1929年に発生した世界恐慌で各国は不景気に陥りました。

 

経済を好転させるべく各国は様々な対応をとり、その中でもイギリスとフランスがとったのが「ブロック経済」でした。

 

今回はこの『ブロック経済』について簡単にわかりやすく解説をしていきます。

 

ブロック経済とは? 

 

ブロック経済とは、植民地をもつ国々が本国と植民地の間の経済的な結びつきを強くするために、その他の国に対して関税を高くするなどの輸入障壁を設けることを指します。

 

特にいつの時代でも行われる可能性がある政策ではありますが、歴史用語としては世界恐慌後にイギリスとフランスがとった政策を指します。

 

1929年にアメリカで発生した世界恐慌は各国の経済に打撃を与えました。世界的に不景気になったのです。

 

景気が悪いときにはモノが売れなくなります。景気を回復させるためにはいかにモノを売るのか、ということを考えなければいけません。

 

こうした状況の中、豊富な植民地を持つイギリスとフランスは自国の植民地を一つのブロックとし、本国製品には低い関税、日本などの関係のない国の製品には高い関税を課すことで、本国の製品が植民地内で売れやすくするようにしました。

 

これがブロック経済です。

 

当時の経済圏とブロック経済の問題点

6つの経済圏

当時は大きく6つの経済圏に分かれていました。

 

・イギリスを中心とする「スターリングブロック

・フランスを中心とする「フランブロック

・ドイツを中心とするマルク・ブロック、アメリカを中心とする「ドルブロック」

・日本を中心とする「円ブロック

・ソ連を中心とするブロック

 

このうちソ連は5カ年計画という計画経済体制をとっていたので世界恐慌の影響を受けませんでした。

 

 

また、アメリカはブロック経済ではなくニューディール政策によって世界恐慌に対応していました。

 

ドイツに関しては第一次世界大戦の賠償金支払いのため経済的にはアメリカに依存しており、世界恐慌以前から経済面では課題を抱えていましたが、ヒトラーによるナチス政権の誕生につながっていきます。

 

ナチス政権の初期は公共事業と軍事産業によって経済成長を実現しイギリスやアメリカよりも早く世界恐慌の影響からは脱することができました。

 

従って残ったイギリス、フランス、日本がブロック経済の主体となっていきます。

 

広大な植民地を持つイギリスやフランスに比べると日本の経済圏は日本本土と朝鮮半島、台湾、満州国と限られた範囲でした。

 

また日本製品は相対的に安価だったため、ブロック経済はイギリス、フランスの本土ならびに植民地から日本製品を締め出す効果がありました。

 

ブロック経済の問題点

ブロック経済は保護貿易を推進する政策になります。従って自由貿易体制下におけるメリットが得られなくなります。

 

自由貿易下においては国際分業が行われています。

 

それぞれの国が他の国と比べて製品の質や費用において効率よく生産できるものを作り、輸出をすることで世界全体では資源を有効活用でき、各国の経済も発展していくという状況が起こります。

 

それぞれの国が自分の得意なものを作って、貿易をしたほうが全体的に見ると効率がいいという考え方ですね。

 

もちろん、競争に敗れた産業は衰退しますし、その仕事に就いていた人が失業する可能性もあります。

 

しかし、それでも広い視点で見れば自由経済のほうが世界全体にとっては良いことなのです。

 

それは保護貿易であるブロック経済が第二次世界大戦の要因の一つにもなったからです。

 

 

ブロック経済と第二次世界大戦

 

 

経済圏のブロック化により他国を締め出したまではよかったのですが、締め出されたほうは状況を打破する必要性に迫られました。

 

持てる国持たざる国の間での格差が生まれたのです。

 

イギリスやフランスのように植民地がたくさんあれば本国が小さくても問題ありません。

 

アメリカは自国内に広い市場がありますし、中南米に対しても影響力を持っていたので大丈夫でした。

 

一方、日本やドイツ、イタリアは外に目を向けるしかなかったのです。世界的に保護貿易に変化していく中で自国製品を排他的に売れる地域を増やすためには、自国の勢力圏を広げるしかありません。

 

しかし、20世紀に入るとどこかに植民地を広げようとしても新しい場所はほとんどありませんでした。

 

すでに他国が領有していたり、勢力を伸ばしている地域に出ていくしかなかったのです。

 

つまりイギリスやフランスの植民地や、関係が深いところに出ていくしかありませんでした。

 

日本は中国大陸に進出していきアメリカやイギリスと対立し、ドイツは東ヨーロッパへ進出する中でイギリスやフランスと対立し、イタリアもアフリカへ進出していく中でイギリスやフランスと対立します。

 

歴史というのは一つの要因で何かが起こるとは限らないので、第二次世界大戦の原因も一つではないのですがこのように持たざる国が持てる国に挑戦していったというのも一つの原因になります。

 

経済圏のその後

 

第二次世界大戦は第一次世界大戦と同じく総力戦となりました。

 

国民の数、領土の広さ、生産力、資源力などが勝利には必要になったのです。

 

もともと持っていない国であった日本・ドイツ・イタリアは総力戦には不利。持久力においてアメリカにはかなわなかったのです。

 

イギリスとフランスは戦争には勝ったものの、ヨーロッパが戦場になったため世界をリードする立場はアメリカに移ってしまいました。

 

また植民地の力を借りなければ戦争を遂行することもできなかったので、戦争を通して植民地も力をつけていきました。

 

第二次世界大戦後に多くの植民地が独立していくことになり、イギリスとフランスの経済圏は消滅しました。

 

さらにブロック経済を中心とする保護貿易が戦争の原因になったことから、第二次世界大戦後は世界的にも自由貿易が推進されることになります。

 

また、経済の不安定さが戦争の要因にもなるということから国際機関も設立されました。

 

こうしてできたのが国際通貨基金(IMF)であり、さらに自由貿易体制を確立するためにGATTが作られ、それが今の世界貿易機関(WTO)にもつながっています。

 

ヨーロッパにおいては現在、EU加盟国のほとんどでユーロが使われています。これはユーロ経済圏と呼ぶことができるでしょう。

 

またそもそもグローバル化の影響で、世界が一つの経済圏を形成していると考えることもできます。

 

まとめ

 ブロック経済とは世界恐慌後にイギリスとフランスがとった政策のこと。

 本国と植民地の間で保護貿易を行うことで恐慌から乗り切ろうとした。

 他国には高い関税障壁を設けることで自国の産業を保護した。

 締め出された国は新たな植民地を求めて海外進出を企図したが、それが原因となり第二次世界大戦が起こった。

 戦争が起こったことへの反省から第二次世界大戦後は自由貿易体制が整えられた。

 ヨーロッパにおけるユーロなど現在でも経済圏は残っている。

 現在は世界全体が一つの経済圏を形成しているとも考えられる。




関連キーワード