“花魁”といわれると昨今の成人式で話題にのぼったりして勘違いされている人も多いかもしれませんね。

 

“太夫”はあまり耳慣れない言葉ですが、この二つの言葉で表される人はどんなひとだったのか、今回はその仕事や内容などを詳しく解説していきます。

 

花魁と太夫の違い

(明治時代の花魁 出典:Wikipedia

 

 

【花魁(おいらん)とは、高級遊女の一般的呼称をのことです。

 

一方、主に芸事をサービスする芸妓(げいぎ)の最高位の呼称を【太夫(だゆう)と呼ぶ違いがあったようですが、後に遊女の最高位に対しても【太夫】という言葉が使われるようになります。

 

18世紀以降になると江戸の太夫はいなくなり、代わりに花魁と呼ばれるようになっていきますが、京や大阪ではそのまま太夫が残っているようです。

 

まとめると…

花魁(おいらん)・・・高級遊女の呼称のこと。

 

太夫(だゆう)・・・元々芸事のサービスをする芸妓の最高位をさす言葉。のちに「太夫」は高級遊女の中でも最高位をさすようになっていった。

 

遊女と芸妓について

(鳥居清長の版画「くつろぐ遊女」 出典:Wikipedia

 

 

遊女と芸妓の大きな違いは性行為が伴うか否かになるのかもしれませんが、それ以外の詳細についてみていきましょう。

 

①職業としての発展

性を売る仕事は世界最古の職業とされていますが、世界的に見ても神殿娼婦と呼んでいたように宗教的儀式に縁のある職であり、神聖なものと考えられていたようです。

 

 

(古代メソポタミアの神殿娼婦 出典:Wikipedia

 

 

古代日本でも宗教的な色が強く、かつては巫女として神に仕えながら、歌や踊りを行っていたものが、神社を去って諸国を遊芸していく中で性も売るようになっていったとされています。

 

②職業の二分化

平安期になっていくと白拍子(しらびょうし)といって歌に合わせて舞う男装の芸人や傀儡女(くぐつめ)といった人形を使った芸能をおこなう芸能女性がその職業の内容を変化させていきました。

 

 

(白拍子 出典:Wikipedia)

 

 

この頃までは芸能面の方が強く出ていたようですが、徐々に二分化していきます。

 

性を売る職業に特化した女性を「遊女」、芸能面に秀でていた女性を「芸妓」と呼んでいくようになります。

 

遊女のいろいろ

(明治時代の花魁 出典:Wikipedia

①遊郭の形成

鎌倉期になると、自由業だった遊女や遊女屋に制度の下で運営するように命じていくようになります。

 

鎌倉時代の「遊女別当」室町時代の「傾城局」という役所の人がその取り締まりをおこなっていました。遊女屋は都市で一か所に集められ「遊郭(ゆうかく)となりますが、最初の遊郭は豊臣秀吉の頃、大阪の道頓堀北側周辺に作られたようです。

 

その後移転などあり、東京浅草周辺の「吉原遊郭」と京都朱雀野の「島原遊郭」、大阪の「新町遊郭」長崎の「丸山遊郭」など江戸幕府公認の遊郭が存在するようになります。特に「丸山遊郭」は当時唯一の外国人対象の遊郭でした。

 

 

(明治5年頃の吉原遊郭 出典:Wikipedia

 

 

これに対し、全国の城下町や宿場の遊女屋は旅籠屋の名目で、遊女も「飯盛女(めしもりおんな)」「宿場女郎」などと呼んで営業をしていたそうです。

 

②遊女の生活

元々は宴会の席で踊りなどの遊芸接待をして、客の求めに応じて性接待も行うのが仕事であったと言われています。

 

遊女の一部は農村などで貧困から売られてきた子女でしたが、彼女たちには借金返済の為に年季があり、遊郭から脱走しないように吉原などは大きな門に囲まれていました。

 

雇い主からの折檻や報酬の搾取など劣悪な環境に身を置いて一生を遊郭で終えてしまう人も多かったそうです。

 

③選ばれし高級遊女

(客待ちをする吉原遊郭の遊女 出典:Wikipedia)

 

 

(くるわ):遊郭の中で一生を終えてしまう悲しい境遇の遊女も多くいた中で、小さいころから見目麗しく、才能にあふれたものは金の卵として様々な教育が施され、高級遊女に育てられていきました。

 

遊女という存在が商品と考えると、その美貌・教養・芸事が彼女たちと過ごす時間の値段に反映されました。

 

美しさと賢さを兼ね備え人気ある女性には高い格が与えられたのです。

 

④遊女の地位【天神との関係】

遊女の地位にはいろんな種類がありました。簡単にみてみましょう。

まずは…

【太夫】高級遊女の最高位で、有名な高尾太夫吉野太夫など遊女の名が残っています。

ちなみに高尾太夫などは、源氏名ですので、その名にふさわしい女性が世襲したものです。女歌舞伎の芸達者な人を“太夫”と呼んだことを語源としているそうです。

 

【格子】太夫に次ぐ高級遊女でした。

島原では【天神】と呼ばれていたようですが、これは彼女たちとの時間が当時銀25(もんめ)でしたので、北野天神縁日(25)にかけた言葉とのことです。

 

これら2つの地位は江戸中期には江戸からはいなくなっていました。花魁は中期の宝歴以降の呼び名であったそうですので、これらは花魁とは呼びません。

そのほか…

【散茶】元々は太夫や格子より下位の遊女のことでしたが、上位二つがいなくなり高級遊女をさすようになっていきました。

 

【座敷持】寝起きする部屋の他に接待用の部屋と持つもので、お世話係の少女もいました。

 

【呼出し】散茶や座敷持の中で、張り店といって客の前の部屋で姿をみせて待つことはせず、茶屋でまっていた遊女のことです。

 

本来は「呼出し」を“花魁”と呼んでいたようです。見習いについていた少女たち禿(かむろ)が「おいらのところの姉さん」と呼んでいたことが語源と言われています。これより下位の遊女は花魁と呼びませんでした。

 

花魁たちは置屋という自分たちのいるお店から、お客がいる揚屋という店までの間をおつきの禿などを伴い行き来していましたが、これが有名な花魁道中と呼ばれるものになります。

 

 

(花魁道中 出典:Wikipedia)

 

 

現在は年に1回イベントとして浅草のお祭りで見ることができるようですね。

 

⑤遊女の年齢

花魁たちは一流の扱いを受けるためにも15歳くらいまでには舞踊に和歌、お茶やお花、お琴や三味線など数々の教養などを身に着けていたそうです。

 

ちなみに禿は7~8歳くらいより前の身の回りのお世話をする少女の呼び名で、その上に遊女見習いとして1314歳くらいまでの新造という名の花魁予備の少女たちがいたそうです。

 

遊女の年季奉公は27歳が上限だったということですが、遊郭ではなく路上で商売を行う遊女の中には50代位の人もいたようです。

 

江戸では「夜鷹」京都では「辻君」大阪では「惣嫁」と呼ばれていたそうですが、彼女たちは河原や林の中でお仕事し、値段が非常にお得であったということで多くの人が買ったと言われています。

 

 

(夜鷹 出典:Wikipedia)

 

⑥遊女の値段

花魁クラスの遊女と時間を過ごすためには、かなりのお値段がかかったようで、一晩相手にしてもらうだけでも数十万、しかも相手になるまでに最低3回は通い、お店に多くのお金を落として認めてもらわなければなりませんでした。

 

その上で花魁に振られる可能性もあったそうです。

 

100万単位のお金がかかるため、庶民には高根の花で、江戸初期に太夫などがいなくなったのは太夫たちの相手をできる大名などが減ったことも要因と考えられています。

 

それに対し夜鷹などは1000円前後の人もいたそうですので、非常に格差社会だったのですね。

 

⑦遊女のその後

明治期になり諸外国からの批判を受けて1872年芸娼妓解放令を出しましたが、借金のかたに行う人身売買の禁止であり、売春の禁止ではなかったので、実情は変わりませんでした。

 

また、娼婦や売春宿の隔離、新聞報道での侮蔑表現など政治・言論の世論誘導を受けて、芸娼妓たちの社会的身分は徐々に低下していくのです。

 

1900年には一度地方にゆだねた公娼の管理を再び国に戻し、18歳以上で両親の承認を得たものは所轄警察署へ登録の上、指定の貸座敷でのみ許可がおります。

 

その後日中戦争などの戦時下には公娼制度の下で慰安婦として日本支配下の国々で働いていたそうです。

 

戦後のGHQの指令により遊郭は廃止され、1958年売春防止法により公認の娼妓は消滅したといえるでしょう。

 

芸妓のいろいろ

(京都の芸妓 出典:Wikipedia

①和のおもてなし

前述しているように「芸妓(げいぎ)」とは歌や三味線に舞踊など芸の習練のために厳しい稽古に励み、酒宴などでお客様を持てなす女性のことです。

 

京都の芸妓(げいこ)、その見習いの舞妓(まいこ)は有名ですね。関東では芸者と呼んでいるようです。

 

昔は混合されていたようですが、遊郭とは別に花街(かがい)として芸妓のいる置屋とお客が来る茶屋などが集まっている地域があります。

 

茶屋遊びは芸をみせるところですので、現在ではお子様連れや若い人のお客様も増えているそうです。日本の伝統的な芸能を見せてもらえるので、一度は経験してみたいものですね。

 

代表的なものとして京都五花街(祇園甲部・先斗町・上七軒・祇園東・宮川町)東京六花街(新橋・赤坂・神楽坂・芳町・向島・浅草)などがあります。

 

政治家の方々が赤坂の料亭で接待等の話が聞かれますが、芸妓の卓越した美貌と教養の賜物でしょうか、政治家の奥様には芸妓出身の方も多くいたようです。伊藤博文や板垣退助など有名ですね。

 

②近年の芸妓

芸妓の中でも最高位をさす「太夫」が2014年京都に誕生したようですが、彼女は2歳で禿に、12歳で見習いの振袖太夫となり、途中アイドルや声優として活躍し、27歳で正式に「葵太夫」として太夫デビューしたそうです。

 

伝統的に禿から太夫になったのは実に50年ぶりだったそうです。

 

現在でも花魁と太夫など色々混合している実情から、葵太夫さんはブログなどで色々説明もしてくれているようです。

 

まとめ

 「花魁」は高級遊女の呼称のこと。

 「太夫」は元々芸事のサービスをする芸妓の最高位をさしていた。のちに「太夫」は高級遊女の中でも最高位をさすようになっていた。

 有名な高級遊女に「高尾太夫」などの源氏名がある。彼女たちとの時間には多額の費用がかかり、庶民には高嶺の花だった。

 遊女は格差社会、その中のトップクラスが「花魁」たちだった。彼女たちは小さいころからトップになるために大変な努力をしていた。

 売春禁止法により、遊女は実質公的にはいなくなった。

 芸妓は現在も続く花街で芸能おもてなしをおこなってくれる。

 「太夫」は近年も誕生しており、和の伝統を体現してくれている。

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