よく間違えやすい『欽定(きんてい)憲法』『民定(みんてい)憲法』

 

今回はこの二つの憲法の特徴と違いをわかりやすく解説していきます。

 

欽定憲法とは

(フランス国王ルイ14世 出典:Wikipedia

 

 

欽定憲法は王様や皇帝(君主)が自らの主張や意見を盛り込んで制定した憲法のことです。

 

欽定憲法は大体君主主権になることが多く、ドイツ国憲法(ビスマルク憲法)や大日本帝国憲法が例としてよく出されています。

 

しかし、今の時代欽定憲法は一部の独裁国と呼ばれている国しか残っていません。

 

民定憲法とは

 

 

民定憲法とは国民が会議などで相談して決めて制定した憲法のことです。

 

今の日本の憲法である日本国憲法が例としてよく出されています。

 

今現在の民主主義の国はほとんど民定憲法です。ちなみに、欽定憲法の対義語が民定憲法です。

 

欽定憲法も民定憲法もやった日本

 

 

このように欽定憲法とは君主によって制定された憲法、民定憲法とは国民によって制定された憲法という違いがあります。しかし、それだけでは少しあっさり過ぎます。

 

なので、さらに詳しく説明するために日本における2つの憲法 『大日本帝国憲法』『日本国憲法』を例に挙げたいと思います。

 

①欽定憲法(大日本帝国憲法)の場合

(1889年(明治22年)憲法発布略図)

 

 

大日本帝国憲法には天皇は主権、元首、統治権の総攬(そうらん)者であり、その地位はこの世に存在している神という意味の『現人神』とされています。

 

つまり、天皇こそがナンバーワンだったのです。

 

たとえば大日本帝国憲法第73条には・・・

『將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付スヘシ

此ノ場合ニ於テ兩議院ハ各々其ノ總員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス』

 

✔ 現代訳

『将来この憲法の条項を改正する必要があるときは、勅命(天皇の命令)により、議案を帝国議会(今の国会)の決議に付さなければならない。

この場合において、議会は、その総員の三分の二以上が出席するのでなければ、議事を開くことができない。出席議員の三分の二以上の多数を得るのでなければ、改正の議決をすることができない。』

と書かれてていました。

 

つまり、憲法を改正するにはまず天皇の命令がなければ始まらないのです。

 

たとえどんだけ民衆が『憲法を変えて欲しい』と要望しても天皇がGOサインを出さなければならなかったのです。

 

つまり。天皇が自分の有利な憲法の改正しかGOサインを出さない事態になるかもしれないことになる危険性があったのです。

 

しかし、それでは日本が目指していた三権分立に反するので徐々に内閣や国会の権力をあげてはいきますが、結局憲法を変える命令を出せるのは天皇だけの権力だったのです。

 

②民定憲法(日本国憲法)の場合

(第一回国会開会式 出典:Wikipedia

 

日本国憲法は国民が主権となっており、国民の投票によって選ばれた国会議員や総理大臣に選ばれた国務大臣によって政治が動いています。

 

つまり、政治家になって政治を動かすのも憲法を変えたりするのもすべて国民全員に与えられている権利なのです。

 

さらに大日本帝国憲法では主権だった天皇は日本国憲法では象徴としての役割を果たすにすぎず、その地位は『国民の総意』よってなりったっているとされています。

 

ですから、日本国憲法上、天皇には一切の政治的な力をもっていません。天皇ができる事と言ったら内閣の助言や承認を受けて行う国事行為というものだけでした。

さらに憲法を新しく作り直すのも憲法を一部改正するのもすべて国民の許可が必要となっていました。

 

日本国憲法第96条には・・・

『この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。』

となっているように憲法の改正にはまず国民から選ばれた国会議員の三分の二以上の賛成をもらわなければいけません。

 

さらにそこから国民投票に移り、その投票で過半数以上の賛成をもらう事によってようやく天皇が国民代表として憲法を改正することができるのです。

 

ですから、憲法を変える力を持っているのは日本国民だけで、天皇はおろか国会や内閣にも憲法を改正する力はありません。

 

つまり憲法を変えられる権力を持っていたのは日本国民だけだったのです。

 

外国での欽定憲法

 

 

明治時代の頃のヨーロッパの列強諸国は欽定憲法をとっていた場合が多かったのです。

 

①ドイツの場合

特に有名なのが大日本帝国憲法のモデルにもなったドイツのドイツ国憲法(ビスマルク憲法)です。

 

当時のドイツはちょうどプロイセンという王国が当時ドイツ内で席巻していた300以上にも及ぶ諸国を統一したばかりでした。

 

そのような状態だったのでもし国民が決める民定憲法だったら国民の利害の対立によってせっかくまとめ上げたドイツがまたバラバラになってしまうかもしれませんでした。

 

なので、ビスマルクはあの有名な『鉄血演説』という世界史でも有名な演説みたいに皇帝の命令によって政治を動かしていました。

 

しかし、第一次世界大戦によって帝政がひっくり返されるとこれまでとは逆に『ワイマール憲法』という当時としてみたら非常に画期的な民定憲法に変わりました。

 

②フランスの場合

フランス革命で共和政になった後ゴタゴタがあって結局ルイ18世の下で王政復古してフランスは王政に戻ってしまいます。

 

その時に制定された『フランス憲法』も欽定憲法の代表例です。

 

この憲法は『王様は神聖にしてその権力は決して侵すべきではない』と書かれていました。

 

しかし、結局ルイ18世が死んだ後民定憲法に戻され現在へと至っています。

 

まとめ

・欽定憲法は君主によって作られた憲法、民定憲法は国民によって作られた憲法。

・日本では大日本帝国憲法は天皇がGOサインを出さなければ憲法を改正することができなかったが、日本国憲法は国民の過半数の賛成がなければ憲法を改正できなくなった。

・欽定憲法は大日本帝国憲法だけではなく、ドイツ国憲法やフランス憲法みたいにヨーローパの列強国も欽定憲法を制定したことがあった




コメントを残す

CAPTCHA


関連キーワード