【南京条約とは】わかりやすく解説!!結ばれた理由や内容・影響など

 

日本にとっても大きな影響を与えることになった清のアヘン戦争。

 

今までは、中国から文化や技術を学ぶために遣いを送っていました。しかし、そんな清がイギリスに負けてしまう。そして、不平等な条約を結び植民地として支配されてしまいます。

 

こうした状況を見て江戸幕府は強固な鎖国政策を緩めていくことになりました。

 

今回は、日本に衝撃の走った清の『南京条約(なんきんじょうやく)』についてわかりやすく解説していきます。

 

南京条約とは?

(アヘン戦争 出典:Wikipedia

 

 

南京条約とは、1842年(天保13年)アヘン戦争後に現在の中国である清とイギリスの間で結ばれた条約のことです。

(別名、広寧条約とも呼ばれています)

 

その後、さらに不平等条約である虎門塞追加条約という条約も加えられました。

 

これらを含めて南京条約と呼ばれています。

 

南京条約の背景と目的

①イギリスの清への進出

イギリスはフランスとの戦争に勝利し、インドの領有権を獲得します。その勢いに乗じて東南アジアへの進出を決めました。

 

清は、当時栄えていたのでイギリスから入ってくる安い綿織物に興味を示しませんでした。

 

反対にイギリス国内では、お茶が大流行しイギリス国内の銀が中国に流出していきました。完全な貿易赤字の状態です。

 

②三角貿易

イギリスは貿易赤字を変えるためにインドを巻き込んだ三角貿易を開始します。

 

イギリスは清からお茶を買います。支払いは銀です。

 

そして、インドに対して安価な綿織物を輸出します。インドは綿織物の対価として銀をイギリスに支払います。インドから清にアヘンという薬物を輸出します。清はインドに銀を支払います。

 

このような形を取ると、最終的にイギリスは銀もお茶も手に入れることができるのです。これが、三角貿易です。

 

これにより、被害を受けたのは清。アヘンが大量に自国に入り込んでくるからです。

 

そこで、清はアヘンを取り締まるようになります。

 

それでもイギリスにとっては大切な利益を上げる仕組みです。取り締まられたら困るということで清に対して戦争を起こします。これが、アヘン戦争です。

 

 

③イギリスの目的は搾取

アヘン戦争に勝利したイギリスは、清に対して南京条約を結ばせます。

 

イギリスの目的は、設けることなので多額の賠償金と共に商売を続ける仕組みを作りました。

 

南京条約の内容から利益を得ることを目的としていることが読み取れます。

 

南京条約の内容

 

それでは南京条約がどのようなないようなのか見ていきましょう。

 

内容は主に以下の通りです。

南京条約の内容

広州、福州、廈門、寧波、上海の5港の開港

香港の割譲

賠償金2100万ドルの支払い

公行の廃止

 

これらについて、一つ一つ詳しく解説していきます。

 

①五港の開港

開港については日本の日米和親条約や日米修好通商条約と同様に貿易を行うことができるようになるために必要です。

 

まずは、開港してもらい貿易を行うための下地を作ったということができます。

 

②香港の割譲

まず、割譲とは部分的にその都市の領有権を譲り渡すことを意味しています。

 

簡単に言うと、香港はイギリスのものとなるということです。つまり、植民地としてイギリスは香港を手に入れたのです。

 

その後、1860年には香港島の対岸の九龍半島の一部が割譲されました。

 

1898年には、その九龍半島の付け根にあたる新界という地域がイギリスに租借されることになります。

 

こうして、イギリスは香港を中心とした植民地支配を強めていくことになります。

 

③賠償金の支払い

賠償金は様々な戦争後の条約でもでてくるものです。戦争には多額の費用がかかるので、勝った国は賠償金を求めます。

 

今回は賠償金の額が2100万ドルです。これを4年間の分割で支払うというのです。

 

また、このうちの一部は、アヘンを取りしまったせいでイギリスが被った損失の補償ということになっています。

 

自国で薬物の取り締まりをおこなって、その分の損失を支払うので納得できかねる部分はかなりあったはずです。

 

④公行の廃止

公行とは、清の貿易会社の組合のことです。

 

公行を通してのみ、貿易を清とは行う必要がありましたが、公行を廃止したことで、イギリスは誰とでも貿易をおこなうことができるようになりました。

 

南京条約の追加条約の内容

 

さらにさらに・・・これだけでは終わりません。

 

その後、清には3つの不平等条約が追加されました。

 

①五港通商章程

その後も清へのイギリスの圧力は続きます。五港通商章程という内容を1843年に追加します。

 

これは、開港した五港での取り決めで、領事裁判権を認めるというものでした。

 

領事裁判権とは、日本でも日米修好通商条約で含まれた内容です。

 

例えば、イギリス人が清の中で罪を犯した場合に清の法律では裁くことができず、イギリスの法律によって裁くという内容です。これによって、イギリス人は清で自由に振舞うことができるようになりました。

 

 

②虎門寨追加条約

五港通商章程と同じ年には、虎門寨追加条約という条約が追加されます。

 

これにより、清は関税自主権を失います。

 

関税自主権とは、例えばイギリスから安い商品が清に大量に入ってくると清で作られている商品が売れなくなってしまいます。

 

そのため、自国の商品を守るためにイギリスの商品に関税をかけて値段の調整を図ります。

 

しかし、それが無いということは外国の安い製品が大量に自国に入ってくることになるのです。清の産業が打撃を受けることは明らかです。

 

 

③片務的最恵国待遇

イギリスが手に入れた権利の1つです。

 

片務的ということは、偏っているということです。この場合には、片方の国だけに義務が生じることを意味しています。

 

南京条約の場合には、清のみに義務が発生しており、イギリスを最恵国として最大限の優待をおこなわなければいけないということになります。

 

そのため、他の国がイギリスよりも良い条件での条約を結ぶことはできなくなりました。

 

南京条約の影響

(中国と書かれたパイを奪い合う各国の風刺画 出典:Wikipedia

①各国への影響

南京条約の締結により、イギリスは多額の利益を得られると踏んでいましたが、思った通りの利益を得ることができず、再びアヘンの密輸をおこないます。

 

これを清は取り締まったので、清に対して再び戦争を仕掛けます。これがアロー戦争です。

 

この時、アメリカ、フランス、ロシアもイギリス側として参戦をします。これにより、戦後の処理に他の国も口出しできるようになりました。

 

アメリカとは望厦条約、フランスとは黄埔条約を結びイギリスと同様の不平等条約を結ぶことになります。

 

②日本への影響

日本は江戸時代のため当時は鎖国体制を取っていました。

 

しかし、隣国の清が西欧に負け植民地となっています。

 

これには日本の幕府も慌てふためきました。その結果、鎖国政策を緩めていくことになります。

 

まとめ

 南京条約とは、アヘン戦争後に清とイギリスの間で結ばれた条約である。

 南京条約の中身は7つ、五港の開港と公行の廃止、香港の割譲、賠償金支払い、関税自主権が無い、領事裁判権を認める、片務的最恵国待遇をする。

 南京条約締結後にアロー戦争が起こり、アメリカ、フランスとも条約を結ぶ。

 日本の鎖国政策に影響を与える。