【大正時代の生活】特徴をわかりやすく解説!!服装や文化・食事・出来事(戦争)について

 

時代は新しく「令和」に入りましたが、その前の「平成」「昭和」に比べて「大正」となるとイメージがイマイチ…という人も多いかもしれません。

 

ちょっぴり謎めいた「大正時代」。

 

今回は、この『大正時代の生活の特徴』についてわかりやすく解説していきます。

 

大正時代の生活の特徴

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(大正天皇 出典:Wikipedia)

 

大正天皇の在位期間である1912730日から19261225日までの約15年間 を【大正時代】と呼びます。

 

実はこの短い期間に都市の生活は一気に欧米化が進み、現在に繋がる“生活様式”や“食文化”などが生まれました。

 

洋服を着て洋食を食べるなど、今では普通の生活様式がこの頃から行われるようになったのです。

 

また、『一般大衆』が中心となる大衆文化が発展した時代でもありました。

 

この時代に起こった世界的な出来事、社会・思想の変化を通じて確認していきましょう。

 

大正時代の主な出来事

(ドイツの突撃歩兵 出典:Wikipedia)

①第一次世界大戦の勃発

1914(大正3)年ヨーロッパを中心として第一次世界大戦が勃発します。

 

これまでにない大規模な戦争であり、新兵器の使用により被害は拡大、各国が女性や労働者、植民地の人々も含め総力戦で臨む戦争となりました。

 

日本はこの戦争に日英同盟を理由に参戦しますが、中国にあるドイツ領を占拠したにすぎませんでした。

 

 

②大戦景気

第一次世界大戦による戦争特需により多くの軍需品をヨーロッパに輸出した日本経済は、好況になりました。

 

この大戦景気により工業製品の輸出が大幅に増え、重化学工業を中心に工業国としての基礎が作られたのです。

 

教科書にお札を燃やすお金持ちの風刺画などがありましたが、『成金』が生まれたのもこの時です。

 

 

③米騒動と政党内閣の誕生

大戦景気による好況は、物価の上昇をまねき逆に庶民の生活は苦しくなっていきました。

 

そして、1918(大正7)年シベリア出兵を見越した米の買い占めによる米価上昇は、人々の不満を爆発させます。

 

各地に米騒動が勃発し、軍隊が鎮圧するほどの大騒ぎになりました。

 

これにより当時の内閣が退陣、本格的政党内閣とされる原敬内閣が誕生しますが、民衆の力の大きさが感じられる出来事となりました。

 

 

大正時代の思想の変化と民衆の政治参加

(大正政変 出典:Wikipedia)

①大戦後の社会変化

第一次世界大戦後の欧米諸国では総力戦に貢献した女性や労働者などの権利が向上していきます。

 

また、資本主義に対抗した考え方から1917年ロシア革命が起こり、初めての社会主義国家が成立しました。

 

 

これらの動きは日本にも広まりました。

 

大正デモクラシー

大正初期から、国内では“憲法に基づく政治を守ること”をスローガンとした護憲運動が起こっていましたが、大戦後さらに世界の動きに便乗していきます。

 

この時期の民主主義を唱える動きを『大正デモクラシー』と呼びますが、この思想は民衆にも広まり、民衆の政治への関心も高まっていったのです。

 

 

社会運動の拡がり

大戦中の経済発展により労働者が増加したことで、ストライキなどの労働争議もおこり、1920(大正9)年には日本で最初のメーデーも開催されました。

 

農村でも小作争議がおき、同時期には差別に苦しんできた被差別部落の人々アイヌ民族の解放運動も起こります。

 

女性の社会進出

欧米同様女性の活動も盛んになり、平塚らいてう市毛房枝を中心に女性の政治活動の自由や男女の機会均等などを求めて活動が進められました。

 

当時は女性が上の学校に進めるのは稀であり、政治の話も女がするものではない!という風潮でした。

 

このように民衆の中で弱い立場にあった人々が多く立ち上がった時代でもあります。

 

⑤普通選挙法

様々な運動の結果、1925男子の納税義務を撤廃した普通選挙法が成立されます。

 

これにより有権者は約4倍に増加し、政治に広く国民の意見が反映される道の第一歩が開かれました。

 

しかし、引き続き女性には選挙権がなく、また同年社会運動を取り締まる治安維持法が制定されているので、飴とムチの法令だったのかもしれません。

 

 

大正時代の教育と文化

(大正時代の女学生 出典:Wikipedia)

①教育の広がり

明治末期までに小学校での義務教育がほぼ普及し、当時の識字率97%を超えていました。

 

これは世界的に見ても非常に高い水準ですが、さらに大正期になると中等・高等教育の充実が図られます。

 

進学率も高まり、大学や専門学校も増えて多くの知識人が増えました。

 

この教育の充実は大衆文化をささえる土台となりました。

 

②活字文化

好況による都市の発展と教育による知識人の増加は活字による文化の浸透を進めました。

 

新聞は発行部数100万部を超え、週刊誌や月刊誌も発行されました。

 

1冊1円の円本と呼ばれる文学全集や低価格の岩波文庫などが出版され、文化の大衆化を促進していきました。

 

子供向けの雑誌も発行され、この頃ヨーロッパの童話等が一般に広まったのです。

 

学問と文学

この時代は学問でも有名な人々が現れました。

 

のちに日本人初のノーベル賞を受賞する物理学者の湯川秀樹、黄熱病との戦いに人生を捧げた医学者の野口英世、彼は現千円札の肖像にもなっていますね。

 

そして、カッパ伝説などの「遠野物語」が有名な民俗学の柳田国男も聞いたことがある人は多いでしょう。

 

また、文学のジャンルでは芥川賞の芥川龍之介「羅生門」が知られています。

 

さらに小林多喜二「蟹工船」などの作品は社会問題を取り上げたものとして、プロレタリア文学と呼ばれました。

 

大正時代の生活の変化

(関東大震災 出典:Wikipedia)

①関東大震災の発生

1923(大正12)年911158分関東地方でマグニチュード7.9の地震が起きました。

 

時刻が昼食準備時に重なり、また近くにきていた台風の影響で強風が吹いていたこともあり、都市部では3日まで火災が続くなど壊滅的な被害を受けます。

 

また、震災時の混乱の中で多くの朝鮮人・中国人・社会主義者などが殺され、死者行方不明者10万人をこえた未曽有の災害となりました。

 

この震災からの復興により、景気は悪化し後の昭和不況へと繋がるのですが、この震災が都市改造の大きなきっかけとなり、東京や横浜は近代的な都市として生まれ変わっていくのです。

 

②都市と生活様式の変化

東京は丸の内などにエレベーターのついたビルディングが建設され、オフィス街となっていきます。

 

また、震災後の不安から人々の居住先が都市周辺になるドーナツ化が進み、新宿などが副都心へと変わりました。

 

都市部では電気・ガス・水道の普及によって、欧米風の外観や電灯、浴室などが備わった『文化住宅』が庶民の憧れとなりました。

 

また、明治期まで呉服屋だったところが次々に百貨店に姿をかえ、銀座はデパート街へと姿を変えていきます。

 

洋服と洋食

洋服は最初男性に普及していきました。

 

高い教育を受けた人々が民間企業に勤め、この頃から「サラシーマン」が庶民の中心的存在になっていきます。

 

また、女性の社会進出によりバスガールや電話交換手等の職業女性たちの制服であったり、高等女学校の制服に洋服が採用されたりすると、徐々に女性達にも洋服が広まります。

 

ワンピース姿の女性はモガ(モダンガール)と呼ばれたりしました。

 

洋食も広がり、『カフェ』や『レストラン』なども出来ました。

 

ライスカレー・トンカツ・コロッケなどが広く食されるようになり、現在も人気の森永やグリコのキャラメル、明治のミルクチョコレート、カルピスなどがこの頃発売されています。

 

都市交通と情報源の普及

大阪では私鉄網が発達し、東京の都市部では路面電車が走りました。

 

また、自動車がその存在感を見せ始め、タクシーなどが都市交通の重要な役割を担うようになっていったのです。

 

富裕層の中には自家用車を持つ人も出てきました。

 

1925(大正14)年に東京・名古屋・大阪で始まったラジオ放送は全国に普及していき、これまでの新聞にならぶ重要な情報源となっていきました。

 

このようなメディアの発達も、大衆文化の広がりに一役をかっていたのです。

 

⑤娯楽の普及

1920年代には国産の活動写真(映画)が製作、観客を集めるようになります。

 

また、蓄音機やレコードが広まると、歌謡曲が全国に流行するようになります。今でいうCDJ-POPですね。

 

スポーツの世界でも1915年に第一回全国中等学校野球大会が開催され、これが今の『高校野球』の始まりです。

 

ちなみに高校球児の夢舞台である甲子園球場は1924年に完成しています。

 

一方で地方の農村や漁村などでは、これらの近代的な文化の恩恵を受けることはできず、都市部と地方とに大きな格差が生まれるのも、この時代の特徴となりました。

 

まとめ

 大正時代は約15年間の短さにもかかわらず、現在に繋がる大きな生活変化があった。

 第一次世界大戦は日本に大戦景気という好況からの経済発展をもたらした。

 大戦後の好況は後に国内の物価上昇を招き、結果民衆の生活は苦しくなった。

 米騒動の頻発から当時の内閣を退陣させるほど、民衆の力は強くなっていった。

 戦後の世界的思想の変化は「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義を進める運動を加速させた。

 「大正デモクラシー」は社会運動、差別解放運動、女性の社会進出など多くの民衆の運動を牽引していった。

 明治期からの識字率の高さがさらに上の教育へ広がり、大正期には知識人が増えた。

 知識人の増加が活字文化を支え、学問、文学の分野が大きく発展していった。

 関東大震災という未曽有の大災害で大きなダメージを受けたが、東京や横浜は近代的都市開発を進めるきっかけとなった。

 電気・ガス・水道の普及など近代的な住宅が都市部で造られるようになっていった。

 サラリーマンが民衆の中心となり職業女性も増え、洋服が一般的になっていった。

 トンカツやコロッケなど洋食も広まり、現在にもある菓子などが生まれた。

 ラジオ放送の開始や新聞の部数増加などメディアも発達していった。

 映画や歌謡曲、スポーツの大会など庶民の娯楽も発展していった。

 しかし、多くの近代化の恩恵は都市部のみであり、地方との格差は広まっていった。