江戸時代にもなると、時代ごとに新しい法律がたくさん出てきますので、何かと厄介ですよね。

 

更に、江戸時代では宗教に関する法律もたくさん登場します。

 

特に、キリスト教に対する弾圧は強化されていき、キリスト教禁止に関する制度が多いのも特徴的です。

 

また、これに呼応するように、仏教に関する法律もしっかり統制されているんです。

 

そうなっていくと、どれがキリスト教関係の取り締まりなのか、どれが仏教関係の取り締まりなのかも、わからなくなってきますよね。

 

今回は何かとわかりにくく、制度名だけでは違いも判断しづらい、「本末制度・寺請制度・寺檀制度・宗門改めの違い」について、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。

 

本末制度・寺請制度・寺檀制度・宗門改めの違い

 

では、この本末制度・寺請制度・寺檀制度・宗門改めの違いですが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか?

 

最初に簡単にまとめてみましたので、ご覧ください。

 

それぞれの違い

 

 対象者が異なる

 

本末制度・・・お坊さん

寺請制度・・・民衆

寺檀制度・・・民衆

宗門改め・・・民衆

 

 対象の宗教・目的が異なる

 

本末制度・・・仏教の宗派の統制

寺請制度・・・キリスト教の取り締まり

寺檀制度・・・キリスト教の取り締まり

宗門改め・・・キリスト教の取り締まり

 

 目的が異なる

 

本末制度・・・幕府が仏教教団を統制

寺請制度・・・寺院が民衆に対して行う(裏では幕府が民衆を統制)

寺檀制度・・・寺院が民衆に対して行う(裏では幕府が民衆を統制)

宗門改め・・・幕府が民衆の宗教を統制

 

ここからは「本末制度」「寺請制度」「寺檀制度」「宗門改め」、それぞれの詳しい内容について解説していきます。

 

本末制度について詳しく解説!

 

本末制度(ほんまつせいど)とは、江戸幕府が仏教教団を統制するために設けた制度のことを指します。

 

こちらは、仏教に関する制度となっているのが特徴となっています。

 

本末制度は、仏教に関する制度なのですが、こちらは特に、”お坊さんたち”に関する制度となっています。

 

1631年に出された、「新寺の創健の禁止」によって、檀家の固定化が推進されていきます。

 

その翌年以降は、幕府は各本山に対して、「末寺帳」と呼ばれる末寺を取りまとめている文書の提出を義務づけていました。

 

これにより、各地方にある各地方にある古くからある由緒のある古寺も、幕府の命令によって形式的に特定の宗派に組み込まれることとなりました。

 

本末制度って具体的に?

本末制度は、今風にざっくり言うと、係長と部下のような制度を、お寺に持ち込んでいます。

 

要するに、1宗派に1寺の本山を置き、それ以下はすべてが末寺という感じです。

 

仏教徒には、宗派の中心である”本山”がありますよね。

 

宗派の中心である”本山”の下に”末寺”があり、”本山”からの指示のもと動くという形で、寺院間で統制を明らかにしたものです。

 

そう、本末制度の”本”は宗教の中心である本山の”本”、”末”は本山の指示を受ける末寺の”末”なのです。

 

この関係を置くことによって、宗派に対する統制・固定化を図っていたのです。

 

寺請制度について詳しく解説!

 

さて、寺請制度(てらうけせいど)は一体どういう制度なのかでしょうか?

 

寺請制度は、本末制度と異なり、民衆に対して発布された宗教の制度を指します。

 

キリスト教もじわじわ流入し、流行り始めた時代。江戸幕府は、キリスト教の布教拡大や、島原の乱などといったキリスト教徒による反乱から、キリスト教の存在を恐れました。

 

そのため、民主に対しても、宗教統制を行う必要がありました。

 

寺請制度は1871年の廃止になるまで続き、それ以降は檀家制度に取って代わります。

 

寺請制度は、檀家制度の前段階の制度

寺請制度は、寺院が民衆に対して「寺請証文(てらうけしょうぶん)」と呼ばれる身分証の発行を義務付けるものでした。

 

この「寺請証文」というのは、寺院がこの人はキリスト教でないという証明をしてくれることを指します。

 

この文書を発行する寺院のことを「檀家寺院/檀家寺」といい、ある一家で執り行うお葬式や法要は、決められた寺院(檀那寺)で行うというものです。

 

さらには、「寺請証文」の厄介なところは、どこかの寺院の檀家に入らないと、発行してもらえない、というもの。

 

これによって、民衆がキリシタンにならないように統制していました。 

 

寺檀制度について詳しく解説!

 

寺壇制度とは、江戸幕府がこの寺壇関係を利用して作った戸籍の管理制度です。

 

今でいう戸籍や住民票の管理を、お寺が行うこととなったということと似たような感じです。

 

当初は、寺請制度における「寺請証文」を発行することで、キリスト教の弾圧を目的としていた幕府でしたが、後々には、民衆支配の一環として使用していきました。

 

実は、寺壇制度そのものは、寺請制度と同じ意味を指すのです。

 

宗門改めについて詳しく解説!

 

宗門改め(しゅうもんあらため)とは、1638に実施された、キリシタン洗い出しと締め出し制度のことです。

 

キリスト教の弾圧の先駆けともいえる制度で、最初は幕府統括領で行われました。

 

次第に全国規模で徹底的に行われるようになり、1671年には、完全に全国規模で行われるに至ります。

 

①定期的に行われていた

宗門改めは、先ほど挙げた年代に限って行われたのではなく、定期的に行われていきました。

 

民衆が信仰している宗派を漏れなく調査し、民衆の宗派を「宗門人別改帳」として作成、管理していました。

 

これを定期的に行うことにより、キリシタンの摘発を徹底してきました。

 

なお、この「宗門人別改帳」から漏れた人はというと、無宿人=非人として不利益を被ることになりました。

 

②「踏絵」とは違うの?

なんだか、イエス・キリストの物を踏ませることで、キリスト教の洗い出しを行っていた「踏絵」に近いものを感じませんか?

 

ですが、「踏絵」は実をいうと最もキリシタンの多いとされていた九州で行われていたんです。

 

宗門改めは全国的に行われているので、ここに違いがあります。

 

まとめ

 対象者が違い、本末制度はお坊さんを対象としているが、寺請制度、寺檀制度、宗門改は民衆が対象となっている。

 対象の宗教・目的が違い、本末制度は仏教の宗派の統制を目的としているが、寺請制度、寺檀制度、宗門改めはキリスト教の取り締まりが目的となっている。

 宗教統制の目的が違い、本末制度は幕府が仏教教団を統制していて、寺請制度と寺檀制度では寺院が民衆に対して行っているが、裏では幕府が民衆を統制していて、宗門改めでは、幕府が民衆の宗教を統制している。

 本末制度では、1宗派に1寺の本山を置き、それ以下はすべてが末寺として宗派に対する統制・固定化を図っていた。

 寺請制度と寺壇制度はほぼ同一の意味がある。

 寺請制度と寺壇制度では、どこかのお寺に民衆を所属させることで民衆の宗教を仏教に統一させ、キリシタンにならないように統制していた。

 民衆はお寺に所属がないと、キリスト教でない証明の「寺請証文」が発行されなかった。

 寺壇制度では、後に戸籍や住民票の管理を行う形となり、統制方法が発展していった。

 宗門改めは、幕府によるキリスト教の取り締まりの先駆け。

 宗門改めは、当初幕府管轄内だけで定期的に行われていたが、次第に全国規模となり、定期的にキリスト教の取り締まりが行われるようになる。

 宗門改めは「踏絵」と違い、全国で行われている。

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