【浄土教と浄土宗の違い】簡単にわかりやすく解説!!それぞれの意味や共通点について

 

浄土教と浄土宗。

 

どちらも「浄土」というワードが付いていて、正直、何がどう違うかってわかりづらいですよね。

 

むしろあなたも、「浄土教=浄土宗」と思っていてここにたどり着いたのではないでしょうか?

 

実は、浄土教と浄土真宗は、そもそもモノが違うんです!

 

今回は、『浄土教と浄土宗の違い』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

まずは浄土教と浄土宗の共通点を知ろう!

 

最初に、浄土教と浄土宗の共通点について説明していきます。

 

浄土教と浄土宗の共通点は、意外や意外、「浄土思想」って面のみなのです!

 

〇浄土教と浄土宗の共通点・・・浄土思想であること

 

それ以外は、ゴール地点などに様々な違いだらけの別物なんです。

 

そう思うと、簡単に違いが分かってくると思いますよ!

 

両者を押さえるために必要な「末法思想」

 

浄土教と浄土宗の違いを語る前に、この末法思想というものを押さえる必要があります。

 

平安時代末期に出現した末法思想とは、一体何でしょうか。簡単に説明していきましょう。

 

平安末期に現れた末法思想

平安末期は、貴族の時代から武士の時代への転換期。

 

武力が現実社会を支配する時代が訪れることで、地獄行きへの不安と世界の劣化思想が、貴族だけでなく、一般民衆までを支配していきます。

 

これが末法思想です。

 

言い知れぬ不安と恐怖に襲われた民衆たちが、藁をもすがる思いで信仰したのが、この後登場する浄土教や浄土宗なのです。

 

浄土教と浄土宗の違い

 

では末法思想を押さえたところで、浄土教と浄土宗の違いをここにまとめていきます。

 

〇ジャンルが異なる

浄土教・・・浄土思想という考え方であること

浄土宗・・・天台宗の僧侶・法然が、浄土思想を日本版にアレンジした新しい宗派

〇ゴール設定が違う

浄土教・・・天台宗や真言宗などと言った正しい教えを極楽で学び、成仏するということが最終目的としている

浄土宗・・・ひたすら念仏を唱えて極楽へ行くことを最終目的としている

〇思想は一緒でも、手段があるかどうか

浄土教・・・「末法で苦難に満ちた現世から離れて、極楽浄土に往生しよう」という極楽へ行くだけの思想にすぎなく、手段はない

浄土宗・・・「念仏だけ唱えていれば救済され、極楽浄土へいける」という、念仏を唱えて救済されて、誰でも極楽へいくと説かれる手段がある

〇対象となる層

浄土教・・・思想なので誰もが必要とすることが出来るが、解決方法がわかるのは貴族や武士のみ

浄土宗・・・末法に捉われた一般市民向けの宗派

 

それでは詳しく見ていきましょう。

 

浄土教について詳しく解説!

 

 

では最初に浄土教は一体何なのかを見ていきましょう。

 

①浄土教は考え方にすぎない

浄土教は、インドから中国をへて7世紀前半に日本に伝わったものです。

 

しかし浄土教は、宗派ではなく思想なんです!

 

どんな思想かというと、平安仏教と呼ばれる法華経を中心とする最澄の天台宗と、密教に重きを置いていた真言宗の空海などといった仏教の正しい教えを説いてもらい、いずれは成仏するために極楽浄土(天国)へいくといことを目的とした一派のことを指します。

 

この思想は、他の宗派にも影響を及ぼしていきます。

 

②浄土教のゴールは極楽で正しい教えを学ぶこと

しかし、浄土教では前述の通り、いずれは成仏するために極楽に行くんだ、という思想があるというだけにすぎません。

 

平安仏教と言われた、天台宗や真言宗などと言った正しい教えを極楽で学び、成仏するということが最終目的、つまりゴールとしています。

 

つまり、天台宗や真言宗といった手段を知っている者は、どうするかがわかります。

 

③浄土信仰あるあるの念仏は浄土教のゴールじゃない

末法思想がまん延していた当時、天台宗の僧侶である源信は、「往生要集」という書物で時刻を描写し、末法で震え上がる民衆を震撼させます。

 

しかし同時に、極楽浄土(天国)へ行くための手段として念仏を唱えることを推奨しました。

 

それが、今でもよく知られる「南無阿弥陀仏(私はブッダに帰依します)」であり、浄土宗の起源です。

 

この様に、後述の浄土宗では、「念仏を唱えると極楽へ行けるし、救われる」をコンセプトとしています。

 

しかし、念仏を唱えて極楽へ行くというのは、浄土教のゴールではないのです。

 

浄土教はあくまで、「末法で苦難に満ちた現世から離れて極楽浄土に往生しよう」という思想にすぎません。

 

④思想なので誰でも求められる

末法による浄土教の教えは、貴族も一般市民双方に求められていました。

 

しかし前述の通り、天台宗と臨済宗の正しい教えを説いてもらわなければ、極楽浄土へ行くことが出来ません。

 

平安時代までの仏教は、実は国家のための仏教であり、貴族のためだけの仏教でした。

 

つまり、仏教事体が貴族たちによって独占されていたため、貴族は救われる方法を試すことはできても、一般市民は具体的な方法がわからなかったのです。

 

これに反旗を翻したのが、浄土宗の法然です。

 

浄土宗について詳しく解説!

(浄土宗の開祖 法然 出典:Wikipedia)

 

 

では、浄土宗は一体何なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

 

①浄土宗は宗派

浄土宗の開祖は法然という僧侶です。

 

法然は、比叡山で天台の教理を学んでいました。そして、念仏を唱えれば救われるという考えをさらに強めた人物です。

 

いわば、浄土教を日本版にアレンジしたオリジナル宗派の開祖と言う訳です。

 

このことから、浄土教とは違い、完全に分離された新しい宗派であることがわかります。

 

②ゴールは念仏を唱えて極楽へ行くこと

前述の通り、念仏を唱えたら救われるという礎を気付いたのは、天台宗の僧侶である源信です。

 

 

(源信 出典:Wikipedia)

 

 

そこから法然は1198年に「選択本願念仏集」を著し、「末法の時代にいる私たちにとって、悟りの修行を行えない、ひたすら念仏を唱えればみんな極楽へ行ける」と説きました。

 

これを専修念仏と言います。

 

③一般市民向け、念仏さえ唱えていればいいというシンプルさ

末法思想により、天台宗や真言宗のような教えを学ぶ余裕も権力もなかった一般市民にとって、この至ってシンプルな「念仏だけ唱えていれば救済される」という方法は、大きく支持を得ました。

 

一般市民にとって、自己中心からの脱却方法において、座禅を組んだり、修行をしたりするよりも、神様に自己を委ね、念仏をひたすら唱えることが、煩悩を除去して自我へのこだわりをなくすための近道となったのです。

 

まとめ

 浄土教と浄土宗の共通点は、双方とも浄土思想であること。

 浄土教と浄土宗の違いは「ゴール設定が異なる」「手段を明示しているかどうか」「対象人物が違い」。

 浄土教は天台宗や真言宗などと言った正しい教えを極楽で学び、成仏するというゴール設定があるが、浄土宗はひたすら念仏を唱えて極楽へ行くことをゴールとしている。

 浄土教は極楽へ行くだけの思想を提示しているにすぎないが、浄土宗は、専修念仏により、念仏をひたすら唱えていれば救済され、極楽浄土へいけるという手段を提示している。

 浄土教は思想なので誰もが必要とできるが、解決できるのは当時の仏教事情から貴族のみ。しかし浄土宗は一般市民も救済を受けることが出来る。