日本史の教科書をめくってみると、〇〇財政という言葉を見つけることができます。

 

この〇〇には、たいてい人の名前が入ります。

 

今回解説していく『松方財政』は、松方正義が行った財政政策のことです。

 

政府の収入がしっかり入り、借金もない順調な時に〇〇財政は登場しません。問題があってその解決をしたのが〇〇さんなのです。

 

今回紹介する松方正義が解決しなければならなかったのはどのような問題なのでしょうか?

 

今回は、そんな『松方財政(まつかたざいせい)』についてわかりやすく解説していきます。

 

松方財政とは?

(松方正義 出典:Wikipedia

 

 

松方財政とは、明治時代中頃に松方正義が行った財政政策のことです。

 

西南戦争で消耗した戦費によりインフレーションが発生。この問題を解消するため、松方正義はデフレーション誘導を行いました。

 

ここからは松方財政を理解するうえで重要「明治時代初期のお金」について解説していきます。

 

まずは明治時代初期のお金を知ろう

(1885年に発行された銀貨と交換できる兌換銀券 出典:Wikipedia

 

兌換紙幣。不便だけど価値は安定!

私たちが現在使用している紙幣(お札)に種類があることをご存知でしょうか?

 

一つは兌換紙幣(だかんしへい)といいます。

 

兌換紙幣は金や銀と必ず交換しなければならない紙幣のことです。

 

ですから、国が持っている金や銀の量以上にお札をすることはできません

 

また、国が持っている金や銀のことを正貨といい、金や銀と必ず交換できるので兌換紙幣の価値は安定していました。

 

しかし、いくらお金が必要になっても正貨が不足している場合、兌換紙幣を増やすことはできません

 

②不換紙幣。便利だけどやりすぎ注意!

一方、不換紙幣(ふかんしへい)は正貨との交換義務がない紙幣のことです。

 

ということは、金や銀の量が不足していても発行できます。

 

しかし、足りないからといってむやみにお札を発行するとお札の価値がなくなってしまい、結果的にはお札の価値が落ちて物の価値が上がります。これがインフレーションです。

 

不換紙幣を発行しすぎるとインフレになってしまうのです。

 

③明治初期の貨幣はどっち?

明治政府が選んだのは兌換紙幣?それとも不換紙幣?

 

明治政府は戊辰戦争には勝ちましたが、戦費消耗によりお金はありませんでした。

 

 

そのため、当時の政府は正貨の量に左右されない不換紙幣を選びました。

 

太政官札や民部省札は不換紙幣でした。

 

 

松方財政でインフレ!原因は?

①国立銀行が大量の不換紙幣を発行!

1872年、渋沢栄一が中心となって国立銀行条例が作られました。

 

 

アメリカにならって国が認めた民間銀行として国立銀行を作り、最初は兌換紙幣を発行していたのですが、すぐに正貨がなくなってしまいます。

 

そこで新たに必要なお札をするため、兌換紙幣をやめ不換紙幣に切り替えました。

 

結果、国立銀行の数も4行からなんと153行に増えてしまい、それぞれの銀行がどんどん不換紙幣を発行。そのため、日本中にお札が溢れるようになりました

 

②西南戦争で政府が大量の不換紙幣を発行!インフレの発生

1877年の西南戦争は巨額の戦費を必要としました。

 

 

そのため政府は大量の不換紙幣を発行します。

 

さて、ここで考えなければいけないのは世の中に大量のお札が出回っていることです。

 

銀行が刷りまくった「銀行紙幣」、政府が刷りまくった「太政官札」。使う側からすればどうでしょう?どんどん印刷される紙幣は価値が落ちていきます。

 

お札1枚でリンゴ1個の交換だったとき、お札がどんどん増えて価値が下がると、お札10枚でリンゴ1個の交換になっていきます。

 

そうなれば、お札の価値は10分の1、リンゴの価値は10倍となります。

 

この状態がインフレ(インフレーション)です。

 

つまり、お札がたくさん増えると物価が瞬く間に上昇してしまうのです。

 

松方正義のインフレへの対応

このインフレに対して、松方はどのような問題解決を図ったのでしょうか?

 

増税と緊縮財政。なんとか、お札を減らしたい…

1881年に大蔵卿になった松方正義は、物価が上がった原因は増えすぎたお札にあると考えました。

 

お札を回収するにはどうすればいいでしょう?

 

一つは増税。税金という形で世の中のお札を吸い取ります。

 

もう一つは政府の支出を減らすこと。政府がお札を世の中に「支払う」ことが少なければ、ようの中のお札の量も減るというわけです。

 

松方は4年かけてお札を回収し、インフレを終わらせました。

 

日本銀行の設立と銀本位制。お札の価値を安定化させよう!

(東京都日本銀行本店 出典:Wikipedia

 

 

せっかくお札を減らしても、困ったときにお札をたくさん出してしまっては元に戻ってしまいます。

 

そのため松方は兌換紙幣に切り替えることでお札が増えないようにしようと考えました。

 

実は、松方は4年間の間、金よりも集めやすい銀を集め“貯銀”していたのです。

 

そして、その銀を利用するため銀と交換する兌換紙幣を出し対策を取りました。

(この銀とお札が交換できる仕組みを銀本位制といいます)

 

そして、国立銀行からお札をする権利を取り上げ、新しく作った日本銀行にお札のことを任せるようにしました。

 

松方財政の影響

松方デフレ

松方がお札を回収したことで、モノの値段が下がりました。

 

つまり今まで10円で売れていたモノ5円でしか売れなくなったのです。

※この物の価値が下がることをデフレ(デフレーション)といいます。

 

デフレが起こったことで、モノを売る側のもうけが減ってしまい、結果的に国民の生活が苦しくなりました。

 

この当時、具体的には米や生糸・繭の値段が下がり、農民たちが没落していきました

 

寄生地主制が生まれた

デフレにより収入が減って苦しくなった農家は土地を売ることになりました。

 

すると、その土地を集めて大地主が成長。しまいには、自分で働かず他人を小作人として雇うものも現れました。

 

これが寄生地主制の始まりです。

 

③自由民権運動の激化

不満を持った没落農民は各地で自由民権運動と結びついて過激的な運動を繰り広げることになりました。

 

代表的な事件が秩父事件です。

 

 

④企業勃興ブーム

松方は、民間でできることは民間でやらせ政府の支出を減らすために、明治時代初期に作られた官営工場を次々と民間に払い下げました

 

鉄道や紡績などの新しい会社ができ、みんなで競って儲けようと企業を作りました。

 

 

まとめ

 松方財政とは、明治時代中頃に松方正義が行った財政政策のこと。

 明治初期の紙幣は不換紙幣だった。

 国立銀行と政府は大量の不換紙幣を発行しインフレを引き起こした。

 松方は不換紙幣を回収しインフレを抑えた。

 松方は銀本位制を導入して兌換銀行券を発行した。

 松方は日本銀行を作り紙幣の発行権を与えた。

 松方財政の影響で寄生地主制や激化事件、企業勃興のブームが起こった。




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