歴史を知るには教科書や資料ばかりではありません。

 

遺跡の発見、発掘したことにより当時の品々が原型を保って見つかることもあります。

 

それらは然るべき場所で保管され、時折公開されます。

 

そうではなく、遺跡そのものを実際の目で見ることもできることをご存じでしょうか。

 

今回は縄文時代の遺跡を見るには「どこが最適なのか」「どこにあるのが最古なのか」「最大のものはどこなのか」など、その辺りを掘り下げていきます。

 

まずは、縄文時代とはどんな時代だったのか、そして遺跡とはなんなのか、そこから入っていきましょう。

 

縄文時代とは?

 

縄文時代とは日本における時代の区別であり、世界的には中石器・新石器時代と言われる年代に値します。

 

今から1万5千年から2800年前と言われています。

 

壺には模様があるのが特徴とされています。

 

縄文人の暮らし方 

縄文時代は約1万年ほど続いた長い時代です。

 

1万年も続けば気候などの変化もあり、長い縄文時代の中では最初と終わりではかなり暮らし方が違ったと思われます。

 

また日本列島広い範囲で少しずつ風習のズレもあったとされています。

 

縄文時代初期の暮らし方としては、集落のようなものがあり定住するといった形でした。縄文時代になって定住するよになったのは、氷河期が終わり気候がよくなったことが理由とされています。

 

食料の主流は魚介類で、このころから漁業がはじまったと言われ、ほかにも木の実を取ったり獣を狩ったりして食料にしていたました。

 

しかし、縄文時代終盤になると再び気温が下がり始め海水の温度が下がると、魚介類なども減り食糧難へとなっていきます。

 

そうなってくると人口は次第に減り、また集落の数も減少。寒い地を離れ温かい地へ移り変わり縄文時代が終わっていきます。

 

縄文時代は本州と北海道は陸続きであったとされ、北海道の集落がなくなり、生活の拠点が本州から九州へと移ったと言われています。

 

また、当時は狩りなどをしていたことから、弓などの武器を用いたり、また食料を保存する貯蔵庫のようなものがありました。

 

 

 

遺跡の定義

 (三内丸山遺跡 出典:Wikipedia

 

 

遺跡という言葉は知っていても、遺跡とはと聞かれた時、正しく答えることができるでしょうか。

 

たぶん、多くの方は頭で理解していても言葉でとなるとなかなか説明し難いと思うのではないでしょうか。

 

遺跡とは過去に暮らしていたもしくは活動していた人の跡だとわかる場所、遺構・遺物のことを指します。厳密にいえば建物であったり、その土台であったりを指します。

 

その場所から生活用具などが出土されることもあれば、されないこともあります。

 

縄文時代でいえば、集落で暮らしていたようなので、その当時の建物の跡地であったり、貝塚などがそれに値します。

 

縄文時代の中でも「有名な遺跡」

 

縄文時代の遺跡は、北は北海道から南は九州・沖縄地方まで広い範囲で存在しています。

 

とはいえ、全てを見て回ろうというのはなかなか難しいものです。できれば住んでいる近くでないだろうかと思いますよね。

 

遺跡は日本広くに存在しますので、近くの遺跡は個々で確認してもらうとして、数ある遺跡の中からピックアップします。

 

そこで、有名な遺跡を抑えそこを見ることができればいいのでは? ということで、有名な縄文時代の遺跡ベスト3をご紹介します。

 

①三内丸山遺跡

(三内丸山遺跡 出典:Wikipedia

 

 

三内丸山遺跡は縄文時代初期中ごろから中期にかけての遺跡で、場所は青森県青森市大字三内字丸山に存在しています。

 

墓地跡のほか住居跡(竪穴)、掘立柱建物などが確認されています。

 

ほかにも木製品や骨角器、漆器等が出土、縄文土器や装飾具も出土されています。さらには栽培していたともみられる証拠としてクリやゴボウなどの栽培跡。

 

これまでの縄文時代の集落と比べるととても大人数の集落であったとされています。

 

2000年に特別史跡指定をされています。

 

②大森貝塚

(大森貝塚遺跡庭園 出典:Wikipedia)

 

 

都内でも遺跡を見ることができます。それが大森貝塚です。

 

実はこの大森貝塚から日本の遺跡発掘がはじまったとも言われています。

 

この貝塚は京浜東北線大森駅北側に存在し、縄文時代後期の土器、土版、石器、骨角器が出土されました。

 

ほかにも人骨の欠片やクジラの骨、土偶なども出土されており、貝塚というだけあり多種の貝殻が見つかっています。

 

③上野原遺跡

(上野原遺跡 出典:Wikipedia

 

 

鹿児島県霧島市にある上野原遺跡は縄文時代早期の集落遺跡なのですが、縄文時代の終わりごろに出始める壺形土器や縄文時代後期にでてくる耳飾り(滑車型)が出土するなど、珍しい遺跡ともいってもいいでしょう。

 

上野原遺跡の特徴はほかにもあり、標高250メートルの台地に存在していました。

 

ほかにも古墳時代のもの、第二次世界大戦探照灯跡も発見されています。

 

縄文時代の「最大・最古の遺跡」

 

 

有名な遺跡、こちらは目的によって求める遺跡が変わってきます。

 

そこで最大の遺跡といったら、最古の遺跡といったらどこになるのかをまとめてみました。

 

最大は出土の多さや広さなどから、最古は文字通り一番古い遺跡、または古い出土品をだした遺跡などを個別に紹介します。

 

①最大遺跡

出土数、集落の多さなどで圧倒的な差をつけダントツなのは三内丸山遺跡です。

 

三内丸山遺跡を見ればだいたいのことはわかるということになります。日本最大といっても過言ではないでしょう。

 

縄文時代の竪穴住居跡といえば、千葉県船橋市の取掛西貝塚ではないでしょうか。

 

縄文時代早期の竪穴住居のほかにも弥生時代の竪穴住居が発見されました。

 

②最古遺跡

世界最古と言われている出土品が出たのは、青森県大平山元遺跡です。

 

縄文土器といえば模様があるのが特徴ですが、出土されたものにはついていませんでした。16500年前の縄文時代早期前半頃と言われています。

 

雷下遺跡は千葉県市川市の貝塚です。そこでは国内最古の丸木舟が出土しています。

 

真脇遺跡は石川県能登町に存在しています。ここからは本州最古ではないかといわれている火きり臼が発見されています。

 

火きり臼とはいわゆる火おこしに使う道具です。板の窪みに木の棒などでこすり火を起こす、あの道具のことです。

 

③今後の発見について

遺跡発掘には時間と労力がとてもかかる繊細かつ忍耐力のいる作業かと思います。

 

時代が進み技術が発展していけば、また新たな事実の判明や新たな遺跡の発見にも繋がる可能性はゼロではありません。

 

今現在公表されているよりも最大の遺跡、最古の遺跡が出てくることもあります。

 

遺跡の発見はロマンであるともいいますので、今後に期待してもよいと考えられます。

 

まとめ

 縄文時代はおおよそ1万年という長い期間続いたため初期と後期では多少出土内容が違っています。

 縄文時代の遺跡は北海道から沖縄まで存在しています。

 縄文時代の遺跡を見るなら三内丸山遺跡がオススメです。

 縄文時代の最大遺跡なら三内丸山遺跡、最古遺跡なら最近発掘された丸木舟がある雷下遺跡がオススメです。




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