐々に整備を始めるようになりました。

 

オイルショックの終わりとその後

(1978年 ボンサミット"主要国首脳会議" 出典:Wikipedia

 

 

オイルショックは第四次中東戦争の終結によって終わりを迎えましたが、これ以降世界各国では石油の中東依存を見直し、北海油田の開発や、アメリカ国内の油田開発の自国で石油を供給していくという動きが見られるようになりました。

 

また、この当時のフランス大統領であったジスカール・デスタン大統領はオイルショック後の世界経済について会議するため、主要国首脳会議(今のG7)を開催するようになります。

 

まとめ

✔ オイルショックは第四次中東戦争の時に中東諸国がイスラエル支援国に対して石油を禁輸したことによって起こった混乱のこと。

✔ オイルショックによって日本ではインフレーションが起こり、高度経済成長は終わりを迎えた。

✔ オイルショックによって省エネ化が始まり、原子力発電所などか整備し始められた。

✔ オイルショック後には石油の自国生産の動きが見られたり、先進国首脳会議などが開かれるようになった。

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