日本国憲法第9条は元々この不戦条約の内容を参考にしていることを皆さんはご存知でしたか?

 

今回は戦争行為の意義を変えるきっかけとなったパリ不戦条約についてわかりやすく解説していきます。

 

不戦条約とは

(不戦条約締結時の様子)

 

 

不戦条約が結ばれたのは、1928年8月。

 

フランスがアメリカに戦争放棄を目的とした条約の締結を提案。その要請を受けたアメリカが戦争を止める条約を作る必要があると各国に働きかけ、結ばれた条約です。

 

この条約では自国の政策のための戦争行為を禁止とし、また国際紛争などが起こったら平和的手段で解決するように決められました。

 

なぜ不戦条約を作ったのか?

(第一次世界大戦時の写真 出典:Wikipedia

 

 

不戦条約が出来る少し前に第一次世界大戦が起こり、ヨーロッパに深い傷跡を残しました。

 

この惨劇をもう二度と繰り返さないようにフランスの外相がアメリカに対して米仏間での平和条約の締結を提案しました。

 

しかし、アメリカの国務大臣であったケロックが「米仏間で条約を結ぶのであればいっそのこと様々な国と条約を結ぼう!」とフランス側に提案します。

 

フランス側は最初は反対していましたが、結果的に先進国をはじめとする15ヶ国と締結しました。

 

締結した中心国

(不戦条約に調印・批准した国 出典:Wikipedia

 

 

最初の頃はアメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・イタリア・日本などの先進国と呼ばれていた国が中心でした。

 

しかし、時代とともに第一次大戦後に新しく作られたソ連などが加盟して最終的には63ヶ国が締結しました。

 

不戦条約の問題点『3つ』

(不戦条約締結書)

 

 

不戦条約は侵略行為の禁止など様々なルールを設けていました。しかし、色んな問題点もありました。

 

①『侵略』と『自衛』の違いの定義がなかった…

不戦条約には侵略行為を禁止する条文がありましたが、どこまでが自衛行為でどこから侵略行為と呼ぶのかがとてもあいまいで、各自の考え方次第でした。

 

そのせいでアメリカやイギリスなどは自分の領土外で軍を動かしてもそれは自衛のための行動を言い張っていました。

 

②破ったときの制裁制度がなかった…

不戦条約では条文を破った時の制度がありませんでした。

 

なので、もし条約を破った国がいれば国際連盟規約などの他の条約に頼らなければいけませんでした。

 

③戦争以外の武力行使について書かれていなかった…

不戦条約では戦争にはならない武力行使、国際的警察活動海賊やテロリストの取締など・・・

 

国際問題に関する条文がなく、戦争に参加していない国の権利や義務などがハッキリとしていませんでした。

 

不戦条約と日本。

 

 

日本は第一次世界大戦にヨーロッパ諸国に様々な商品を輸出して戦争に貢献しました。

 

アジアの先進国として諸国から見られて、この条約にも日本は結んでいます。

 

条約を結んだ当時の日本は、中国との関係がどんどん悪化していて、国際的な条約を結んでいる暇はない!という条約に否定的な声があがっていました。

 

また、不戦条約の第1条に書かれている『人民の名においての宣言』が天皇大権(天皇が日本の政治を動かす権利)に違反しているという批判があったため、日本はその部分を削除すると宣言しました。

 

 

条約締結後の日本

日本は条約が結ばれた時はまだ国際協調路線の外交を行っていきましたが、世界恐慌のあおりを受け、国際協調路線から自国優先へと様子が変わっていきます。

 

そして、1930年代からはどんどん満州への支配を進めていきます。(満州事変

 

満州の問題によって日本は国際連盟を脱退してしまい、せっかく結んだ不戦条約や軍縮条約をどんどん破っていきます。

 

そのせいでせっかく積み上げてきた国際的な信用も失ってしまいます。

 

 

条約締結後の各国の動きについて

①条約の中心となった国の動き

ワシントン会議やロンドン会議など軍備の縮小に努めていきますが、やがてドイツやイタリアでファシズムが台頭していき、不戦条約をどんどん破っていきます。

 

さらに、ファシズム以外の国でも条約の隙をつけこみ、自衛と称して内政干渉をしていきます。

 

②連合国となる国の動き

イギリスは世界中の色々な所に植民地を持っていたため、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなくなっていました。

 

上に書いた通り条約には「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関してはかなりあいまいとなっており、地域問題は当事国が決めることになっていました。

 

アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関してはこの条約が適用されないと宣言して内政干渉を行います。

 

このようになったため、徐々に不戦条約で明記されていた国際協調のムードはなくなり、1930年代にはブロック経済など自国の利益を最優先する姿勢を示していきます。

 

不戦条約の影響

①戦争の意識の変化

第一次世界大戦の頃の国際法には戦争は一種の『決闘』であり、国家は自分の主張を戦争によって訴える権利や訴える自由を持っていると考えられてきました。

 

しかし、不戦条約はこの価値観を真っ向から否定しており、この頃から戦争は平和条約を違反している国に対して制裁するという意味で戦争すると解釈されました。

 

②国際協調路線への転換

これまでは自国優先の外交が主流となっており、協調なんてもってのほかでした。

 

しかし、不戦条約や国際連盟規約などの条約を結んだ時から自分の国の利益のみを考えるのではなく、ほかの国と友好的に協力し合いながら共存しようという考えが主流となりました。

 

この考え方は世界恐慌から第二次世界大戦の終結まで、いったん自国優先へと逆戻りしましたが、今では国際協調が常識になっています。

 

不戦条約の活用。のちに役に立った!

 

 

不戦条約自体はあまり効力を発揮する事が出来ませんでした。

 

しかし、後にニュルンベルク裁判や東京裁判などで戦争裁判人を裁く時の参考として使われる事となります。

 

そして、国際連合憲章を作成する時に不戦条約の条文が参考として使われました。

 

また、さらに不戦条約の第1条は後に日本国憲法の第9条のモデルとなり今の日本の平和主義の礎を築く事となるのです。

 

まとめ

・第一次世界大戦後、戦争を二度と起こさない様にする為戦争行為の禁止などを明記した不戦条約が結ばれた。

・不戦条約には侵略と自衛の違いや条約を破った後の制裁を明記しておらず不明確だった。

・その結果アメリカやイギリス自衛と称して勢力を拡大を図った。

・不戦条約は自国優先から国際協調へと変わる転換点となって、国際連合憲章や日本国憲法などのモデルとなった。




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