土器は日本史を勉強するうえで、どうしても避けて通れない日本古代文化史の象徴となっています。
特に弥生時代から古墳時代にかけては、様々な土器が登場してくるため、私たちを悩ませますよね。
筆者もかつて、土器の特徴を覚えたり、区別したりするのに、とても時間がかかりました。
今回は、その中でも『土師器(はじき)と須恵器(すえき)と弥生土器の違い』について、それぞれの特徴を簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。
土師器と須恵器と弥生土器の違い
土師器と須恵器と弥生土器について、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。
それぞれの違い
✔ 生産されていた時代が違う
弥生土器・・・弥生時代から古墳時代まで
土師器・・・古墳時代から
須恵器・・・古墳時代中期から
✔ 誕生のきっかけが違う
弥生土器・・・縄文土器から進化
土師器・・・弥生土器と同じ系統だが、大別がない
須恵器・・・朝鮮半島からの制作技術の伝来で誕生
✔ 焼き方が違う
弥生土器・・・野焼きの進化版、「覆い焼き」で、低い温度で焼かれた
土師器・・・野焼きの進化版、「覆い焼き」で、低い温度で焼かれた
須恵器・・・1000度以上の高温の窯で焼かれた
✔ 色と硬さや厚さが違う
弥生土器・・・赤っぽい色味で厚手、やや軟質
土師器・・・赤っぽい色味で薄手、やや軟質
須恵器・・・青灰色っぽい色味で硬い
✔ 使用用途が違う
弥生土器・・・実用的なものに使われ、つぼ型・甕(かめ)型・高杯型の3種類で使用用途を分けている
土師器・・・煮炊き用・食器用
須恵器・・・貯蔵用や祭事用
✔ その後の経過が違う
弥生土器・・・土師器に吸収される
土師器・・・須恵器と共存し、使い分けられる
須恵器・・・土師器と共存し、使い分けられる
そもそも土器ってなんだろう?
土器と言われて、ぱっと想像がつかないですよね。
土器とは、その名の通り、土を練って形を作り、焼き固めた器のことを言います。
土器はなんと、縄文時代から平安時代までの長い間、使われているんです。
私達の身近な土器は、素焼きで焼かれた植木鉢が、良い例えです。
弥生土器について詳しく解説!
(弥生時代後期の土器「壺形土器」 出典:Wikipedia)
では最初に、弥生土器について詳しく掘り下げていきたいと思います。
昔は、弥生式土器とも言われていましたが、現在は弥生土器という名称が一般的となっています。
①使われていたのは弥生時代
弥生土器は、弥生時代に作られ、使われていた土器のことをいいます。
②焼き方は素焼き
弥生土器は、素焼きの土器です。植木鉢とおなじですね。
③色見は赤っぽい色
弥生土器の色見は、赤っぽい色をしています。
これは、比較的低い温度で焼かれていることにあります。
④実用的な器で3種類の形が基本形
弥生土器は、その前の縄文土器と違い、実用的なものがメインとなっています。
この時、稲作も始まっていることから、形も実用的に完成されていきます。
3種類の基本形はこちらです。
- つぼ型・・・穀物や液体を保存
- 甕(かめ)型・・・煮炊き用だったとされている
- 高杯型・・・食べ物の盛り付け用
⑤実用性重視のシンプルなデザイン
弥生土器は、実用性重視となっていたため、デザインも大変シンプル。
模様があったとしても、丸や三角、そして直線や波といった模様で飾り付けられていました。
どうしてこのようなデザインなのか、未だに明らかとなっていません。
⑥焼き方は縄文土器で行われた野焼きの発展型
弥生土器の焼き方は、縄文土器と同じ野焼きという方法でした。
しかし、弥生土器の場合は縄文土器と違い、工程が1つ増えています。
それは、野焼きのシステムの上に更にドーム状に土をかぶせた「覆い焼き」という焼き方です。
今で言うところの窯(かま)と同じ役割を果たしていて、土の中を火であぶっていくことで、熱が均一となり土器に伝わると言う訳です。
土師器について詳しく解説!
(土師器 出典:Wikipedia)
続いて土師器について詳しく見ていきましょう。
土師器は、古墳時代に登場しています。
①土師器は弥生土器と系統が同じ
土師器は、弥生土器と同じ系統の土器です。
野焼きの進化系である「覆い焼き」で焼かれ、赤っぽい色で、やや軟質とされています。
特徴もほぼ変わらないため、弥生土器とあまり大きな区別が成されていないようです。
②煮炊きに便利なつくりになる
土師器は、弥生土器と比べると薄型になり、煮炊きをするのに大変便利になったとされています。
③食器としても使用されていた
土師器は、煮炊き用だけでなく、食器用としても使用されていました。
④土師器と共存していた
後に紹介する須恵器が生まれたからと言って、土師器の生産が終了したわけではありません。
土師器と須恵器は共存していました。
須恵器について詳しく解説!
(須恵器 出典:Wikipedia)
最後に土師器におなじく、古墳時代に登場した須恵器について詳しく見ていきましょう。
①須恵器の方が後出
須恵器は、古墳時代中期、およそ5世紀の中頃より作られ始めたとされています。
②技術は朝鮮半島から伝わる
須恵器の製作技術は日本国内でなく、なんと朝鮮半島から伝わり、生産が始まったのです。
ろくろを用いて形を作り、窯で焼くという技術は、朝鮮半島からの伝来だったのですね。
③色・性質が全く違う
須恵器は弥生土器と土師器とは違い、青灰色の焼き上がり。
そして、硬質でした。
それは1000度以上の高温窯で焼かれたことでより硬く、色も変化したのです。
④多方面で使用されていた
須恵器は、主に貯蔵用・食器用としてしようされています。
それだけではなく、祭事に使う時の器としても使用されていました。
そのため、土師器と比べるとやや高級な位置づけとなっていました。
⑤土師器と共存していた
須恵器の制作方法が日本にやってきたことで土師器の生産が終了したわけではなく、土師器と須恵器は共存していました。
それぞれが用途ごとに使い分けられていたのです。
まとめ
✔ 3つの土器は生産されていた時代が違い、弥生土器は弥生時代から古墳時代まで、土師器は弥生土器の改良型として古墳時代から登場し、須恵器は古墳時代中期から登場した
✔ 3つの土器は誕生のきっかけが違い、弥生土器は縄文土器からより実用的に進化したもので、土師器は弥生土器と同じ系統だが、大別がない。弥生土器の進化版と捉えると良い。須恵器は朝鮮半島からの制作技術の伝来で誕生した。
✔ 3つの土器は焼き方が違い、弥生土器と土師器は「覆い焼き」という手法で、低い温度焼かれたが、須恵器は1000度以上の高温の窯で焼かれた
✔ 3つの土器は色と硬さや厚さが違い、弥生土器と土師器は赤っぽい色身で薄手、やや軟質だが、須恵器は青灰色っぽい色味で硬い
✔ 3つの土器は使用用途が違い、弥生土器は実用的なものに使われ、つぼ型・甕(かめ)型・高杯型の3種類で使用用途を分けていた。土師器は主に煮炊き用・食器用で、須恵器は貯蔵や祭事用に使用されていた
✔ 3つの土器はその後の経過が違い、弥生土器は土師器に吸収されていった。土師器と須恵器は互いに共存し、使用用途ごとに使い分けられていた。